多摩水源の山々・・丹波川流域


    東京都水源林
     多摩水源の大部分が現在東京都水源林になっているが,これは明治以降の歴史に刻まれ今に至っている。
   多摩水源の山々は江戸時代には御止め山(禁伐採)になった所も多くあり,大方は幕府の御林山であり入会の慣行があった。
   明治になり御止め山の制度が廃止され,御林山となっても依然として入会伐採,盗伐が行われ,森林と荒廃は年を追って激しくなっている。

     明治33年,宮内省から丹波山,小菅両村全部,川村日原川沿いの御料林を東京市は譲り受け,民有林を含め保安林に編入されている。
   しかし落合,高橋地区の御料林は世伝御料地(皇室の世襲財産)で用意に払い下げできず。明治36年,御料林及び府有林の保安林編入を申請し,
   明治43年に市自ら経営することになる。

     明治45年,22万円で東京府経営林全部を譲り受け,5月には既に山梨県に御下賜になっていた萩原山御料林(恩賜県有林)の多摩水源に属する部分を
   12万で譲り受け,ここに水源林経営の基礎を確立している。


    恩賜県有林
     明治40年8月,43年3月の台風による山梨県の大水害を契機として,治水論は治山論から更に御料林還付問題にまで発展し,
   明治44年3月に明治天皇は県内の入会慣行のある御料林全部を県に御下賜になる。
   これが山梨県恩賜県有林財産,一般には恩賜県有林と呼ばれ,山梨県の林野面積の半分近くに及んでいる。
   我々が甲州の山々で目にする「恩」と刻まれた石標,コンキリート標は恩賜県有林の境を示す標石になる。・・「甲斐の山山」小林経雄著の略文

    多摩水源の山々・・小河内貯水地の水道水源林地と林道図 奥秩父連峰Top



     甲武国境・・・雲取山石尾根七ッ石山〜笠取山
        雲取山と石尾根周辺Top 
        1967年09月, 飛龍山一ノ瀬川大常木谷遡行,ミサマ尾根経由丹波・・街道と会所小屋で野宿・・飛龍岳南面地形図 丹波川上流,北岸の山々絵図

     丹波川流域北岸の山・・・甲武国境以外の丹波川北側の山々と丹波川源流,柳沢峠
        1967年09月, 飛龍山一ノ瀬川大常木谷―飛龍山からサオラ峠を経て丹波・・雨天に見舞われ2泊の野宿
        1969年06月, 前飛龍丹波川小常木谷遡行,岩岳尾根,茅谷尾根下降・・丹波・・遅い闇夜の渡渉
        2008年04月, 「ほったらかし温泉」から大改修中の青梅街道を,柳沢峠越えし青梅へマイカー
        2014年11月, 柳沢峠から鈴庫山―藤谷ノ頭市界尾根から赤岩御殿,棒抗,二ケ引ノ頭を経て笛吹川三富へ
        2015年09月, 黒川鶏冠山,伝通院山,墨川山へと水源林巡視路,防火帯を綴り,倉掛山の西尾根から峠沢左岸旧道・・
柳沢峠〜川鶏冠山,古典概念図

     丹波川南岸の山・・・柳沢峠から鹿倉山,大寺山の長い稜線・・小菅周辺案内図
        2009年09月, 藪被う大菩薩連嶺北尾根から泉水沢横手山林道を下降・・丹波
        2013年11月, 紅葉を求め中指山南東尾根,丹波大菩薩道から2度の大菩薩嶺北尾根―小室川と大黒茂谷源流に丸川峠

        2013年11月, 冬木と紅葉を求め富士見新道から小菅川源流径路からアカドチ沢右岸尾根・・小菅林道,県道
        2014年11月, 中黒茂沢から小管川左岸中腹道と丹波大菩薩道からサカリ山大指尾根・・水源巡視路を歩む
        2015年10月, 柳沢峠―天庭峠―清右衛門尾根―エンマ御殿―丸川荘h―大黒茂谷分岐―北尾根三ノタル⇔中沢桟橋崩壊,―大室川左岸道―落合

