RHC, 立教大学ハイキングクラブ,1960〜2004年
                       入部と同時,RHC5周年記念祝賀会に参加・・部報「峠」創刊





                                                                          2005〜2009年RHCU

                                                                         2010〜2012年RHCV
                                                                         2013〜2016年RHCW
                                                                         2017年以降


昭和35年正月
 (1960年)
35年05月09日
妙高で行われた体育実技スキー教室で小林,鴨田,蜷川,3名が出会い,山のクラブを作ろうと学校での再会を約す。

立教大学
ハイキングクラブを設立
  法学部校舎241教室に再び小林,鴨田,蜷川,3名が,昼休みに集い,正月より詰めていた案を実行に移す。
    当時立大にはRACを始めRWC,理学部山の会等の山に関する団体があり,どのような性格を持ったらよいか,
    大きな問題を含んでいた。そしてこの日,初めて「ハイキングクラブ」という名称がだされた。

  「ハイキング」に対するはっきりした定義はなく,我々がクラブそのものを創造し,独特の永続性のあるクラブを作る。
    ただ,この名称が後まで試行錯誤の混乱を起す一因にもなって行く。所謂,「ハイキングのリーダー」である。

  初代主将小林隆志,s副将鴨田英一,主務石田勇(2)
                                      s48,08,十勝吹上温泉跡で,  
35年06月11日




35年07月15〜21日






36年01月

36年02月25〜04日



36年04月


36年05月12〜15日



36年9月






36年10月06〜08日


36年11月03日


37年01月05〜10日


37年02月21〜27日





37年5月








37年11月



乾徳山公開ハイキング
  夜行日帰りで仲間を集める為,公開ハイキングを行う。当時,参加した殆どの人がRHCの基礎となる。
    小林,鴨田,蜷川,石田,鈴木,池津,青木,市瀬,小寺(2),そして紅一点の茂木嬢。
    途中退部して行った松本(2),帆足,三浦j嬢(1)の総勢13名

夏季北アルプス合宿
  第一回夏合宿は横尾岩小屋付近で天幕3張りの定着山行を行う。Bc⇔大滝山,⇔槍ケ岳,⇔奥穂高岳,
    この計画はクラブ創立と殆ど同時に企画され,乾徳山ハイクもこの合宿を目的にとし行われた。L小林,sL鴨田,m9名
    7月01〜03日には丹沢水無川でキャンピング練習山行を行う。L小林,m6名

クラブの機関誌「落葉松」発行

RHC部長に独語文学部教授,片山泰雄先生を。顧問には体育課の講師,石井充先生を招く。

第一回,春期ツァー合宿
  五色温泉,宗川旅館をベースに吾妻連峰東北部で行う。鉢森山,賽ノ河原,高倉中腹をツァー。 
  素泊り¥120,蒲団付き¥150,cL小林,m14名,・・小林氏が慶応ワンダーフォーゲル部から計費が安価だとの紹介を受け。

クラブとしてトレーニング開始
  石井充先生よりトレーニング法等のご指導を頂き,実際にトレーニングのコーチとして参加して頂く。

新人養成合宿
  各コースから富士見平集結⇔金峰山,cL石田,sL市瀬,m16名
    その後はs41年まで5月中旬に金峰山周辺で新人養成合宿を行う。

RHC創設期,クラブの方針
  クラブが発足してから2年余を経過し,クラブの性格を形付ける意味で非常に重要な段階となる。
    片山先生,石井先生にも相談をお願いし「レクレーションのリーダーを養成する。」と方針が打ち出される。

  「レクレーション」=「遊び」であると云うふうに誤解されがちであるが,「ハイキング」は「レクレーション」活動の一分野と意義ずけ,
    幅広いリーダーを養成する。cL石田,sL鈴木,m蜷川

霧ケ峰公開ハイク
  1,2年生が少なく再募集を企画するが部外者1名の参加。L石田,他

白梅短大WVと交歓ハイク
  丹沢菩提峠でL石田m14名,WVは14名, 対外的な窓口として文化会加入を試みるが,当部の実績がまとまらず見送りとなる。

スキー技術合宿,
  燕温泉にて初めて行う。cL石田,sL鈴木,m17名

春期ツァー合宿
  鉢森,高倉山,賽ノ河原,家形山に続き一切経,五色より家形ヒュッテへ。その後,毎年家形ヒュッテへ入山。

  本年はスキー技術合宿を行った為,部員の技術がかなり向上される。
    管理人常住,素泊り¥200〜300,二食付¥500〜600,cL石田,sL鈴木m22名

RHC創設期,最終評
  クラブの具体的目的が明確に打ち出される。
    引継ぎが突然であり困惑する中,諸先輩や石井部長の山岳部やワンゲルの真似事に過ぎないと指摘から,
    「レクレイションに限らず,広く社会生活に通用するようなリーダー,」を養成する。cL新井,m富山,河井,小沼,吉田,小川,

  新人養成,合宿,春と秋にはリーダー養成,そして冬,春合宿を企画,実行する。
    延べ入山人数270名に比べ個人山行72名にすぎず,学内にはまだ山のクラブが少なかった。
    派手な宣伝とハイキングと云う名称が実際の内容と矛盾し,正面化した時期とも思われる。

ユニホーム決まる
   
   三度作った後,色は広大な土の色,そして秋の枯葉の色,茶色に。
     生地は暖かさ寒さを防ぎ,強さを考えコール天とする。「落葉松」より青木氏,

37年12月,第一土曜

38年02月20〜02日


38年04月






38年06月02日

38年06月



38年11月


38年12月,第一土曜


39年02月23〜02日


39年04月







39年05月30〜03日



39年09月06日


39年10月03〜08日,


39年11月,

39年12月24〜29日



40年02月24〜08日





40年04月12日















40年04月24日


40年04月28〜29日


40年05月08日





40年05月13〜16日



40年06月26日

40年06月








親睦ダンスパーティ,「5号館コモンルーム」

春期ツァー合宿
  五色をベースにツァー。鉢森山,高倉山,賽ノ河原,栂森山,一切経山,cL吉田sL荒井,m19名

創立4年目を迎る。
  果物の樹でいえば,いよいよ実を結び始める時期となる。
    世間一般に考えられている「ハイキング」という概念の誤解がないよう勧誘を主とする。sL井田,青木,永瀬,老沼,

