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中秋南ア,北岳〜塩見岳





三たび北岳へ,短いリーダー
静寂に満ちた仙塩尾根

北岳小屋鹿塩の里

            ,
池山お池小屋Ts


          
池山吊尾根から北岳,塩見岳へ長閑な山波を味わう
                          s41年(1966年)10月07〜12日, m松村進,大川崇夫,和田一男,三浦俊彦,鈴木輝雄,田沼栄一





      リーダー養成合宿
   男子リーダー養成合宿の目的は山行の企画,運営を実際に体験する事から始まる。
     その点から考えれば本年度の我々の合宿は成功したと見ることができよう。

   企画においてはその候補地の選定にあたって意見が二分した。
     しかし,これは悪い結果をもたらすものではなく,かえって有意義であったと思う。

   何故なら山行目的にかなった山を選定することは,リーダーの第一の要件だった。
     リーダー,サブリーダーは毎日,順番で交代することとした。
     必ずとも適当な方法とは思われなうが,現在の合宿形態ではこれ以外に見当たらない。

   合宿中,その日のリーダーの下,我々はダレることなく行動した。
     まとわりのない2年ではあるが,この合宿中は殆ど問題は起きなかった。
     幕営内での話し合いはその内容はともかく,チームワークの強化には役に立った。

   具体的には北岳ピストンの際,悪天候にもかかわらずツエルトを持参しなかったため,全員がかなり濡れてしまったこと,
     ガスのため径に間違ったこと,テントサイドの設定等,学ぶべきことが多かった。

   その反面,全員が2年部員であることから仕事は役割の分担だけすればよかったし,
     行動時間を短縮した時間的余裕から,秋の南アルプスを楽しめた合宿であった。 和田一男,


      倦怠期登山
   10月上旬でRHCに入部して18ヶ月が経ち,山に入る誰もが一度は衝つかるピーク・ハンターに対する倦怠期になっていた。
     殆ど縦走が取られる合宿に一種のマンネリをみる。
     下級部員として一応の技術を身に付けた僕等には,導かれる事に一種の意欲を失っていた。

   この時期,リーダー養成合宿が行われた。
     山行全てに自ら責任を負い,部は山行に対する認可と報告のみとする。リーダーとして同期のみが体験する山行になる。



        深沢下降点―池山―北岳―間ノ岳―塩見岳―三伏峠―鹿塩

10月07日,
8日,
9日,
10日,
11日,
12日,
新宿=
甲府=芦安=深沢下降点―池山御池小屋c
Ts1―北岳―北岳小屋跡c
Ts2―北荒川岳南東部水場c
Ts3―塩見岳―三伏峠c,
Ts4―鹿塩=伊那大島=辰野=新宿



     深沢下降点―池山小屋

      10月07日晴,  新宿23:45,学¥400=
         08日快晴, 3:30甲府6:05,山梨交通荷含¥195=6:56芦安,ト¥300=7:35深沢下降点一12:08池山小屋テ1,


   深沢下降点,野呂川の河原は初秋とは云え,斜陽する朝方の強い陽射しに照らされていた。
     葉々のうっそうと生い茂る樹林帯を縫う登行は残暑厳しく,対岸の樹林群も,まだまだ緑豊かで秋早しの感を現わしていた。
     山陰の野呂川の河原は少し肌寒くもあるが,澄み切った空気はまだ夏山の臭いを嗅いでいた。

      入山
   朝食を済し各々,身支度を整えて頭上の野呂川に架かる吊橋を渡る。
     揺れ動く吊橋に鎖ザイルが軋み,足元の清流は瀬々らぎの音色を立て眩く,白石を滑めるよう流れていた。
     暑さとは別に渓はもう秋の風物になり掛けている。