        柳沢川の分水稜,重川右岸流域は奥秩父連峰Top, 左岸流域は大菩薩連嶺周辺Topに分類

                                                                              大菩薩連嶺周辺Top

     大菩薩嶺北尾根周辺
        2009年09月, 丸川峠から大菩薩嶺北尾根を下り小室川出合―泉水横手山林道から丹波の集落へ
        2013年11月, 高指山南東尾根,丹波大菩薩道から北尾根横断。大黒茂谷源流で野宿し,再び北尾根1980m圏コブ北東尾根を詰める。下山は丸川峠
        2015年10月, 柳沢峠から天庭峠,清右衛門尾根,エンマ御殿を経て丸川荘h―大黒茂谷から北尾根三ノタルを横断・・中沢桟橋大崩壊で北尾根に戻り下降


    
大菩薩嶺北尾根・・晩夏の笹藪と原生林,静寂に満ちた北尾根, リスと二度出会う猪に野猿8匹
                  大菩薩峠登山口から大菩薩嶺北尾根を下降―泉水横手山林道,青梅街道から丹波の集落, 2009年09月20日,単独




   昨年の暮れに綴った大菩薩連嶺東面の牛寝通りに続き,タクシー代を奮発し楢ノ木尾根への入山を試みたが,再び変更を余儀なくさせられている。
     念の為連絡したタクシー会社の話では,真木小金沢林道の大峠手前で土砂崩れが起き,ゲートより通行止になる。改めて大菩薩嶺北尾根を目指した。

      大菩薩嶺北尾根
   昨年4月に両神山に再度訪れている。その帰路,笛吹川西沢渓谷に寄り,青梅街道から青梅に抜けている。
     このことが又大菩薩嶺北尾根を目指す切っ掛けになっていた。

   昔学生時代には丹波から飛龍山小常木谷や大常木谷を遡るため,この街道を通っていた。甲府と氷川間に路線バスが運行を一時始めた頃になる。
     新たに今,都市構想として改修工事が行われ,変わりつつある街道を北尾根経由で,再び丹波まで辿ることを考えていた。

   初めて藪多き北尾根に入山,茂みの伸び切ったこの時期に,単独で歩むのは少ないだろう。それも下山を選ぶには慎重な行動が要求され,
     下山してから丹波まで2時間弱の林道,街道歩きを強いられる。日没前にバス停に着けばよいが。

   昨日は台風14号が鳥島付近を通過し,曇天で北東の強風にあおわれ,海は大シケになっていた。今朝は西側の雲も切れ,全国的に晴天に恵まれた。


    9月20日,快晴
       jr御徒町4:36=神田4:40=5:57高尾6:14=7:23塩山,甲州市営:28,¥300=7:55大菩薩登山口bs一8:15ゲート分岐:20
       一8:35小径一9:25丸川峠手前,カメラのケース紛失):40一11:15大菩薩嶺:50,

      車内
   始発の中央線,下り電車が新宿駅ホームに入線すると座席はあっと言う間に埋まり,車内の空気は一気に酒酔いの臭いを漂わした。
     暮れに御正体山へ出向いた時と同じような雰囲気になっている。不況と連休で朝帰りする人達で賑わい,立つ乗客も多い。

   再び高尾駅で松本行鈍行に乗り換える。ここも久し振りほぼ満杯の席, 同じボックスに座ったのは徒歩で甲州街道を綴る親子連れだった。
     20代半ばの息子さんは以前,東海道を完歩したと云う。母親も偉い,今回の行動は信濃境から信州へ入ると説明し,悦び何かと息子さんの世話をしていた。