  年間研究題目は秋までであるが,「飯豊連峰地域」,及び立教祭参加とクラブ内部,(山行記録,器具の保管,落葉松)の充実,
  OB会が誕生, 代表指導員制を設定,小林隆志s38〜42年

日原OB交換ハイク, L永瀬,m16名

部屋確保
  クラブの器具置場として事業会館に置かせて貰っていたが,法学部5号館屋上の部屋を確保。軽音楽部と共に,
  上級部員の退部は殆どなくなる。

初めて立教祭参加
関東ハイキング連盟の創設

親睦ダンスパーティ
  慣例になったダンスパーティは「5号館コモンルーム」が借りられず。構内「第一食堂」

春期ツァー合宿
  cL井田,m28名,冬期スキー合宿は1月03〜08日,cL井田,m26名

クラブの活動は安定期を迎え,又先への一種の過渡期にもなる。
  年間運営するにあたり各係の充実を率先し,合宿形態は冬,春合宿以外は全てテントを使用,
    前年度行われた分散縦走集中形式を取る。cL新津,sL中山,m神徳,三輪,

  関東ハイキング連盟関係は部風が態度,目的に相違がみられ,我が部は1寸離れている風潮があり。
    5月24日,春期合同ハイク,美しの森, 参加校は中央大,明大,早大,慶大,国学院大,農大,立大,
      前年度まで中大HCで行っていた尾瀬清掃ハイクを連盟主体で6月14〜17日間に行う。連盟運動会参加,

男子リーダー養成合宿,雪渓トラブル
  荒川三山〜赤石岳, 中岳より荒川小屋に至るまで3ケ所雪渓トラバースがあり,ヒヤヒヤした。
    小屋近くの雪渓では早稲田WVに手助けられる。雪上訓練の必要を感じる。L新津,m8名

OB親睦バスハイク
  千葉県片貝海岸,ob7名,現役20名

新たに「一年秋合宿」を設ける。
  朝日連峰,左沢一朝日一皿渕,L新津,m8名

立教祭参加, 展示と立教生と山,アンケート

スキー技術合宿地の変更
  今までの燕温泉から奥信濃,戸狩に変更
    狭いゲレンデと経済的面を考慮。戸狩は良質の豪雪地帯であり,全てが民宿で素朴なサービスを受ける。

春期ツァー合宿
  鉢森山,高倉山,賽ノ河原,栂森山,一切経山,cL新津,m28名

  吾妻をより深く,家形〜東大嶺間縦走を計画するも,偵察時に家形一兵子間,風雪強く断念。
    次年度の女子部員の増加を予想,次第にクラブに於ける重要な位置を占めてくる。

s40年度定例総会
  クラブ活動が飛躍し結びだす。

  春の吾妻縦走が強調するように山への広い認識と個人山行の特長が見えです。
    山行内容の安全,充実の為にもピッケル,ザイル等の使用は悪戯に背にびする事なく必要とした。

  合宿至上主義を打ち出す。又年間研究題目を「山と気象」に定める。
    cL田中,sL保坂,m池田,見城,本多,吉永,松浦,大久保(榎本),榎本(林),

  関東ハイキング連盟はオブザーバーとして加盟。10月23〜24日,道志山塊,薬畑山・赤倉山ハイク,L本多,m9名

  RHC入部
    新入生対象のオリエンテーションが催され,四丁目角で「剣岳長次郎雪渓」の写真に魅せられ入部,
      入部金¥500,器具拡充費¥1000,部費年額¥2400を納入し部員証の交付を受ける。
      主山道具調達は西池袋「山幸」,衣類他は秋葉原「ニッピン」等で購入,合宿の買出しは御徒町「アメ横」

新人歓迎コンパ
  講習会後,池袋東口「清龍」で行われる。¥500

新歓ハイク中止
  南ア前衛の山,スズランの景勝地,入笠山の予定が私鉄ストの為,中止。

RHC5周年記念祝賀会, 新宿「東京都社会保険会館」
  現役,OB,学校関係,その他連盟関係の人達も含め数十人もの人々が集い,盛大に行われた。
    司会石田氏,クラブの創設者小林氏,教務部中村氏,連盟委員長森氏(中大)より祝辞を頂く。

  部報「峠」創刊, 題字は立教大学総長,松下正寿先生銘, 編集鈴木泰宏

新人養成合宿
  ザック麻痺事故2名,1名は地元病院へ搬送。奥秩父国師岳〜金峰山,L田中,sL保坂,m27名
  初めて雪上幕営を経験

OB親睦ハイク江ノ島, cL西村,m7名,ob7名

  合宿準備会,「5号館388教室」
   週に1度,定期的に執行部会,部員会が催される。
     合宿前には年間研究をテーマの下,器具,食料,気象,医療,編集と各係の研究,点検等が行われた。

40年07月

  先輩を囲み,
 右上より長谷川,三浦,池田,西村,根岸,私,保坂
 下は田中,和田,俵,各氏

40年















40年07月12〜17日



40年07月25〜10日


40年10月31〜03日

40年11月14日

40年11月19〜23日

40年12月04日


41年02月24〜07日




41年03月26日


41年04月












41年05月04〜08日


41年06月



41年06月26日

41年08月02〜14日


41年10月30〜01日




41年11月03〜06日


41年11月11〜14日



41年11月22〜26日



41年12月


41年12月03日


41年12月15日




42年02月21〜06日



42年03月26日

42年04月28日



RHCクラブバッチを制作
 クラブ員よりデザインを公募,山をかたちどった「RHC」のバッジが制作される。スミタ帽子店









                               提供h元年卒石川君,OB掲示板より

男子二年強化合宿,転落事故
  荒川三山〜赤石岳, 小渋川が梅雨期で増水に為,渡渉訓練を行ったが,1名が吊橋より転落,
    アップザイレン等の消極的面で技術の必要性を感じる。L田中,m10名

