水辺と山径



小さな二人の旅V
2001年01月〜2001年12月


    横浜港で新年を迎える

                          横浜,山下埠頭,氷川丸船上,

 
      2001年元旦,新年を横浜港で,

    凄い駐車難で港湾警察前に停める。
      理由は駐車場所が,有料,路上,全てなく,空いていたのが警察署前だけだった。今から駐車違反も有るまいと。

    時の移りと共に汽笛が一勢になる。そして思いの外,大桟橋から花火が打ち上げられた。
      知らぬ間,凄い群集の中に居た。
      感動の終わぬ内,中華街で腹を満たした。



      01年01月02日,下谷神社,


    上野公園

                                上野公園,桜,

         01年04月,朝食,

      自宅の窓から柔らかい陽差しが入り込むのを望み,朝食を桜の枝下でと公園に出向く。
        公園も池之端も満開に近い花が周りを被っていた。



        01年05月,等々力渓谷,等々力一多摩川園,


    上野,池之端

                              蓮の群,

       01年07月20日,散歩,

    年に一度か二度,動物園に寄っている。水族館がなくなり,両生類の館がオープンした。
      帰りは何時も鵜の島を捲くよう,蓮の跨る池之端の橋を渡り帰宅する。
      木橋もコンクリートに変った。新しいだけで情緒も何もなくなっていた。

    翌週,久し振り,土星を観測に科学博物館へ自転車を漕いだ。




    阿智,駒場への旅

                             天竜川源流,三峰川ツメ,    

     小淵沢IC=原村h1,ウグイ=茅野,杖突街道=高遠,秋葉街道=大鹿,蛇洞林道=しらびそ高原=矢苫=阿智駒場
       =妻恋,中山道北上=岡谷h2,=霧ヶ峰,車山=白樺湖,大門街道=八ヶ岳横断道路(メルヘン街道),麦草峠
       =八千穂,佐久甲州街道=清里ライン=須玉IC, 860k,


    2001年(h13年)07月,南信,両アルプスの裾を潜り抜け,


      小渕沢=原村,
   初日は小淵沢で絵本村,絵本美術館と梯子し,原村泊り。
     午後,八ヶ岳自然文化園を散策,ウグイを見る。朝方には立派な農道を横切る野鹿を見た。

      原村=高遠=鹿塩=駒場,

      高遠
   国道152,茅野=上村間,4時間,飯田までの高速道を嫌い山道へ。
     入笠山西面の杖突街道を抜け藤沢川を下り,昔懐かしい高遠に寄る。
   高遠の旧池上家,醤油屋は民族資料館に変わり,幼い頃一時住んだ隣の家はなくなっていた。
     遠いい母方の親戚で木工家具の彫り師だった。我が家にも居間に彫刻された欄間がある。
  聴くところによると伊那の養老施設に住んでいるらしい。
     真っ
直ぐ通りから階段を登ると昔の間々の剣持神社,境内がある。

   美和ダム右岸沿いに三峰川を詰め,分坑峠から長谷村,鹿塩へ出る。
     舗装道は裸土変わり,左右が狭まった。伸びた枝木が車体に絡み,荒れた山道は窪みのバウンドをも激しさを増した。

   国道であるが車の往来は極く少ない。左右から枝木が被さってくる。そこを車体で押し通る感じで走らせる。
     それも中型普通車である。当然視野は閉ざされ,バックミラーや交差する場所も少なかった。
     走っている間,向かい車が常々心配になる。ただ幸いにも1台の擦れ違いもなかった。

      大鹿
   大鹿の群村に入り,突然道が開けた。村の中心部は驚く程に立派な4車線のアスファルト道路になっていた。
     何十年振りの分からぬ鹿塩に昔のバス停も見る。
   公衆トイレができバス停も新しくなるが,場所は変らず同じ場所に留まっていた。
     伊那谷へ抜けるバス停前,雑貨屋で蜜柑を買い,まだまだ遠い飯田へ抜けた。