   急斜面の樹海に小径が這い上がり,それを追う僕等は次第に渓流を眼下に遠のけた。
     初っ鼻からツガの原生林で汗を掻くのも南アらしい。

   一本取って「バテタ!」「バテタ!」とブツブツ言う仲間も同期の故,暗さはない。何か愚痴らなければと思っているようだ。
     僕も同じよう言葉を吐く,それは伝言するよう伝わって行く。

   人数が多いので,リーダーとなるべく山域を分担して経験する事にした。
     初日のリーダーは田沼だが彼は何かを伝えたいらしいが慎ましく口を閉ているのが面白い。

   胸の突くような急登もなだらかになると池山の尾根と合わさり,樹間が広がりシラベの林径になる。
     茶褐色に染った枯草に,敷き占められた小平地が幾つか続いていた。

   そして白樺の幹皮の白さ。空の蒼さに目を奪われ,全てを澄み渡っらしている空気。
     高度1600mの違いが,中秋の装いを凝らし山を変え出していた。
     池山の台地はもう夏の緑々した姿もなければハイカーの群もなかった。



      池山お池小屋

   涸れた池の淵で昼食を摂る。
     干し上がった池底に底割れ目が入り,ひび割れした裸土と枝に落葉が合わさり,冬近くを思わせる。

   昨年は白根御池経由で入っている。今年は池山吊尾根から,ここ池山に宿り塩見岳への径を選んでいた。
     昨年と同じよう地割れした枯草に寝転び,倒木に寄り掛かりながら,秋の山気をも充分に吸い込んだ。

      水場
   小屋前に張った天幕から水場までかなりある。靴を引っ掛けて顎の出るような坂径を下る。
     バカバカ口の開く靴は今にも抜けそうになり,根に引っ掛けないよう気を配り小切ざみに駆け下りた。

   小沢の流れに手を突っ込めば,ぞっとする程の冷たさが手に伝わってくる。
     ポリの水ではなく直接呑む湧き水はやはり美味い。降りて来た甲斐がある。
     直接口に運ぶと秋の味がした。否や,そんな気がした。

      炊事
   食糧,気象,装備,医療,渉外と各々苦手な係を請負ったが,食当には手の空いた者,全員が付く。
     初日はすき焼だった。合宿には不向きな献立だが,長い炊事と雑談を考慮し贅沢に組み入れた。
     ナベともつかぬナベに油濃い駒切れを入れシラタキ,ネギと入れていく。

   俺の味が正統だと各々が難を通すので,味は二転三転し複雑な味を増してくる。
     和田の甘党は砂糖をバカバカ入れるから堪らない。
     又醤油を注ぎ,つゆで一杯になったナベはザッコ煮になってしまう。それでもどうにかご馳走らしくなった。

   「頂きます!」まではよいが天気予報の時刻だ。気象だけは常に僕の係だった。
     一人,食事を中断し空腹を堪えなければならなかった。

     大陸に高気圧1026があるが関東南岸には前線が停滞して折,この影響を受け午後より雲多くなる。
     池山お池小屋は収容50名,毛布のみ有¥300,(7.1〜10.30,)




        池山お池小屋―北岳小屋

            吊尾根ボーゴンの頭より600mの北岳バットレス


      10月09日小雨後曇一時霙, 池山小屋Ts1, 7:35一11:00砂払いノ頭一13:30北岳一15:32北岳小屋テ2

      テント内で
   起きると雨が降っていた。朝食を済まし出るだけになっているが,今日担当の鈴木が独り悩んでいる。
     僕等はあくまで干渉せず,シュラフの上に寝転んでいた。

   その内,停滞なら俺の番だと和田が乗り込んできた。外には雨ともならぬ雨が降り注ぎ,二人を悩ましていた。
     和田の一言でパッキングが始まり,リーダーは元の鈴木に戻る。
     停滞担当の和田が言葉を吐いたのは,後にも先にもこの一言だけだった。