夏合宿
  5パーティに分かれ広く東北の山々を知る。我がパーティは秋田駒ケ岳〜岩手山,焼石岳,禿岳,L保坂sL本多,m4名

立教祭参加

OB親睦ハイク中津川渓谷, 小林,鴨田,池津,鈴木,石田(ob),現役9名

初めての冬山,雪氷の木曾御嶽山,L新津,sL中山,m8名

親睦ダンスパーティ
  部報「峠」2号発行資金の為,「5号館コモンルーム」

春期ツァー合宿
  RHC創立6年を迎え,念願の吾妻連峰東北部,家形〜東大嶺間を縦走。偵察は栂森より,縦走隊L新津,sL保坂,m3名 
  鉢森山,高倉山,栂森山,一切経,cL田中,sL保坂,m29名

    又今合宿中,国鉄学割料金の改正があり,入山5割,下山は3割引きとなる。

部報「峠」2号発刊,編集三輪正儀,パーティの資金だけでは足りず発刊にあたり騒然となる
  RHC規約を記載,「心の独り言

s41年度定例総会
  クラブ活動は充実期を迎える。

  41年度年間研究題目を「装備」と定め,無雪期のビバークを研究を行う。
    より深い山と幅広い山行へ。山とクラブ,技術面も早熟期,執行部の対応が難しくなりだした。
      cL西村,sL清水(根岸),m竹永,役員割田,滝島,日吉,狐崎,松居(保坂)

      五色「宗川旅館」宿主と親戚関係にある池田嬢が当クラブに入部

  OB指導員に新津賢(s40)

  関東ハイキング連盟はオブザーバー継続
    6月11〜12日,武尊岳山麓武尊牧場ハイク,L西村,sL根岸,m9名

個人山行,滑落事故
  鳳凰三山〜甲斐駒ケ岳間,駒頂上直下で転落,自力で脱出。早めのアイゼンかザイルの携帯が必要。L西村,sL滝島,m3名

家形ヒュッテ委託
  ヒュッテの所有者は福島県であるが,管理は高湯温泉組合が行っていた。
    組合長,後藤泰治氏の上京を機にRHCが山小屋管理の委託を受ける。

OB親睦ハイク江ノ島, 小林,鴨田,石田,鈴木,小沼,富山,新津(ob),現役8名

夏合宿,女子パーティ途中下山
  病後の1年部員,白馬岳から途中参加するも体力優れず,信濃境から蓮華へ2p全員途中下山。L狐崎,割田,m11名

家形ヒュッテ偵察
  どの程度修理が必要か偵察のため再度吾妻に向かう。m竹永,日吉
    ヒュッテは思った程荒れておらず,周りの板壁,窓ガラス,雨漏りする所ぐらいで,我がクラブでも修理できる見込みが立つ。
  山小屋実行委員,保坂,竹永,三浦

立教祭参加
  装備研究発表及び合宿紹介,スライド上映

第一回家形ヒュッテ修理T
  修理の為偵察を出し,春期ツァー合宿の準備を兼ね初めて山小屋修理を行う。
    土台は確りしてをり外壁の張替え,糞尿処理等行う。薪造りの為営林署より伐採許可を取る。L西村,m17名

第二回家形ヒュッテ修理
  第一回修理のやり残り,薪造り等を行う。L竹永,m7名
    今期は2回,その後は毎年,春合宿準備を兼ね,晩秋にヒュッテ修理,薪造り,偵察の為入山する。

家形ヒュッテ共同管理
  信夫高湯「ヒゲノ家」の後藤氏と協議の末,後藤氏とRHCとの共同管理を結ぶ。

親睦ダンスパーティ
  山小屋修理費及び部報「峠」3号資金の為,「5号館コモンルーム」

疑似遭難,八海山事件
  八海山,豪雪で最終日に下山できず,情報が報道機関に流れる。
    学生部長,甲藤氏が中心となり大学も動きだすが無事下山。L保坂,sL竹永,m田沼,三浦
    翌5月に再び入山,装備撤収,L三浦sL田沼,m3名

春期ツァー合宿
  
昨年に続き家形〜東大嶺間踏破,cL西村,sL根岸,m31名,ob新津,中山
    縦走隊,L保坂,sL滝島,m松村,鈴木,田沼,
鉢森山,高倉山,栂森山,一切経,新規に東吾妻山偵察

部報「峠」3号発行,編集池田,田中, 準合宿という新しいジャンヌを設ける。

s42年度定例総会
 
                                                   総会後時計台を背に
  クラブとしての向上が多種,多様な山行を重ね,走り過ぎの不安が募りだす。

  執行部となる。
    年間研究題目を「我ケクラブにおける特殊技術の習得」と定め,雪上訓練,ビバーク,ザイルワーク,藪漕ぎ等の体験に励む。
      これらを主とした個人山行も多く生み出した。
    この数年,個人山行も冬山装備使用により山行が増え,遭難対策を真剣に考える時期にくる。
      又,女子部員の急増は,全てに於いて重要な位置を示しだしている。

    cL松村,sL三浦,m和田,会計田沼,渉外鈴木,トレーニング大川,松本,野中
      食糧水頭,装備山田,医療高木・赤嶺,気象工藤,sトレ三田,編集野中・関・大高,記録池田,s会計高橋,s渉外高畑


  関東ハイキング連盟はオブザーバーで継続
    参加第一主義で連盟に目を向ける時間的余裕がなくなる。
      部の主旨,及び殻に篭らぬ為にも,今年度はオブザーバーとして残り,他校との交流を図った。


  クラブ員の勧誘の為,タッカーホールでスライド利用による勧誘を試みる。
    又保健室と相談の上,全員の健康診断と予防接種を実行,チャペルでは合宿前に説教をお願いした。