   私も過って子供達と御徒町から日光街道を白根山まで歩んだことがある。ただ子供と言っても小学生4,5年の頃,3人を連れてである。
     私の時とは逆の立場だが親子連れで結飯を持ち,野外に出掛けること自体がほほえましく悦ばしいばかりだった。25年ほど前の話,
     淡い層雲も消え,高い青空から強い陽射しが車内に射し込み,その恩恵を受けている。雲の1つない暑い一日になりそうだ。


   分岐ゲートを潜り登山道へ,8:25

      アプローチ
   それに比べ塩山駅南口から大菩薩登山口行の乗合バスは拍子抜けするほどガラガラだった。
     今年は秋の5連休が続き,快晴の風穏やかな好天に恵まれている。それにも係わらず乗客はハイカーが9人のみ。

   その1人の方と丸川峠分岐まで肩を並べ歩む。彼の趣味は登山ではなく昆虫採集家。
     高度1000m付近にあるヤナギの軟らかい枝先に集まるクワガタを捕りにきた。

   彼の一番推薦する昆虫採取の場所は奥只見ブナの森,蝶は西南諸島が種類も数も多くよいそうだ。長い細い筒のケースを背負っている。網が入っているようだ。
     ザックにはケースが沢山詰まっているようで外から見てもデコボコしていた。今日の目標を尋ねると,通が抜ければよいと。

   裂石の登山口には乗合タクシーとしてマイクロバス2台が停まってをり,上日川峠まで¥600,その1台に何人かが乗り換えていた。
     この裂石=上日川間の車道は(県道120号)は昭和57年夏の台風禍が呼び水となり,修理のみか観光面で重きをなし,いっきに整備されていた。

   今年は紅葉の時期に合わせ9/5〜11/29日まで土,休日に運行している。8.7km,甲府タクシー,
     又後日知ることになるが昨年より甲州市営バスがjr甲斐大和駅から大菩薩上日川峠線が運行されている。4/第4土〜11/第4日まで土,休日に運行。





   小径に変わり尾根に入る,8:32

      入山
   林道から登山口の駐車場を横切ると樹葉を透し,直ぐ左の高みに西群馬幹線の鉄塔を仰ぐ。
     越後から奥秩父を横断し,私の頭上を跨ぎ,日川沿いに笹子へ抜けて行く超電圧の送電線。
     その先はみそぎ沢左岸沿いのしっとりした緩やかに登る道が続いていた。覆い被さる樹林に包まれた林道は軽車道の裸土の道になる。

   ゲートから山道になる前で「ペコ」と似たような動作を示すリスが足元を横切った。「ペコ」とは我が家の愛犬で一番小さいチワワ。
     色合いは上から見ればウリ坊のようであり,走ればリスかネズミとなる。もう7才になるが動きは幼く,リスと同じ仕草を示している。





   直接大菩薩峠の道と異なり小径が続く,9:12

   今回は厳しいスケジュールになっている。大菩薩嶺で12時までに食事を終え北尾根を下る。
     まだススタケは背高く,視界が悪いと思われ何度か迷いながら下るだろう。

   下りは慎重に行動せねば,4時までに尾根末端まで着けぬ。その後も2時間のアプローチがあり,日没との競争になろう。
     下る泉水谷出合までコンロを使わなくてもよいように,間食は多目に持参した。





    カメラケース紛失トラブル
   カメラケース紛失が判った地点,9:12

      カメラのケース
   やや気張ったペースで快調な登りとなる。みそぎ沢とミゾ沢との間の尾根を登り,急登を終えた所でカメラのケースを紛失する。
     展望が利くわけでもなく登り道として写真を撮り,その都度カメラをケースに収めている。

   ただ面倒で別々にズボンの右ポケットに入れ換えた。それが切っ掛けでケースを落とす。
     カメラに撮った場所を考えながら来た径を探し回る。買ったばかりのカメラ,30分ほど探すもケースは分からないでいた。

   今日は登山者も少なく登ってくる人も暫くあるまい。諦め,登り始めるも気を落し,ペースは上がらないでいた。急に重くなる足。
     自分で自分に怒鳴る。嫌な雰囲気が足を急に重くしていた。その時,山を下りて来た登山者と擦れ違う。夫婦らしく気軽に声を掛けられる雰囲気だった。

