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   会津駒ヶ岳と尾瀬沼 
             会津駒ヶ岳を越え桧枝岐で同期会に参加, 2009年07月18〜20日,単独




    7,19,夜行で会津駒ヶ岳・中門岳,南下してキリンテ・・耳虫
    7,20,桧枝岐と真夏の陽射しを浴び尾瀬沼を周遊

        天候不順な一日,標高2000mの天空の楽園―高層湿原の会津駒ヶ岳から中門岳ピストン
        s43年度桧枝岐同期会山行・・天候が回復し蒼空が戻った尾瀬沼を周遊

      駒ヶ岳より初めての中門岳,

       同期会桧枝岐
   7月中旬に大川の呼びかけで同期会を桧枝岐で催し,尾瀬を散策する計画が立てられた。
     同時期に私は金精峠より根名草山を越え,日光沢温泉から黒岩岳を抜けるコースを仲間達に募っている。
     当然同期会を優先させ,和田の希望に合わせ19日,20日の連休を利用して行われた。私は会津駒ヶ岳の入山を兼ねて合流する。

   奥鬼怒コースはハイカーのが少ない時期に歩むに限る。連休で二の足を踏み,黒岩岳から桧枝岐へ抜けるコースを諦めて,
     私1人が前日夜行バスで東京を発ち,会津駒ヶ岳を越え,桧枝岐の宿で合流する形を取っている。

      会津桧枝岐に訪れるのは今回で4度目になる。
   初めて桧枝岐へ出向いたのは山に登り始めてから大分遅く,大学を卒業した後で,奥利根日崎越えを狙い,尾瀬ケ原,山ノ鼻にでていた。
     その時の相棒マタは初めての尾瀬ケ原山行で,尾瀬に惹かれ動かず,奥利根への径を諦めさせられ,尾瀬を横切り桧枝岐に下りている。
     桧枝岐から駒止峠越えの会津バスに乗り,会津田島にでている。夜行2泊3日の山行になっていた。

   国鉄滝原線,磐越西線を経由して郡山へ。当時は山口の街中心部以外は舗装されていぬ街道だった。
     又73年05月には清水峠から燧ヶ岳越えをし,カッパ橋に住む新津先輩の迎い車に合流し,会津駒の斜面をスキーで滑っている。

   その後75年05月には沼津の富山先輩と遠く六十里峠越えをして桧枝岐に入り,大杉岳を滑降,安ヶ森峠越えをして湯西川へ下ってもいた。
     それから35年の月日が経ち,大川の呼びかけで,桧枝岐で再び同期会が催された。


     7月18日曇, 新宿西口,尾瀬直行バス(JBSサン&サン,郡中バス,¥5.400,平日¥4.400,)往路夜発22:30=

      アプローチ
   満員の乗客48名を乗せた夜行バスは池袋経由で浦和ICから西那須塩原ICを抜けた。そして会津西街道よりR352へ。
     3年前大川と帝釈山に登るため,湯の花温泉へ向かったルートを再び遡る。車中は私を除く乗客全員が尾瀬を目指していた。
     私1人が途中下車,会津駒ヶ岳へ。

   指定された停車場はアルザ尾瀬, 登山口まで15分ほど歩く,休憩の道の駅「田島」で車掌と交渉,登山口までお願いした。
     返事は一発で分かりましたと言葉が返ってきた。聞いてみるものである。

   まだ夜明け前の白みが掛かる頃,滝沢橋登山口にバスは停車した。車掌は登山口の方向を指し「気お付けて!」と言葉を掛けて頂いた。
     お礼の言葉と同時頭を下げる。

   アプローチは列車の場合,東武浅草,尾瀬夜行特急23:55=3:18野岩鉄道,会津高原尾瀬口4:20=6:00アルザ尾瀬,¥5.100,
     
南会津への鉄道,交通経緯


    国道から林道に入った登山口
   左の登山届箱は届け用紙で満杯,5:26

    19日,曇一時雨,晴間の不安定な天気,
        4:20会津桧枝岐,滝沢橋登山口一4:40林道登山口5:10一5:45ヘリポート一6:30水場:50一8:05駒ノ大池:20一8:40会津駒ヶ岳,