    学内では後半,全学連が浸透し学生闘争にクラブも巻き込まれ始めた。

42年04月29日






























42年05月18〜21日

























42年06月上旬
新人歓迎ハイク
  安針塚で
  三浦半島安針塚,大輔山ハイクは現地で中止し池袋へ。L松村,sL和田,m17名,新人13名

新人養成合宿地変更,北八へ
  ここ数年の奥秩父山行を集計すると積雪による影響が甚だしく,新人には時には酷と思われる。
    又林道の開発も拍車を掛けていた。それ故残雪残る北八を選んだ。cL松村,m48名

  1p(小屋湯〜夏沢間廃道化),完走できず途中下山,新宿駅で合流解散する。L田沼,sL山田,m4名

  「5号館コモンルーム」,後のレストラン「アンビー」
   1年生を迎えての臨時会合

  会合前,5号館中通路

42年06月



42年06月22〜24日



42年07月21〜31日



42年08月15〜31日


42年10月01日























42年10月07〜14日


42年10月
部室盗難事件
  5号館屋上,部室で山道具の盗難事件があり。知らずして池袋警察署から連絡を受ける。
    裏側のトヨを5階まで登りテント,コンロ等を盗難,全てを取り戻し実害なし。事情調書に2時間を費やす。松村

技術山行
  氷水の仙ノ倉谷でザイルワーク,渡渉,幕営技術等,初めて総合的研究修得山行を行う。L松村,m8名

    以後,季節相応の技術山行が芽生え始める。

女子二年強化合宿
  1名の参加希望が先輩3名と男子なみの山行を試みる。世間は農大シゴキ事件で揺れていた。
    彼女こそ,クラブ女子の中心になると確信する。白峰三山縦走,L松村,sL野中,m保坂,関

夏合宿,北アルプス全山縦走
  30日合宿終盤,白出乗越を越え4年生が集中地,穂高平入り,途中1名が転落,病院へ。L日吉m4名

OB親睦会,奥武蔵,正丸峠にて
  右より新津,滝島,鴨田,鈴木,各先輩, 現役c松村,他16名

  秩父伊豆ケ岳, 雨天でハイクは中止,正丸峠でジンギスカン料理を囲み行われた。
    ob小林,鈴木,鴨田,新津,保坂,現役c松村,m16名

一年男子秋合宿
  合宿として初めて藪漕ぎ山行を行う。越後平岳〜尾瀬ケ原間,L松村,sL鈴木,m10名

立教祭,部員勧誘用スライド撮影
  3号館脇グランド


  現在は16号館,6号館に,向かいは立教中,高校

   合宿前,各準備会に合わせトレーニングを行う。主にマラソンである。
     5号館屋上,部室前で準備体操を行い,体操内容は顧問,石井先生のご指導を受ける。

   コースは千早町から山手通りを南下し,南長崎の交差点を右折し哲学堂公園に至る。
     柔軟体操の後,帰路は目白通りを東へ,学習院前で1本取りガードを潜り母校に戻るコース。


  5号館3階での定例部員会(月曜毎)

42年11月02〜05日 立教祭参加
  各種研究発表及び合宿報告,スライド上映とクラブを紹介


  前日の練習風景,「タッカーホール」

42年12月



43年02月20〜06日










s43年03月15日













親睦ダンスパーティ
  部報「峠」4号発行資金の為開催するが著者権協会が介入。「5号館コモンルーム」
    以後慣例だった
ダンスパーティは開催資金の増大で途ざえる。

春期ツァー合宿
  慣例となった縦走隊を今年も企画。荒れた中の完走はクラブ活動の自信にも繋ながった。縦走隊L西村,sL滝島,m3名
    今年は又ボッカ隊を含め全パーティを女子混合で編成,女子を含め全員が家形ヒュッテに宿る。
    鉢森山,高倉山,栂森山,一切経,cL松村,sL和田,m31名

  家形ヒュッテ修理と偵察,11月06〜10日
    春合宿使用のため山小屋修理及び蒔造り,家形山⇔兵子間偵察,L松村,sL大川,m8名

  来年度は更に女子の地位向上が求められるだろう。女子部員の飛躍は進むが,全体のレベル低下が気に掛かる。
    鉢森ツァーは栗子スキー場のオープンで開発が進み,騒音がわずわらしい。

部報「峠」4号発行,編集狐崎雄二,西村博臣
  年間活動報告,研究報告「藪漕ぎ」

  四丁目
43年04月08日









43年04月31〜06日


43年08月01〜18日























43年10月04〜09日


43年11月02〜05日


43年11月30日


44年02月21〜05日











44年03月
s43年度定例総会
  クラブ活動は一時のバンウンド期を越え,元へ戻りつつある。

  年間研究題目を「北海道中央高地及び日高山脈の山域研究」と定め2年を掛け遂行する。
    女子部員の増加は平均的に進み,その重要性から問題点も多く含まれる。規約改正,部報「峠」資金と遭難対策
      cL山田,sL三田,高橋,赤嶺,高畑,水頭,三田(関),工藤(池田)

  部長,片山先生から文学部助教授,古井由吉先生を招く。
  OB指導員を顧問に改正,顧問に田中正幸(s41),根岸哲夫(s42)

二年男子強化合宿,火傷事故
  千丈〜鳳凰三山間縦走中,北沢峠で両足,第二度火傷事故,引率途中下山。L三田,sL工藤,m11名

夏合宿,北海道中央高地及び日高山脈
  cL山田,sL三田m25名
  初めて合宿を内地から離れ北海道で行う。
    日高,カムイエイクチカウシ岳〜北トッタ別岳, L工藤,sL関根,m新崎,冨田飯田,松村

  天幕焼失事故, 8月12日女子pが下山後,集中地入り前に美瑛小学校々庭で。

自立しだした女子リーダー養成合宿,
  初めて女子のみで吾妻連峰を縦走。m伊藤,豊永,古田,桧垣
    白布高湯一東大嶺一家形ヒュッテ一一切経一信夫高湯,

立教祭参加
  北海道の山々及び写真展,スライド上映

映画上映会「シュエブールの雨傘」上映
  十周年記念行事及び部報「峠」5号発行資金の為,構内「タッカーホール」
  慣例だったダンスパーティは著者権協会が介入し中止となる。