   咄嗟に図々しくもケースを見付けたら電話を頂きたいとお願いした。快く引き受けてくれた気持がありがたい。
     見付かるか判らぬものの,私の心は少しケジメを持ち始めていた。そして足も軽やかになる現金さ。丸川峠手前である。

   ケースを拾いその日の内に連絡して下さった草加の山口さん。お礼の返事を述べる前に送って頂いた。
     即答で暖かく言葉を掛けてくれ,萎んだ気持を膨らます元気を頂いた。そして気持よく北尾根に入ることができた。





     丸川峠
                       
    左方が丸川荘の玄関,軒下からの展望がよい,10:02                             やや隠れてしまった丸川峠からの富士,10:01





    恩若ノ峰と塩山南部の街並
   丸川荘前で,10:15

    空気は乾き過ごしやすい陽気の山梨市内と南アルプス, 白峰三山から悪沢岳への背稜, 左の尾根が源次郎岳より派生する尾根,
    塩ノ山を囲む塩山北部の街並

      丸川峠
   丸川峠,樹間を潜り続けての登り径,丸川峠に出て初めて眩い陽射しを浴びる。
     まだ少しだけ色を付けだしたススキの穂が峠路を覆い,峠の風情をか持ちだしていた。北側の眺望は樹木に閉ざされ足元しか臨めず。

   ガッカリするも束の間, 丸川荘前にでると急に窓が開かれよう,富士山とその裾に重なり合う山波の眺望に恵まれた。
     峠を挟むここだけが大きな展望を創り,秀麗その間々の白き富士が姿を現している。広く甲府盆地を埋め尽くす街並が霞み仰がれる。
     今登ってきた足元の塩山の街並も見下ろされ,そこには入山時通り過ぎた鉄塔に続く送電線も見届けられた。

   日川峠から綴られた日川尾根が大きく望まれた。源次郎岳へと長く派出させ,恩若ノ峰の枝尾根へと延びている。
     又尾根末端の左中央の尾根は塩山の市街地近くまでく延び,甲府の盆地へと広がりを見せていた。

   この尾根は時間が掛かりそうだが日川尾根経由で直接塩山駅に下りられる。途中から藪径になるが盆地へ下れるルートがありそうだ。
     葡萄畑を潜り,駅の傍には日帰り温泉もある。広大な盆地を見下ろしながら下り,最後は湯舟に浸かるのも乙だろう。
     ここからは日の出は仰げぬが素晴らしい夜景は望められそうだ。





    苔むす山梨の樹林百選の径
   大黒茂谷と芦倉沢の源流,北側を絡む,10:16

   丸川峠で鶏冠山(けいかんざん),牛首谷への径を左手に分ける。山小屋からの登山道は尾根の北側を絡んでいた。
     この山径沿いのしっとりした尾根は苔むした薄暗い森に入いる。,過ってこの山の北側では「大黒茂のセリ」(おおくろものせり)と呼ばれていたらしい。
     大黒茂谷源流沿いを常に左手に見下ろしつつ登るが,黒木綴る尾根に眺望は全く失われていた。





    北尾根の西面
                
    1640m峰と1980m圏コブ南西尾根,10:35                                  1980m圏コブと大菩薩嶺,10:40

   1980m圏コブと右の写真は丸川峠からの縦走路で,樹間から見上げられた大菩薩嶺北尾根。
     2013年11月,大黒茂谷源流で時間の追われ日没を迎えて野宿している。翌日は携帯の電波が届く所へと,1980m圏コブ北西尾根を詰めている。

   深い緑の樹林に被われ,仰ぐ空も樹冠に挟まれ狭い。偶に望めるか,望められぬ奥秩父連山は頭を遠く望んでいた。
     大菩薩嶺北尾根狭い樹間の枝々に絡み,漠然としか分からなかった。
     ただ樹葉の重なり合う多さが山を深めてもいた。大菩薩嶺の頂はその密度ある樹海の漂いを残した森の上端にあった。