      滝沢登山口
   国道352号線沿いの登山口の立派な道標は真近で見ねば分からぬほど暗く,まだ林道入口はおぼろな闇に閉ざされている。
     舗装された道に山靴の音か響き,霧雨が流れる無言の世界だった。登るに従い白みだし,車が何台も私を追い抜けて行く。
     小型バスも登ってきた。総勢50名は超える登山者が私の前を過ぎ去った。私は林道の巻道を直登,山径を綴り林道の登山口にでる。





   深いブナの森,5:54

   登山口の階段を登りカラ松林の斜面をジグザグに綴り,越えるとブナ林の中になる。直ぐ大樹に包まれるようなる。
     尾瀬,大杉岳山麓から東面に長く広がるブナ林の帯状の森,その端を横切るよう登っている。
     やや緩やかになり,途中にヘリポート跡と呼ばれる場所にでた。

   札板に「平成元年6月,必要に迫られ開設した救助用臨時ヘリポート」とあった。尾根幅はそう広くない狭い空地になる。
     ヘリでは降りられそうもない痩せ気味の尾根状だった。





   小雨降るブナ林よりシラビソの森へ,6:02

   オオシラビソの大木にダケカンバが現われだすと水場にでて1本取った。左手,上ノ沢側に200mも下ればチョロチョロ水が落ちている。冷たく美味い水。
     霧雨は大粒になり,雨らしくなる。木陰で雨雫を避け500ccポリ×2を満タンにした。





    会津駒ヶ岳と大戸沢岳
   下ノ沢右岸を詰める,7:49

   大きなグループ2組を抜くと右肩に樹間を透し駒ヶ岳本峰が臨められる。
     大戸沢岳に掛けての南面山腹と下ノ沢源六郎沢,その源流から広がる大きなブナの森が谷間の中腹から下を埋め尽くしていた。





   イワカガミ





    左下が桧枝岐村,見通川から小峠方面
   飯豊桧枝岐大規模林道の谷,8:02

      天候
   不安定な天気が続いている。
     既に本州では関東地方だけが梅雨明けを迎えているにも係らず,太平洋高気圧気団は弱く,連日雨模様を見舞われている。
     大陸を抜ける低気圧の東進が寒冷前線を南下させ,天気は荒れ模様。予想の付かぬ状況になっていた。

   麓,桧枝岐の天気は朝方より一日中小雨の予報がでている。それ故対策にはシャツに半ズボン。
     強雨の場合はカッパの上だけを被るつもりでいる。蒸す暑さが今日一番の強敵と思われた。

   それが霧雨から時折強雨に,更に途切れていた薄日が射し,ホットすると又雨は降り始めている。天空は概ね厚い雨雲に覆われていた。
     その雨雲は時には割れ,一瞬青空が飛びだすも再び閉ざされた。
     もう登り始めてから2時間半,7時になるも南方の山々は夜明けのように薄暗い。まだ闇の中だった。

   登る途中でも時には夜明けが再び戻ってきたような暗さになるも,薄日も射している。雨足も斑だった。それは登るには都合がよい。
     適ほどの降雨が体を冷やす。カッパを着るかどうか判断に悩む天気が続いていた。
     殆どの登山者がカッパを着ていた。長く続かぬ強雨が心強かい。





    湿原にでて南東方面の遠いい山並を望む
  
    拡大写真





   開かれた湿原と駒ノ小屋,8:18

   池ノ平に差し掛かると木道が現われ,樹海が切れる。その先は視界が開かれ伸びやかな傾斜の草原にでる。
     空に向い突き上げる赤い屋根の駒ノ小屋が草原の頂点に臨められる。昔と変わらぬ赤い尾根を見る。

   右側を綴れば駒ヶ岳,左へは大杉岳へなだらかな起伏の尾根が延びている。
     登って来た最後のツメは明るさを取り戻しさせる蒼空に変わってきた。草原の大らかさと青さに薄日が照りだした。





    大津岐山
   駒ノ小屋前の広い湿原から
    燧ヶ岳左肩が赤城山, 左肩が鬼怒沼山と日光白根山,
    燧ヶ岳の右裏が上州武尊山, 右に至仏山と景鶴山, 間の鞍部に吾妻耶山がある。根の右奥が大杉山