春期ツァー合宿
  縦走に変わり東吾妻山を男子全員が踏破。そして今年も女子全員がヒュッテに入る。cL山田,sL三田,m31名
    鉢森山,高倉山,栂森山,一切経, 又一年女子専属pを編成,L松村,sL高畑,m5名

  家形ヒュッテ修理,10月30〜03日,L松村,sL西沢,m5名

  「宗川旅館」,夏の入山客を見込み一部改装するも,宿泊料据え置き。今年より夏場は国鉄板谷からバスが通う。

後輩に贈る
  43年度OB,OGになった我々は,クラブにロッカーと書類棚をより活動の充実を願い贈る。
  s43年度卒業生一同,松村,和田,鈴木,大川,田沼,松本

  尚,現役よりRHCペナントを贈受

44年03月25〜31日



44年03月31日




44年04月08日






44年04月16日

44年04月21日













44,05,02〜06日





















44年05月10日

44,06,06〜07,25,



























44年07月02〜06日























44年08月02〜03日
学生最後の山
  MAC長塩と共に卒業式を抜け爺ヶ岳東尾根へ。
    学生部で久振り文句のない学割を頂いた。立大学割,最多使用を記録したそうだ。

家形ヒュッテ継続認可
  ヒュッテは44年03月31日をもって取り壊される事になっていたが,老朽化,維持費,慶大の山小屋建設等の点で,
    県より5年間の延期申請が許可される。取り壊しの問題は当分回避された。
    なを慶大山小屋,吾妻山荘が1年遅れ10月に完成。関根記

部報「峠」5号発行,編集松村進
  10周年を迎え,「部長交代の辞」前部長,片山泰雄先生, 「名と体と」部長,古井由吉先生
    「十周年を迎えて」ob顧問,田中正幸, 「ハイキングクラブ創立10周年を祝す」学生部,甲籐善彦, 
    「アラスカ遠征計画の私」富山真人,(s38卒), 「夢からの出発」中山司(s40卒)
    「アラスカ遠征計画」新津賢(s40卒), 扉「

  山行記録に初めて短文,感想,回想等を書き添える。

新人歓迎ハイク,中津渓谷とコンパ, 池袋西口「清龍」¥600

s44年度定例総会
  年間研究題目を昨年に続き「北海道中央高地及び日高山脈の山域研究」とし,更なる成果を期待した。

  藪漕ぎ,ザイルワーク,ビバーク等の特殊技術を取り入れる。
    cL関根,sL中川,m新崎,斉藤,西沢,富田,豊永,開沢(沼津),内田(伊藤),市川(桧垣),和田(平田),関川(古田)


  顧問に津田義和先生を迎える。部屋確保する
  RHC,OBへ,顧問,松村進(s43),代行含めs44年〜48年

  関東ハイキング連盟に再び正式加盟
    規約改正によりオブザーバーは初年度のみとなる。
      加盟校は明治,中央,法政,慶応,國學院,工学院,神奈川大,東京農大,跡見女子大,大妻女子短大,立教の11校,
      尾瀬清掃ハイク,6月26〜29日,L松本m5名

総会で決まった春の守門山ツァー
  L斎藤,sL冨田,m飯田,島田,遠藤,中西,新津,松村

RHC10周年記念祝賀会

アラスカ遠征,black cap初登頂
  A,CよりのW,Princess

  RHC10周年記念行事, 29日,ブラックラビットより入山,30日,Theyer hut着,7月01〜02日,荷揚げ,3日,休憩日
    4〜18日,Black Cap, Surdy Summit, Black Warrier, Whife Princess
    18日,下山,キャストナ橋よりフェァーバンク着,25日,アンカレッジ着,解散, m富山貞男,新津賢,中山司

OB山行,剣岳滑落事故
  滑落,ストップ地点から八ッ峰と後立,鹿島岳

  学内紛争から山行が侭ならず執行部から現役の参加要請を受ける。剣岳池ノ谷計画を早月尾根に変更,長次郎雪渓を下る。
    ツメ下より滑落。確保にピッケル折れ流されるも無事帰還。L松村,sL山田,m見城,松本,中沢,飯田

43年度同期会山行,盛夏の八海山 
 
L松村,m鈴木,日野原
  「八海山神社里宮」と「大崎八海山社務所」

44年08月10日



44年11月07〜11日










二度目の夏合宿
  学園紛争で時期的に前年同様の日高での山行は不可能となる。
    北ア,読売新道をメーンに現地に入るも集中豪雨で入山できず。改めて9月より南ア全山縦走を行う。cL関根

雪山技術山行,初冬の乗鞍岳, 山行後平湯バスターミナル内の温泉へ
  大部隊となり現役9名が参加,L松村sL西沢

44年11月27〜02日


45年02月




45年03月



45年04月19日






45年05月02〜04日

家形ヒュッテ修理,
  積雪多く4.5k地点にザックデポ,翌日ヒュッテ入り煙突等付け直す。L関根,sL中川,m7名

春期ツァー合宿中止
  仏文科の人事問題が学内紛争を起こし全学部に波及。

  合宿中止の為,スキー技術習得合宿を行う。八方尾根スキー場4月01〜06日,cL関根,m26名,

家形ヒュッテ崩壊
  家形山ガンチャンで表層雪崩が発生,家形ヒュッテ西側の壁,窓が破損し半崩壊する。
    その後,応急処置し形を留めるも荒れるに任される。中沢記

s45年度定例総会
  現役30名,富山(s38卒),田中(s41),松村,鈴木,田沼(s43),山田,高畑,関(s44)

  執行部,L松本,sL中沢,m鈴木,飯田,内海,遠藤,飯田(島田),板川(遠藤)
  関東ハイキング連盟関係,
6月26〜29日,尾瀬清掃ハイク,L松本,m4名
    10月,国学院大・八王子グランドで運動会,当部は全員が参加。個別的に法政大と野球大会を催す。