   小さい村落を抜けると,又もや大型の通れぬ山道となる。
     うねりは強く,普通車でも再び枝木は通る毎,跳ね上げる。擦れ違うスペースも全くなくなった。

      ひらびそ高原
   長いつづらの後,分岐を別けると真新しい舗装道に変わった。県立公園(ひらびそ高原)で行き止まりになる。
     南アルプスの南部の峰々が目前に広がるも,ここまでだった。
   ここから飯田まで,まだ長い山越えが待っている。少し戻り上村より伊那山脈を,ふた山越えねばならなかった。
     ただ知らぬ幸運が待っていた。矢筈で開通したばかりのスーパートンネルに出会う。
     行き通う車もなく,凄い道路が何故か飯田へと続いていた。

      矢筈トンネル
   長野県下伊那郡の喬木村と上村を直結するのが三遠南信自動車道の矢筈トンネル(4.1k)である。
     伊那山脈を潜り,飯田市と遠山川の距離を従来の数分の一と飛躍的に短縮させた。
   それまで三峰川や大井川源流などと並ぶ秘境的存在であった遠山川は,後数年で南アルプスエコーラインが梨元まで繋がれる。
     このトンネルの開通で飯田市から僅かな時間で来られるようなる。
     又,遠山川の軌道から車道への開通は大衆化に一層拍車をかけている。

     聖光小屋,便ヶ島=和田間,1時間,=バス,JR飯田線平岡間,35分,
     秋葉街道Top,


   2003年04月,遠山川右岸の遙か高所にある下栗の集落から北又沢下流に通じる道路が開通し,
     聖岳,光岳を望むひらびそ高原に,広い施設の「ハイランドひらびそ」が建設された。
     県立公園として観光客と共に大勢の釣人が押しかけて一挙にポピュラーな渓流になる。

   
天上の里,上村川沿いの国道152が地蔵峠へ向け着工され北上中。数年後には秋葉街道,塩の道と繋がるだろう。
     漸く普通車が通う凸凹道は,もう直ぐ無くなる運命に立っている。






                                  賑わう妻籠宿,

     阿智より中央アルプスを廻り込み木曽川を遡上する,

      駒場=嬬恋=岡谷,
   阿智,駒場,浄久寺で彼女の母方,本家の墓をお参りする。
     宮崎備前守親子は徳川家康の側室として仕えている。所詮人質で墓石には葵の御紋が示されていた。

   嬬恋は余りの雑踏で宿を飽きらめ,木曾街道を遡上した。
     水量は極端に乏しく,鮎の釣人は何処にも見止められなかった。

     帳に合わせ岡谷へ。交番で宿を請うた。





                       霧ヶ峰,南アルプス望んでの朝食,

      岡谷=諏訪湖=霧ヶ峰=八,麦草峠=清里,

   翌日,コンビニで朝食を買い求め霧ヶ峰へ。天気はすこぶる良い。
     ニッコウキスゲの群落の中,朝食を摂り,八島ヶ原湿原を散策する。
     大地の上に広々とした丘が幾重にも広がっている。

   八ヶ岳を横断,麦草峠を経て佐久より南下する。
     そして暑い陽差しを浴び,八ヶ岳の裾野を須玉へと駆け下りた。



       01年08月,   足立,元淵公園自然館,釣り掘,ヘラからクチボソまで,

       01年09月07日,厚木飯坂温泉,町会芋掘り,ハヤ,


       01年12月23日,快晴, 養老渓谷,市原⇔養老渓谷,

   風呂は良かったが,余りにも観光客が少なかった。
     陽差しは暖かく,渓谷は紅葉美で溢れている。川底の岩盤も明るく,一面なめるよう澄んだ清流が流れていた。

   それでも食堂も土産屋さえ,人影はなく侘しさを漂わしていた。ガランとした宿がある。
     最盛期は夏, 今はクリスマス近くで,地元の人さえも東京へ出向くとの事。

   山の一軒宿と違い,観光地では虚し過ぎた。又,釣り竿持参するもヤマベすら居なかった。

     初冬の陽差しを十二分に浴び,宿を諦め帰宅する。



      小さな二人旅Top, 山径Top,