      森林限界
   雨上がりの根径の樹林帯は以外とはかどり,再び喬木帯を抜けるとガサガサした砂礫帯に入り込む。
     展望が開け這松が広がり,岩峰の突起した頂稜が白峰を招いていた。
     ジャリを盛ったような砂払の起伏が森林限界を告げている。

   今にも崩れそうな天気だが以外と北岳の全容が大樺沢を隔て眺められた。
     眼前には500m近い垂壁が帯をなし,幾つも鋭いリッジを広河原の谷底へ落としている。
     バットレス,重量感に富んだ底知れぬ魅力がこの垂壁に集結されていた。

      冬山へ
   冬にはベースキャンプにもってこいの場所である。
     尾根巾は広く適当な窪地に恵まれ,アタックする頂にファイトを掻き立たてさせられる。
     森林帯も目の先である。ワッパからアイゼンに変えアタックする場所でもある。

   雪山の吊尾根を考えると先々の尾根径は面白い。雪庇ができナイフエッジになり,1枚岩は如何しよう,
     風が出たらこの辺が1番ヤバイ,雪の飛ばされている所もあろうか。




     砂払いノ頭で

      雷鳥
   途中,雷鳥に会った。少し白っぽくなった羽が体から覗まれる。来るべき冬に備えているようだ。
     カメラを向けてもなかなか逃げない。

   それならアップで撮ろうと1mまで近寄るが,雷鳥もそれを見抜いているように2m位離れては,又停まる。
     まるでからかれているようだ。それを繰り返す。




  北岳山頂
   大川,鈴木,田沼,和田,私,

      北岳へ
   八本歯を過ぎるとバットレスがぐんと近ずいてくる。右奥は望めぬがこの垂壁に幾つもリッツジ,ガリーが落ちている。
     よく見るとマッチ箱の様なリッジの突先に白いヘルメットが動いている。
     攀じっていると思ったら,上にも下にもクライマーが岩にヘバリ付いていた。

   ガスが湧き始め霧雨になる。一瞬にしてバットレスは隠れ,灰色一色に変わる。足元の岩肌も濡れだした。
     みぞれ交じりの暗い北岳の頂に立つ。視界0,

   無造作に着たジャンバーも湿り始め,両手をズボンのポケットに突っ込んだ格好は,哀れな姿にも思える。
     僕等の傍では他のパーティがツエルトを被り,陽気な笑い声と共にラーメンの美味い香りを出してきた。

     分岐でツエルトを被り小休止。今日の予定は熊ノ平までだが天候と時間を考え,和田リーダーは早くも旧北岳小屋に天張った。



     山小屋とテントサイド

      懐かしい山小屋
   雨の上がったガラ径を20分程下りと旧北岳小屋にでる。
     数年前高校生の折り,訪れた時は煙の昇っていた山小屋は荒れ果て見放されている。

   台風の為,数日間いぶされぱなしだった懐かしい小屋だった。
     昨年同じ頃,「北岳稜線小屋」を建立していた。それが1年も経たぬ内,旧山小屋は扉もなく床は破れゴミ小屋化している。

   壊す登山者も,見過ごし放題の管理者も,何かが可笑しい。汚い残骸だけが残っている。ジメジメした悪臭から離れ天張った。
     夕方,陽が差し出したものの,真向かいに見えるはずの富士の秀麗は,とうとう見る事はできなかった。

      不可思議な疑問
   食事を終え陽もとっぷり暮れて,寝ようと身の周りを片付けていると小屋番が現れた。
     何の用だと思う間もなく天幕代¥1200を取られる。

   一昨年まで使用していた山小屋は哀れにも破壊されている。小屋番からも放置された小屋,それでもテント代を徴収されたのには驚かされた。
     旧山小屋は見放されゴミ化されている。まして北岳小屋は個人所有ではなく,公が管理者である。

   廃墟され骨組みのみ残る小屋。周りは悪臭が漂っている。代金を取られると思い,わざわざ下で天張った。
     徴収するなら清掃するぐらいの時間はある筈である。放置のゴミを拡大させている。