二年強化合宿に備え研究山行,越後飯士山
  現役の希望を受け松村参加,L鈴木,sL松本,m12名

45年05月10日


45年05月15〜19日



45年06月03〜10日



45年07月28〜14日






45年11月14〜15日



45年12月05日


46年02月27〜09日








46年03月06〜08日


46年04月25日








46年05月02〜05日

部報「峠」6号発行,編集山田雅一,西沢隆雄
  「憧れの絆

戻る新人養成合宿地, 奥秩父
  北八は奥深くまで開発の手が伸び,不適応との判断から,再び奥秩父へ。
  コース決定の難しさが生じたが集中地はナレイ沢出合,笛吹川河原にて。cL松本,sL中沢

男子二年強化合宿
  木曽駒ケ岳〜摺古木岳間を4月末に残雪期完全縦走を立案,準備会まで行う。
  だが計画の甘さからOB指導員の助言で6月に延期。入山前,5月に越後で雪上研究山行を企画実行する。

北海道夏合宿
  日高山脈に男子3pが入山する予定で夏合宿準備山行を企画
    夏合宿同一pによる丹沢水無川流域集中遡行,及びリーダー部員の藪漕ぎ,沢遡行技術山行を只見川源流袖沢で行う。
  日高山脈入山禁止,
    ヒグマの出没で福岡大WVが熊遭難に会い,3名死亡,日高山脈全面入山禁止となる。
      日高3pは現地で急遽全員が帯広から大雪山系へ入山。cL松本

OB親睦会, 奥武蔵子の権現にて
  リーダー権授与,正部員昇格コンパを兼ねて,お寺で行われた。広い部屋で明け方まで話は尽きなかった。
    生憎,翌日の伊豆ケ岳ハイクは雨のため中止,松村,鈴木,大川(s43年卒)

映画「肉弾」上映と立教軽音楽部演奏
  資金獲得行事だが自己負担多く赤字が問題化。構内「タッカーホール」

春期ツァー合宿
  家形山,栂森山,鉢森山,高倉山。一切経山,東吾妻山は中止。cL中沢sL飯田,m33名,ob6名

  2ッ玉低気圧の為,連日近来にない荒天に見舞われ,家形山踏破は4p中1pに。
    昨年度合宿の中止は,1,2年生にとって初めてのツァーとなった。

  ヒュッテ使用不能の為,東海大緑樹山荘を借り合宿を行った。1人2泊,¥100
    今年度,初めてトランシーバーを使用する。使用法に問題点が残る。自炊から委託へ

春期ツァー合宿に参加できず,惣八郎平をさ迷う。
  高湯で後藤氏に会い,登りだすも森で迷う。吹雪で閉ざされ野宿後,赤岩へ下山。L松村,m見城

s46年度定例総会
  前々年度の春合宿中止は,次第に深刻なリーダー部員の不足をもたらした。

  執行部の崩壊はより多くの山を登り,楽しむ観点から合宿至上主義を止め,企画山行も中止に至る。
    それ故,個人山行での充実に励み,再建に望みを繋ぐ。「本館202」
    cL田島,sL小原,m立松,小林,金城,田口,大橋,山田(左藤)

  OB会山行を企画,雪洞による越後割引岳

総会で決まったOB会山行,越後割引沢
  L松村,総勢6名が気侭に割引沢を詰める

46年05月15〜18日



46年06月26〜29日


46年08月09〜26日




46年11月01〜04日




46年12月05日







再び新人養成合宿を八ケ岳に変更
  北八ケ岳は深くまで車道が入り,その自然が失われつつあるが,それでも春に芽吹く木々,
    その木々に間に望む湖,残雪の豊さ,新人にとっては正に春山の良さを十分味わう事ができよう。「合宿前文より」,

雪上技術山行,谷川マチガ沢s状手前
  二年生,男子2p,女子1pに別けキックステップ,アイゼン,ワカン,滑落停止等行う。L田島,sL小原,m2年生以上19名

夏合宿,全パーティ途中下山
  終盤に三俣蓮華で1年部員が急性盲腸と診断されヘリ救出を求めるもガスで動けず,自力で新穂高へ全パーティ下山する。
    病名は「大腸カタル」と判明, cL田島,L小森,sL布施,m4名
  現役在京連絡本部ではなく大学から直接連絡を受ける。学生部々長,甲籐氏には感謝に耐えなかった。

立教祭参加
  「気象」をテーマに発表,別にトウモロコシ出店を4号館前にだす。
部報「峠」7号,11月01日発行,編集飯田哲夫,島田良子
  「ある山行」松村

技術山行,武能岳東面
  雪上訓練と懸垂訓練, L松村,sL田沼,m山下,和泉

46年12月11日



47年04月




47年12月16日
 
48年04月










48年10月







49年3月16〜24日






49年04月







49年04月27〜28日

映画「白い恋人たち」,「短くも美しく燃え」上映
  販路見付けられず負担増大,部報「峠」8号の資金獲得行事ならず。構内「タッカーホール」


春期ツァー合宿
  荒天に恵まれ全行程を完遂する事ができた。


執行部,島崎,剣持,長谷川,吉武,石戸,布施,石黒,青山(富沢),保持,今井

部報「峠」8号発行,編集松本雅夫,金城盛一

s48年度定例総会
  流れは組織より個人へと進み,クラブのまとまりが崩れだす。

  集団の中に孤独を感じ始め,無届山行,無断不参加なだが増加,統一が取れなくなる。企画山行を中止
    cL和泉,sL発知,m広田,小坂,松井,木下(棚橋),三浦(小田),富田(湯沢)

  関東ハイキング連盟を3月に脱退
    清掃ハイクなどそれなりの実績はあるが,パート会,定例会,他の大学との部単位の交流など望むべき状態にあらず。

  現役指導員,飯田哲夫(s46卒)