   駒ノ大池より南方を望む,8:51
     会津駒ノ避難小屋,4月下旬〜10月下旬,30名,素泊り¥3.000,自炊のみ

   駒ノ池湖畔に立つと池面も輝き,更に明るさを増している。
     南方しか望めぬ山々は逆光の煌めを受けている。自動のカメラは露出を絞り過ぎ濃い画像が映されていた。





    会津駒ヶ岳
   駒ノ大池より頭だけの影駒,,著後

      会津駒ヶ岳
   木道を15分程詰めれば駒ヶ岳山頂に立つ。只見川と桧枝岐川の大河に挟まれた独立峰的な山頂が姿を現している。
     更なる先は視界が開かれ,この駒ケ岳への尾根には過ってシールをスキーに付けで出向いた記憶を想い出させていた。
     40年近い昔の話だが曇天の燧を抜け,快晴の駒の上に立っている。燧ヶ岳とは違い雪原の広がる眩い雪山だった。

   又大杉岳を滑った時は春の雨に叩かれている。下山後の林道では残雪に拒まれ,峠を抜けるのに苦労した想いがある。
     鬼怒川に抜ける北側山腹の陰は残雪が多く林道を埋め尽くし,車の入山を拒み,車の進む前にスコップが活躍していた。

      眺望
   霞む北側の魚沼三山に時折中岳が頭を出している。裾の湖は臨めず。北方の峰々は灰色のガスの中だった。
     兎岳から綴られた越後山脈。背稜と平ヶ岳から至仏山に至る稜は綺麗な山波を描いている。

   南方の山々は更によく,燧岳右肩には上州武尊山が乗る。左肩には小さく富士山が見える筈だったが見付けられなかった。
     ただその左,皇海山,奥白根山,そして日光連山に帝釈の山々は以外によく綴られ望まれる。

   田代山から左奥には高原山,荒海山の山々,先に霞む那須連峰が聳え,昨夜闇の中を走った街道の谷間も遠く分かるまでになっている。
     ただ何処も輪郭だけで山名は判るものの深みの乏しい景色だった。


   登山口を早く発ったことが頂を踏むのを早め,8時半には立っている。
     更に中門岳まで歩みを伸ばせば,会津朝日岳から奈良田湖,その以北の浅草岳,守門山が望められるかも知れない。

   頂で記念撮影を何組かの人達に頼まれた。その折中門岳へ行けるか尋ねられる。「頂を踏むだけが目的なら行かない方がよい。」
     湿原の緩やかな起伏の尾根。何も考えずのんびり歩むのがよい。大河を挟む池塘と木道の雲上の尾根を。

   尾瀬と同様に特別保護地区(駒ヶ岳一中門岳間)に指定されている。そうすれば駒ヶ岳と共に心に惹かれる山となるだろう。
     運がよければ北方の山々も望められる。





    中門岳ピストン
        8:40会津駒ヶ岳,⇔9:30中門岳:45一10:30駒ノ大池10:50, 

   2094m肩より,9:22

   頂の樹林の中を抜けると湿原となり,穏やかに上下しながら池塘の点在する湿原にでて,眺望を楽しみながら歩む。
     単独行の男女が私に習い付いてきた。若い彼女は足元を見詰め,暫し高山植物をカメラに収めている。
     彼は花より私と同じ景色の方だった。早足で歩むには勿体ない頂稜の小径に出遇っている。木道を辿る先に更なる湿原が現れる。





    大戸沢岳
   駒ヶ岳本峰から分かち合う尾根,9:29

   滝沢からの登りでは大戸沢岳南面を見詰めつつ登って来た。ここでは御神楽沢を隔てた大戸沢岳西面を上から覗き込むようになる。





   ワタズケの花が散りばめられた木道径,9:29

   泥炭層が乗る木道は最も奥の頂まで続き,駒ケ岳山頂の混乱するハイカーとも離れて,静かな湿原の息ずかいを聞くようなる。






     中門岳

    
    池塘に咲くワタスキの花,9:50
            

   池塘を綴り行く先に大きな池塘があった。その脇が頂で大きな道標がある。
     斜めに傾いた道標には「この一帯を云う桧枝岐村」と言葉が添えてあった。短い言葉だが素朴で,この地域全てを悟らしているよう思えた。
     今にも壊れそうな小さな古いベンチがある。ただ駒ヶ岳で望んだ魚沼三山はガスに包まれ,北方全ての視界は閉されている。