   ただエレキが点々と照らしているのを見て,徴収の為のみに稜線小屋から降りてきた。
     ボロボロで小屋で形だけの小屋は無料。テント代は正規の領収書に記して受け取らされた。
     反対給付もない金儲け主義。判らぬ間々小屋番の言葉は返ってこなかった。塩見岳までの道中,テント代を払ったのはここだけになる。

     日本海には高気圧が張り出し始めるも,南岸の秋霖前線は以前と動かず。



      山行歴と北岳小屋経緯

   
s39年07月,「北岳肩ノ小屋」は稜線より300m下,
            小さい平屋木造で掘建て小屋の感あり,トタン屋根も多くを占めていた。
            詰めて20名,寝具なしシュラフ持参, 仙丈ヶ岳→北岳(大樺沢)
   
s40年10月,稜線小屋新築中,
            新北岳肩ノ小屋の棟上の折,中で昼食を摂る。「北岳肩ノ小屋」は営業中,
            稜線から小さな赤い屋根と煙が昇る煙突を見ている。 御池尾根より白峰三山
   
s41年10月,「北岳稜線小屋」開設, 旧北岳小屋分岐から中白根寄り200m,収容60名,毛布のみ¥350,(7.1.〜10.30,)
            従来の北岳肩ノ小屋は無料開放されるが荒廃し使用不可。
            脇の汚い天幕場は有料で可笑しくないか? 1人¥200取られる。今回,池山尾根より塩見岳,
   
s42年07月,北岳稜線小屋脇でキャンプ, 大樺沢より白峰三山

   s53年07月,再建され県立鉄骨2階建て,「北岳山荘」と改名,収容150人,1泊2食¥7900,寝具付¥5200,素泊り¥4200,テント80張,
            管理は芦安から現在はアルプス市観光商工課,

            最近の北岳山荘ウォッ地形図,輪で下る径,2700m付近が昔の「北岳肩ノ小屋」跡地点,稜線上はなにもなかった。
             白峰三山地形図




   北岳小屋―間ノ岳―北荒川岳東南部
         , 間ノ岳と和田


     10月10日,晴後曇 北岳小屋Ts2, 7:00一9:17間ノ岳:55一10:01三峰岳一11:40熊ノ平一14:29北荒川水場テ3

      間ノ岳
   急登の後は快適な稜線歩きになる。
     天気は良好,さすが白峰山は大きい。なかなか北岳は遠ざかなかった。
     半日遅れの行程も気にせず,雪投沢源頭を折れると,人も居ず我々だけの山と言う感じを抱かされた。

   谷間を閉ざした雲海に心をウキウキさせ,通いなれた縦走路が距離を捗らす。
     そして間ノ岳から西に折れ,三峰岳へと新たな未知の領域に踏み込んだ。




  北岳より間ノ岳,塩見への峰々




    白峰山より仙塩尾根
  井川越えウォッ地図


      樹林に囲まれた峠の山々

   仙塩尾根は三峰岳から岩のゴロゴロしたガラガラ径になり,一変して喬木帯の泥径になると井川越にでる。
     人影は全くなくなり樹林に被われた。熊笹が溢れ曲根の多い広葉樹が今にも滑りそうな裸径を綴っている。
     熊ノ平で目立つ紅葉を眺めながら昼食にした。やはり10月の南アはじっとしていると肌寒い。

   2000mを越す尾根上とは思えぬ,小さなコブを巻くと,ほとんど平坦なツガの小径が続く。
     真直ぐ南下する尾根径は,樹間の門前を何時までも潜っているようで面白い。稜線でも深い樹林に被われた。
     雪投沢源頭に天張る予定がコウモリ岳ピストンを取り止めたため,更に先へ北荒川岳へと足を伸ばす。