臨時OB会総会開催
  ob80名に及ぶ会員を効率的に把握するべく幹事制度を設ける。

  又全てが現役負担であった通信費,部報代等をob負担とする。会費徴収状況50%程度
  新規約及び新組織を承認
    会長小林(s37),理事工藤(44),副理事松村(43),現役指導員飯田(46),監査役鈴木(43),開沢(45)
  創立15周年


春期ツァー合宿
  一切経,栂森山,鉢森山,cL和泉,sL発知,m17名
    偵察山行,s48年11月22〜25日,L和泉,sL宇塚,m4名

  例年なら2月下旬に行われていた合宿が,学費値上げ反対,ストライキの為,期間が繰り下げられた。
    今年は慶応WCの合宿と重なり緑樹山荘が使えず,付近に雪洞を掘り一切経を目指した。


s49年度定例総会
  規律,統一が取れなくなり,クラブ内の問題から個人へと状況は変化する。

  安全かつ自信を持つ山行を行う事を目指し,前半は基礎技術習得,夏合は地域研究,秋合に応用山行を行う。
    cL宇塚,sL羽崎,m宇塚(山下),中川(佐瀬)

  OB会役員改正,会長小林(s37),理事工藤(44),副理事飯田(46),現役指導員石戸(48),監査役鈴木(43),開沢(45)


雪上訓練,越後足拍子川右俣
  L宇塚,sL羽崎,m14名

  最近余りにも事故多く,軽いとは云え雪上訓練から実行した。参加者全員が私が卒業してからの後輩である。
    OB見城氏にも参加を求める。
                                                  現役,昭和40年代の山道具,

49年05月12日


49年11月17日


50年02月26〜06日





50年03月31日












50年12月23〜29日



51年02月25〜04日





51年04月


51年06月06日





51年12月22〜26日

52年03月01〜08日







52年04月




52年12月22〜26日


53年02月28〜06日



53年04月




年02月28〜06日


53年08月30〜01日

s49年度定例総会
  同一日にOB総会も催される。懇親会は「5号館コモンルーム」

RHC創立15周年記念パーティ
  ob35名,現役23名,学生部3名の出席を頂き開催。八丁堀「鉄道弘済会館」

春期ツァー合宿
  一切経,栂森山,鉢森山,高倉山,(五色,緑樹山荘), cL宇塚,sL山下,m14名,ob田島

  二年強化合宿で大量の退部者をだし,執行部員3名に二年生の経験不足で悲惨な組織形態となる。
    初歩的な雪山技術を学び,来期の経験者育成の為,又行動範囲を維持する為にも,一切経2p,他は3pと変則を組んだ。

s50年度定例総会
  1昨年の二年部員の大量退部,昨年の執行部員の退部等により下級部員との意思疎通が1本にできず,

  分裂,退部の最悪の事態となる。RHC山行の原点に立ち戻し,種々の原案を二年生以上の部員に提示,理解を求めた。
    cL永野,sL石田

  部報「峠」10号発刊,編集和泉政幸,山下輝一郎 
    OB会活動報告,方針,及び会計報告,予算,規約等を記載。
    「無限カノン」石田晃裕,「夏の日の殺人未遂事件」村上尚,「創立15周年によせて」小林隆志
      「新雪,残雪,氷河」富山貞男,「越後魚野川その一支流」松村進


  49年度卒をもって
OB,OGは100名になる。

冬合宿を菅平に変更
  今まで慣例だった戸狩から変更。根子岳へのツァーを計画するも雪不足で技術習得も間々ならず,雪を求め行われた。
    L宇塚,m18名,ob田島,発知,

春期ツァー合宿
  家形山,(五色,緑樹山荘),鉢森山, cL永野,sL石田,m15名
    先発隊偵察2月23〜25日,高倉山,家形ヒュッテ

  合宿は3pで1pは女子10名の大所帯となる。
雪不足でスキー靴によるケガ人が続出,高倉山,鉢森山断念した。

s51年度定例総会
  覇気を喪失したマンネリズムを除去すべく執行部方針の主眼点を据えて年間目標を定める。 cL大塚,sL富岡,

家形ヒュッテ解体
  5人の職人が吾妻山荘に泊り,雷雨の中作業を続けた。
    土台は確りしており,太い柱がなかなか倒れず苦労したとの事。野原森尾氏


その後,家形ヒュッテは家形避難小屋として再建される。10人収容

冬合宿,再び戸狩に変更,cL永野,m26名

春期ツァー合宿
  家形山,鉢森山,高倉山,(五色,緑樹山荘), cL大塚,sL富岡,m24名

  執行部内でスキーと山を異次元で捉え,山の要素を無くした新しく春合宿を創造しようとする考えと対立する。
    現役部員に未経験者が多く,又質的レベルに対する不安材料が多く存在した。
  結局,ob,先輩,次期執行部の考え方を総合し,春合宿は一代の思惑などで簡単に変えられるものでなく,
    従来の形態を維持する事に専念した。

s52年度定例総会
  安全を第一に自分達の実力に応じた登山活動を行う事を年間目標とする。

  技術不足から昨年度同様,運営委員会を設置する。(4年及び2年企画山行以後),cL中村

冬合宿を野沢に変更
  戸狩が雪不足の為,急遽野沢温泉,上ノ平に変更。その為スキースクールに下級生は入れず。m三原,他21名

春期ツァー合宿
  賽ノ河原,鉢森山, ob村上,4年1名,3年3名,2年7名,1年5名,計17名

    執行部の経験不足により雪山の厳しさを再認識する。賽ノ河原,鉢森山,雪洞,ワッパ訓練

s53年度定例総会
  創立以来の活動の流れを直視し,その方向に沿った活動内容の維持,拡大発展を目指す。

  新人17名を獲得,部員総勢41名となり,合宿,個人山行と幅広い山行が行われる。L清水,sL鈴木

冬合宿は戸狩21番荘に変更
  最近の傾向として雪不足に悩むが,如何にか日程は消化する。sL清水,m27名

越後浅草岳, m大川,松村
  翌年,左足首脛骨と腓骨をともに複雑骨折,山と遠ざかる

54年03月01〜08日





54年11月23日


55年02月24〜02日








56年02月25〜07日









59年06月03日


春期ツァー合宿
  家形山,鉢森山,高倉山,(五色,緑樹山荘),ワッパ訓練, cL清水,sL鈴木,m27名

  今年は積雪が異常に少なくツァーに苦労する。家形山は2泊で3p,鉢森山,高倉山は変則1pずつだす。
    ワッパにより訓練と高倉山登山

創立20周年
  部報「峠」11号発行(,s49〜53年度),編集岡崎,市川,鈴木

春期ツァー合宿
  家形山,鉢森山,(五色,緑樹山荘), cL塚越,sL加藤,m24名

  冬合宿の技術を更に向上させ,ゲレンデスキーから一歩進んだスキーツァーを行う。
    降り続いた積雪と経験不足でラッセルも間々ならず。家形山はヒュッテでスキーデポ。