       リンゴ
   今回も大きなリンゴを1個持参した。1人と云うことで中を妻に頼んだが1回では食べられぬ大きなリンゴを用意した。道中2度に別け食べている。
     水場で半分齧り,中門岳で残りを食べる。彼女も私に劣らぬ大きなリンゴを持ってきていた。

   ザックから取り出したリンゴを1/8位に切りながら一切ずつ食べている。慎ましく贅沢なリンゴの食べ方だった。美味そうに食べ私を見詰める彼女。
     「私もリンゴをもっているぞ!」と,ザックから取り出した間々,丸齧りした。共に苦笑い。私のリンゴは一層美味くなった気がした。


   戻るとガスに追いかけられ視界は全く失われた。駒ノ大池にでると明るい青空の下に返っている。
     カッパを着ている者は剥ぎ取り腕を捲くる。煌き輝く池畔は嘘のような強い陽射しを浴び,水面は浮かぶ白雲を映している。

      駒ノ大池々畔
   一番端のベンチに座ると2人も座る。好かったとみえ感謝する彼と彼女。彼女は20代後半,ニューギリアの山に登り,ジャワ島の山にも登っている。
     帰国して2年前から日本の山に登り始めていた。四季の日本の山が素晴らしいと。

   又使わぬストックを尋ねられた。長旅や一人旅の時,捻挫等万一の場合を考えて,最近では昨年の飯豊山で使っていた。
     彼からは富士山について。冬富士から始めたと語ると驚いていた。遠いい昔の話である。
     往路を戻る彼等を見送り,私は大津岐峠へと南方の尾根を取り,富士見林道をたどりだす





     大津岐峠越え
       10:30駒ノ大池10:50一11:50大津岐峠一12:20大:50一13:20小:40一14:50キリンテ=桧枝岐,民宿「奥尾瀬」h,

    大津岐山と大杉岳
   駒ノ小屋より, 中央左が燧ヶ岳,右は至仏山,11:11

   潅木に被われた狭い岩稜混ざりのガレ尾根を下る。暑さが増しネクタイ形清涼布が首の暑さを和らげている。
     燧ヶ岳を正面に迎え,稜線は約3kmに渡り,起伏の緩やかな湿原が尾根を覆っていた。

   1956m峰を越えると尾根幅が広がり,台地状の湿原を歩むようなった。
     ここから大津岐峠までの稜線は右側は低い潅木が覆い,左側は視界の開けた尾根径が続く。





    顧みる会津駒ヶ岳と中門岳
   右尾根が上ノ沢と下ノ沢を隔て滝沢からの登山道がある,11:41
    中央右が小さな緑の湿原,その上に駒ノ小屋がある,

   足元には梅雨が続き,まだ陽射しが足らぬ,しぼれ落ちたイワカガミの群生やコバイケソウを見る。ヤマトシャクナゲも花を咲き競うが今一元気がない。
     尾根径が桧枝岐川側に変わり,只見川からの風を塞いでいる。日は陰るが気になる暑さは相変わらず蒸し暑い。
     我慢に我慢し幾つもの湿原を抜ける。

   湿原を綴る径,駒ヶ岳山頂一帯は湿原に覆われ,北方は中門岳から南方の大津岐峠を前に,湿原が峠まで続き及んでいる。
     尾根からの只見川側はガスが湧き,国境背稜の山々は知らずして姿が見えなくなっていた。

   反対に扇状に広がる上ノ沢源流は裾野へと大きく落ち込み,桧枝岐川を挟んだブナの森が帯をなし綴っていた。
     その深い緑の森の谷間を尾根から見下ろすだけになる。対岸の尾根もガスで見えなくなった。