  間ノ岳より塩見岳,更に荒川三山




雪投沢源頭より,    ,


      僕はリーダー

   根の殆ど這わない土径は歩き易く,伊那上牧の裏山を歩いているようだった。
     僕の本当に好きな径は岩稜でもなければ湿原でもなく,こんな下界にあるような平凡な径かも知れない。
     よく踏み固められすっきりした広葉樹の喬木径,ラストから僕だけ少し離れて歩んで行く。

   気を付けていたものの阿部荒倉岳をあやふやで過ぎ去ると,ちょくら展望が開けた岩コブにでる。
     農鳥岳に突き上げる滝ノ沢の大滝がよく見下ろされ,ガスが湧き上がる様が見る見る広がった。

   再び樹林帯に入り込むと,高山に係らず同じような心休まる径が綴られ抜けていた。
     そして新蛇抜山の大ガレを過ぎ,ゴロゴロする沢のツメを横切る。ここが南アの中央か?と思えぬ程の森の中にある。

   厚みを持った雲は暗さを増し今にも雨粒が落ちそうだった。雪投沢はいかほど下ればならないのか?
     分からぬ間々,途中で北荒沢岳に整地された場所を見付け天張ることにした。
     実際,僕のリーダー分担は井川越えから一本取った,ここまでの短い時間だった。もう明日は大川の番に。

     高気圧が本州上空(上部)を通過した為,午前中良い天気となり,関東南岸の前線はその間々居座り続ける。




  
   北荒沢岳―塩見岳―三伏峠

                顧みた裏白峯, 塩見より北岳,間ノ岳


      10月11日,晴後曇一霰 北荒川水場Ts3, 7:10一8;52塩見岳9:20一10:05権右衛門岳一11:40三伏峠テ4

   茂みの縦走路,小径脇の天幕を畳み,小さな焚火から朝の煙が昇る。
     白樺の幹の間から見えるセロリアンブルーの空が鮮やかに焼け,合宿最後の3000m峰である塩見岳をめざした。

   北荒川岳の喬木帯を抜け,展望の利く這松帯にでる。尾根を鋭くくびれさせた南荒川が垂壁の源を塩見岳に突き出している。
     明け方の柔らかい陽を浴び始めたにもかかわらず,脆そうに見えるカブトの岩肌は黒光りして姿を現した。
     遠くからも気になる鋼鉄の板のような壁だった。

   尾根を境に雪投沢源頭は南荒川とは対照的に這松の滑らかな斜面が続き,這松が谷間いっぱいに広がっている。
     眺めるにはよい這松の緑のジュウタンも,近づいて見ると背丈が高く,体まで入ってしまいそうな幹林の空間が乱立していた。




                       塩見岳から仙塩尾根と北岳  


      塩見岳へ
   岩稜をパーティとして又,各々が自分なりに楽しんで登って行く。
     パーティとしてチームを作り,己に酔いながら歩むのだから面白い。
     ラストを歩く大川も気合と云うより,パーティに吸い込まれ自分なりに楽しんでいるようだ。

   ジグザグの巾狭い岩稜で1本取る。岩片の積み重なった縦走路にザックを寝かせ腰を下ろした。
     どんよりした雲は暑くも寒くもなく僕等を包み,紫煙が澄み切った冷たい空に昇って行く。
     煙草の煙が空気に吸い込まれ,消えて行く様が面白くパクパク吹かした。

   右手に深く陰惨なカブトを認めると岩径は傾斜を落とし,目の前に塩見の頂が現れた。
     塩見岳ウォッ地図




塩見山頂,    ,





  本谷山から仙丈,北岳, 中央,霞む甲斐駒


   ガラガラの盤状の窪地を下ると小さな塩見小屋に出て,樹林帯へと入って行く。
     疎林はやがて喬木と原生林の森に変り,権右衛門岳の山腹を巻くようになった。

      陰色
   陽は陰り霞みが被いだすと秋の日は弱い。空の色までもが弱々しく映る。
     長い陰も失われ侘しさが漂い哀愁に満ち,山の尊厳さも薄らぎ,山々は目立たぬひっそりした姿に戻りだす。
     風雨に打たれた岩稜や尾根,残り少ない残雪も,弱くなった日差しさえ,それらから秋の兆しを知る事ができた。