  雪崩に遭遇,
    2月25日,先発隊が高倉山立教ルートを滑降中,表層雪崩に遭遇,3名が軽傷を負う。L万代,sL大出,m6名, 山本提供

春期ツァー合宿
  一切経山,鉢森山,高倉山,(五色,緑樹山荘),本年は数年来の大雪となる。cL山本,sL浦島,m19名

  一切経山へは家形避難小屋にスキーをデポ。ワカンを付けガンチャン越え家形肩より壷足で合宿最後の一切経山に立つ。
    高倉山もスキーとワッパによる登山。

  日記によると東海大小屋の南野氏がゲレンデ用靴使用を見て驚いた記述があり,当部が何時からスキー靴に戻ったか不明。
    ツァー用具との差は歴然であり,4年間のツァー山行は常に登山靴を背負っていた事になる。何故か?

  以後,吾妻連峰での春期ツァー合宿は途絶える

高尾山と子供達
  1984年(s59年)〜1991年間,子供達とハイキング

60年度

61年04月





61年08月03〜06日





62年03月15〜17日


昭和62年04月


1988年,s63年03月
平成元年


1989年04月


89年08月03〜16日



1989年08月05日



1989年11月15日


1998年

2000年07月23日〜



02年09月

03年


04年春


北八,新人養成合宿で蓼科山断念,8月夏合宿では途中下山する。

s61年度定例総会
  前年度の活動を受け,何としても以前味わった山での体験を後輩に伝えたい主旨で企画を立てる。

  新人養成合宿では各学年の立場を認識し準合宿に臨むも夏合宿で事故を起こしてしまった。
    前年,今年と2度にわたる夏合宿の失敗は秋の二年企画山行を中止,11月に夏合宿補充合宿を奥秩父で行う。cL沼田

夏合宿,全パーティ途中下山
  3pに分かれ大町から入山,滑落事故で下山命令をだす。剣沢を長次郎雪渓と間違い滑落し
ヘリで救出。
    女子pは新宿集合した時点で事故を知り,合宿を断念する。全obに報告書を発送

事故後,大学は山関係10団体に遭難対策を求める。

雪上訓練
  谷川岳天神平スキー場付近,L森(アルペンガイド),m12名

前年度の夏合宿に於ける事故によって山行技術,知識の不足を認識。
  又,装備,食糧等の山行計画を見直し「夏合宿の成功」と「個人山行の充実」を年間目標に果がげる。cL大嶋

雪上訓練
  3月14〜15日,美濃戸一赤岳鉱泉一行者小屋一美濃戸,L森,m7名
  3月21日,天神平⇔熊穴沢避難小屋付近,L森,m3名

h元年度定例総会
  一昨年の事故を念頭に安全を重視しつつ,以前の部レベルに戻し固定化を図る事を「目標」に活動計画を企てる。cL石川

変則夏合宿
  本年度の夏合宿は2,3年生のみの変則形式で4pが北アで行われ,数年振り集中地,新穂高に集う。
    続く1年生の補充合宿は8月28〜03日は槍周辺で行い,「完全なる夏合宿」は次期執行部に委ねる。cL石川

s43年度同期会
  和田の段取りで新宿の「ステーキ店」と「クラブ」を梯子。大川,田沼,和田,松村
    親子富士登山を終え,新宿駅で子供と別れ参加

創立30周年
  部報「峠」14号発行,(s56〜61年度),編集島貫,菅野,青島

五色温泉スキー場,閉鎖

石川高明(h2卒),世界の山々を回る。
  インド・ストックカリン/6,153mを皮切りに,ネパールのあまり知られていないトレッキングピーク,中近東の4,000m〜6,000m峰
    ヨーロッパアルプスの縦走ルート,中南米の5,000m〜7,000m峰を踏破

OB親睦会開催, 五色温泉「宗川旅館」

池田昌史(s41),2年前茅野に移住,八ケ岳山岳ガイドに,
  NPO法人山の自然学クラブ指導員,日本山岳ガイド協会認定ガイド

s43年度同期会
  数年振り池袋で催す。日野原嬢に回復気味の田沼,和田夫婦に大川,松村,「池袋ライオンズホール」

04年11月14日 創立45周年記念行事
  小林,青木,保坂・・・藷先輩の懐かしい顔々が現れる中,後輩,新崎の独特の笑い顔も懐かしい。
    十数年振り会合に出席し後輩達には怒られ続けている。西沢,田島と交代で現れては謝り続けていた。
                                          160名参加,「立教大学第一学食」
  会食後,現役によるキャンパスツァー
    次期主将より雪山装備不足と技術低迷問題を投げかけられる。
  前日は富山さんを囲み渋谷で一席を設ける。田中,吉永,池田各先輩と田沼,松村


  
                                          時計台を背に,長老になったOB,OG達



  懐かしい時計台




  田中先輩と良き後輩達
   右より旧性,沼津古田,伊藤,西沢,田中先輩に豊永,桧垣,新崎の顔々

     私の通学中建設されたロサ会館, 周りの鮨屋,お茶漬け屋もなくなり,大きな喫茶店は全てが替わっていた。



                                                                                                  2005〜2009年RHCU