    燧ヶ岳
   燧ヶ岳とその下が大津岐峠,11:49
    右に至仏山と景鶴山,

   薄日に変わると何処からかトンボが現われ舞い集まり群をなす。そして陰ればいなくなる。その繰り返しが何度か続いた。
     追ってくるトンボか? その場のトンボか? 意外と長い間隔でトンボとの隠れんぼが進みながら続いている。





    大津岐峠
       
    再び雨雲に覆われた, 日崎山,ススヶ峰と重なる景鶴山〜平ヶ岳,11:59

   やや風が立つと共に,再び一瞬にして厚い雨雲に覆われた。雲は何処から来たのだろう。雨を伴い風も強くなる。
     大津岐峠にでて闇の空に変わった。雷鳴が落ちてきそうだ雰囲気。昼食どころではなくなった。まず風を避ける所を探さねばならない。

   この間々真っ直ぐ尾根を南下すれば,昔スキーで登ったことにある大杉岳へでる。その大杉林道を分け,左へ折れた。
     霧雨は小雨に変わり,重くなった足を庇いながら駆け下りる。峠から下ると直ぐ潅木帯に入り,滑り易い粘土状の径を休むことなく早足で歩む。

   それ程経たずにシラビソの林を潜る。幹の太さは下るにつれ太く,仰ぐ樹林も多くなる。ただ小径に踊場的な所は見られなくなっている。
     径の平らな雨雫の防げる大木を求め,一気に下り走る。





   オオシラビソの森,13:08

      大休止
   下ること30分,白樺の大木の下に昼食のポイントを見い出した。ただ細い1本径。
     幅40cmにも満たない裸土,両端は樹葉に被われ,雫を一杯樹葉に留めている。まずザックからコンロ,食糧を出しザックに腰を降ろす。
     献立はチーズパンにコンソメスープ。沖縄産プリマハムの塊を交互に齧り食べた。

   コンロは手の命一杯届く先に置き,ビニール袋をテーブルクロスに見立てセットした。時折大きな雨雫が落ちてくる。
     ハムは年のせいか豚脂が強すぎ,味を付け料理せねば食べられたものではなかった。ただ口直しにした紅茶の香りは楽しめる。

   歩む時はゆっくり歩いたり,早足になり,休む間も色々工夫できるが,1人での食事は寛ぐより手の動きの方が豆で早くなる。
     コンロを点け湯を沸かし,沸くまでにスープの用意とパンやらハムを出し,昼食に食べる全ての食物を目の前に揃えた。そして摘み食いもする。
     湯が沸けばスープができたと,待つことなくフーフー言いながら口に運んでもいた。

   焦ることはない筈であるが,この動作は一連的なもので,パンもくわえていなければ落ち着かない性分がでる。
     昔のようにガツはない筈だが同じことを繰り返していた。1人で摘み食いもなかろうし,焦って飲むスープでもない。
     パンぐらい上品に齧れた筈である。

   時間もあり予定も殆どを終え,のんびりすればよい。食事を終えた後から常に思うことである。そして食事を終えた。
     焦ってはいないが,この行程を全て終えるまでは心の何処かかで隙間を作り落ち着かなかった。終えて悦びか?
     それからゆっくり最後に紅茶の香りを楽しみ,濡れぬよう手で庇い煙草を吸う。





   長い直線の径が続く

   やはり食べれば元気になる。ただ足は重い。きつかった靴紐を締め直し,ブナの森に入る。
     1754mから派出する南側に延びる尾根をたどる。長い長い上滝沢寄りの1本径を進んむ。
     緩やかな傾斜の落葉散る径が延々と続き,疲れた足を和らげる。この径は落差より距離を稼いでいた。

   1本の真っ直ぐたどる枯葉径は左手が山側となり,茂る枝木の雨雫を葉一杯に溜め,過ぎれば浴びた。シャツの左肩,袖がビショビショになる。
     大枝は左手で掴み庇い,雫が落ちぬよう工夫するも雫は度々落ちてくる。

      耳虫
   濡れる頭を避ける意味もあり,左手の甲で時々庇った。そのタイミングが左耳を庇う形となり,耳の中に虫を誘い込むようになる。
     手の内に当たった虫が逃げ場を失い耳の中に入り込む。暴れる虫にザックを放り出した。