   もう直ぐ訪れる冬に備え樹木は,その落とすべき葉を落とし,枯葉が裸林の根を被う。
     ここは冬に積雪の最も多い所とされているだけに森林の深い山径だ。針葉樹の葉先も染りだしていた。





                             本谷山から三伏峠を


       三伏峠
   倒木混じりの藪径を下ると三伏小屋にでる。
     三伏川の広い河原には飯場のような無人の荒れ果てた小屋があった。
     残った柱は確りし過ぎる程立派だが,スス黒い板壁は所々破れ折れ,廃屋を示していた。その脇に天張る。

   山,最後の晩餐は豪華だった。
     霰がぱらつく中,まだ二日はもつ食料を食い荒らし,ご馳走はニーギリヤ,天ぷら・・・と続く。
     その為,胃袋には飯など入る隙間すらなくなっていた。

     朝鮮半島に低気圧が発生するも,まだ昨日の高気圧勢力圏内に入っており,天気は良好。南岸の前線は若干,東へ移動する。




      三伏峠―鹿塩

                               三伏峠より塩見岳,

      10月12日,高曇後本曇 三伏峠Ts4, 6:45一7:50尾根取付点一8:25塩川一10:10鹿塩,


    幕営弛から10分も登ると沢巾を狭ばみ峠にでる。新築したばかりの真新しい小屋が在った。

    和田をトップに鹿塩に降りる。
      南沢と小沢に挟まれた急尾根は湿り腐った落葉や枯枝,苔被う倒木のジグザグ径が続く。
      河原で,のどを潤そうと思い僕等は停まることなく駆け下りた。高度差800mを1時間で駆け降りた事になる。




     塩川下山
    鳥倉林道から見下ろす大鹿村
     鹿塩温泉ウォッ地図,左は鹿塩川沿いが秋葉街道


      塩川の河原
   あり触れた河原にも山を降りて来た瀬々らぎの声は快い。
     縦走にあれ程嫌気らいを起こしていたのに,気は晴々し全てが素直に思える。
     これからの山麓に心が惹かれ,友と語いが待ちどおしいのか。山で数日過ごせば下山は楽しいものになる。

      里道
   塩川に沿った小径を暫く行くと林道にでる。右岸に沿ってから鹿塩まで幾つか部落があった。
     そしてその何処もが狭い谷間の窪地を利用し稲作をしていた。

   道なりに導かれ歩くと里道は黄金の穂を棚引かせ,畔が狭い谷間いっぱいに広がっている。
     農家の庭先から小学校2,3年の女の子が,飛び出して来て僕等を見詰めていた。

   僕は里道を歩くのが好きだ。農夫に会えば話もする。
     そして1つの村を過ぎれば,次に村はどんな村どろうと想像をもする。歩む楽しみで距離など直ぐ縮まってしまう。
     道に迷ったとなれば自ら尋ねて行く。ここ鹿塩までの道は1本道だった。

      水呑むこだわり
   河原で水を呑む時は器で呑むに限る。
     山中では手でしゃくり上げるか,直接沢面に口を付けて呑むに限るが山里では違う。

   器物でも特に変わった物か,金物がよい。冷たい沢の水と共に金物の冷たい感触が一層水を美味くする。
     僕は大川のタッシュからヤカンをを取って,ヤカンの口先からラッパで飲んだ。

   T字路になった交差点の手前に石橋があり,その又手前左側に鹿塩の停留所があった。
     僕等はザックをベンチに置いて里の人となる。石橋を跨ぎ鹿塩川の流れを見た。

   暖かい秋の陽差しが窮屈だった体を伸ばし,体はザックから開放された。
     そしてそよ風が体を和まし下山の歓びに皆,浸りだしている。




   塩川の河原,    ,


      鹿塩の里 

      旅館
   バスの発車まで充分時間があるので鹿塩館「山景館」にお邪魔した。
     最初女将はくすぶっていたものの,交渉に悔あって風呂に浸かる。

   宿の裏庭に回るよう言われた。山を降りた汚い身に,如何にも慣れている言葉の言い回し方だった。
     ふて腐れたものの裏に回れば却ってよい事もある。
     直接部屋に入る事ができた。縁側から庭花を境に塩川の土手が続いていた。

      苦戦の風呂
   1番風呂を争って湯殿に入ったものの,湯が煮え返っていて,如何にする事もできない。
     裸になっている僕等はこの間々出るに出られず,湯殿の蛇口を一杯に開き,ある者はフタで掻き回す。

   湯気が濛々と立ち込め,それだけでも暖かいのに女将はまだ薪を足し湯を沸かしているようだ。
     その内,洗面用の蛇口からも桶に水を入れピストンし始めた。湯は冷めるどころか増える一方で,ついに溢れだす。

   早めに諦めた僕は部屋の戻り,縁側でビールの運ばれるのを待っていた。
     最後まで頑張っていた大川も,とうとう諦め湯船に浸かる事ができず戻ってきた。

   彼は実に50分近く湯と奮闘していた事になる。湯に浸からなくとも湯上りにビールは効いた。
     冷たい1杯が喉を快く通る。そして2杯,3杯と気は一層気持を大らかにした。
     仲間の顔が真赤になり,僕も頬がほてりだしている。風呂酒代¥2700,


   ザックを片肩に掛け停留所まで土手を歩む。何とも云えぬ明るさが体を少し踊らしていた。
     ほてる頬に撫ぜる風,下山にひたり身も心も全てが開放され心地よい。

   路線バスに揺られる。もう景色どころではなかった。雨の降りだす中,快い眠りが僕等を待っていた。
     土砂降りの音は聞いた。2つの大きな伊那の山波を越えるも,飯田線大島まで眠り続けた。

     鹿塩12:10,伊那バス¥190,=14:48飯田線伊那大島,学¥810,急¥300,=20:18新宿,




      35年振りの鹿塩

   2001年07月,高遠から阿智に抜けるのに伊那を避け,妻と鹿塩に寄る。
     国道R125とは云え,まだまだ深い山道に道は荒れていた。
     秋葉街道を抜け分抗峠への道,急カーブと視界の利かぬ山道が続く。

   村の中心部は,驚く程の立派な4車線のアスファルト道路になっていた。
     何十年振りの分からぬ鹿塩に昔のバス停を見る。
     公衆トイレができバス停も新しくなるが,場所は変らず同じ場所に留まっていた。

   後で思うに今回の気侭な道中,下山の折り,寄った宿,風呂を忘れていた。
     たぶん泊らなくとも寄った筈である。風呂を恋しく思った場所でもある。
     ほろろい加減で歩んだ塩川の土手もあった。

   山は深い。山沿いに縦断を続けると普通車も交差出来ぬ山道に戻る。勿論,舗装は凸凹道。
     伊那へ抜けるバス停前,雑貨屋で蜜柑を買い,ひらびそ高原より飯田へ抜けた。
     この道はまだまだ山里深い遠いい街道だった。

     2001年07月,南信,駒場の旅



      塩川登山口
   その後,三伏峠へは塩川登山道から登るのが一般的になった。
     近年は鳥倉林道が延びて駐車場も整備され,鳥倉登山口からが主流となっている。

   2006年には鳥倉線,伊那大島=鳥倉登山口間が大鹿村委託で伊那バスが運行,これに伴い塩川登山口へのバスは廃止される。
     ただし積雪期は塩川から入山,


     旧hp,PhotoHighwayJapan,北岳〜塩見岳
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