   コヨリを作り刺し込んだり,片足でちんちんして落そうと試みる。
     だがどんな動作を加えても虫は耳の中でジッと堪え,止めると暴れだす。虫の羽ばたきが耳膜を強く刺激した。

   雨が一瞬止み,陽光が樹冠を通し私の顔を照らしだした。早速耳口を陽光に向け,射し込む光を耳に誘い込む。
     周りに誰か居たら,無様な格好で体をよじる姿は滑稽そのものに思えるだろう。
     光が耳に入り込む姿勢を繰り返し耳口を塞ぎ,耳中を真っ暗闇にして又開けた。

   考え方はよいと思うも虫は出ず。耳たぶを引っ張りながらチンチンを繰り返している内,虫が出た。
     やはり手の内に当った黒い小さな虫も,助かったと羽ばたきをし飛び去っている。暴れた様子からは分からぬほど小さな虫だった。

   ホットする私,何処くらい時間を費やしたか分からぬものの,安心して1本取り腰を降ろしている。
     ブヨのような小さな虫でも体に入ると怖いものである。不思議と歩き始めた時,陽は又閉ざされていた。





   再びブナ,ミズナラの森へ,13:47

      呆れた傷口
   下り方,ブナの樹皮に鉈で文字を刻みつけた大木のブナの幹を点々と見ている。
     古いが醜い姿は今に至っても同じ姿で目立ち過ぎ情けない姿になっていた。
     自分だけが分かる目印として,名前や命題が鉈で彫られている。落書きとしか思えぬ印は大木に何本も彫られていた。

   過って鳥甲山や朝日岳の麓では,登山道を綴る道脇にブナの幹に刻まれた印を数多く見ている。
     それらのは熊を撃ち留めた印として,マタギがその場所に月日,風袋を細かく彫っていた記録とは異にしていた。

      メガネ
   先月メガネを取り替えた。乱視が強くなったと思っていたが,近眼,老眼が共に進み,2年半で取り替える破目になる。
     新しいメガネに替え初めての山行。登ると視野が広がり踏むべき所がよく判る。下りは更に威力を発揮していた。

   前のメガネでは感で歩んでいたようで恐ろしくなった。それ程視力は衰えていた。
     夏は内側から汗をかき,冬はゴーグルも付けられぬ不便なメガネだが,煩わしいも私には今,体の一部としてなくてはならないものになっていた。


   尾根を越え反対側にでて,滑り易いジグザグの急坂を下れば次第に沢の瀬々らぎを聞くようなる。
     小雨が再び降りだした。カサカサ葉に擦れる音を聞きながら,最後の活力にとアミノ酸バイタルのチューブを吸いながら下る。キリンテ沢右岸の径を,

   そして小さな木橋でキリンテ沢を渡れば桧枝岐川沿いの登山口にでた。
     駒ノ大池からは桧枝岐キリンテまで誰一人会うこともなく,10時間の旅を終えた。
     広い河原で大フキの栽培畑にぶち当たり,その中を抜ければ国道のキリンテキャンプ場にでる。





   キリンテ沢右岸の下り径,14:34

   国道にでた途端,本降りになった。下山の知らせを大川に。雨粒の跳ね返しが酷くなるも,傘を差し待つ間もなく黒いベンツが現われた。
     そこで運転する大川と,鈴木,田沼の頼もしい笑い顔で迎えられた。彼等は宇都宮に集合,つい先程桧枝岐村に着いたばかりだった。
     これから同期と宿での酒盛りが待っている。

      キリンテ
   キリンテと言うカタカナの言葉は宿の人でもその由来が判らなかった。昔からそう呼ばれていたと言う。
     かつて檜枝岐の人が大津岐地区の開墾を行った時に通った道の起点であり,私の下山路だった。

   キリンテやヨッピ川と言う奇妙な響きの地名が存在し,国土地理院の地図にも記載されている。アイヌ語か?
     語源は不明,かつては「麒麟手」という当て字も用いていたそうだ。ただ誤解を招くので今はカタカナで統一されていた。


     7,19,会津駒ヶ岳・中門岳からキリンテ
     7,20,桧枝岐と真夏の陽射しを浴び尾瀬沼周遊