   大菩薩嶺山頂,昼食,11:40

      大菩薩嶺
   山口さん夫婦にお会いしたお陰で11時過ぎには頂に立っていた。
     大菩薩嶺は小広い平頂でハイカーで溢れている。ツァー客をが多く,何処にこんなに多くの人々がいたか不思議がるほど多い。
     昨日は山小屋に宿ったらしい。

   早速昼食を変更し,コンロを点す。今回もカップヌードルの具に長ネギと生卵,3分待つ前に一緒に煮込んでいる。
     脇の親子連れが生卵を割るのを見て,驚きの目を向けている。

   疎らになった頂。丸川峠からの道中もそうだが大菩薩嶺の頂に立つも,展望は全く得られなかった。視界の利かぬ茂みの中に径は綴られていた。
     ただ南側へ僅かに頂を越えれば雷岩。明るいカヤトの原にでて,極端に変わり大展望も得られる。私は反対側の藪山を求め,北尾根を下ることにした。

      大菩薩嶺
   大菩薩嶺(だいぼさつれい)と読む。大菩薩嶺は多摩川水源の山であると同時に,大菩薩連峰の盟主である。
     丹波山方面では「大黒茂ノセリ」,「大黒茂山」(おおくろもやま)と呼ばれていたが国中ではこの辺一帯を萩原山と称し,その最高峰を「鍋頭」,と呼んでいた。
     ・・「大菩薩連嶺」岩科小一郎著,

   大菩薩嶺の名は陸軍測量部が三角点設置の際,命名したといわれている。
     山名に「嶺」を付けて呼ぶ例はなく,「山を行く」の著者,高畑棟材氏は大菩薩岳としたが普及はしなかった。





    大菩薩嶺北尾根
       11:15大菩薩嶺北尾根,大:50一12:20密林やや治まり苔絡む尾根一12:35岩絡む,一12:45やや視界開けた痩せ尾根一13:25小,ススタケから開放
       一14:00小室川支沢に迷う一14:15赤テープ径一14:20大黒茂林道と交差地点,

    シラベ,コメツガなどの針葉樹林帯
   山径より北尾根取付き地点,12:09

   大菩薩嶺北尾根は大菩薩嶺は泉水谷の支流,大黒茂谷と小室川を分水し,北側に延び,笹に原生林豊かな森を創る尾根。
     古くは大菩薩嶺のルートとして位置づけられていたが,現在では薄い踏み跡になっている。





   密度濃い下枝の藪が続く,12:10

   丸川峠からの登りで山頂のツメまで届くと登山道は大きくジグザグに2度,南西側にUターンしている。
     その2度目の角の枝に掛かる白いタオルが,ここが北尾根の下降地点になる。
     逆に頂から見ると急坂を真っ直ぐ100mも下ると,先程登ってきたジグザグ径が西へ極端に曲がる地点にでる。磁石で確認,ここから先は藪の壁。

   先は踏み跡も薄く分からず,その間々一直線に北東の尾根へ歩みだす。下りは樹林が密生し絡み,踏み跡を探るのに苦労した。
     陽は樹海に閉ざされ隠れ気味, 古い倒木,窪みが多く足場は不安定で最初から両手を使っての下りになった。
     そして前方を探る前に足元の枝が絡み,歩き難し。





   苔むしる尾根,12:12

    30分程して密林はやや治まるが苔被う尾根となり急激に高度を落とし,苔でぬからむ大地を下る。





   樹間から振り返り見上げた大菩薩嶺北面,12:32

   1900mラインに入り顧みると本峰が樹間を透し半円を描き見上げられる。ボールを半分に切ったような綺麗な形をしていた。
     藪そのものの尾根は枝木を伸ばし樹葉で被い,立木や立枯れが判らない程多く茂り崩れている。
     そして大地は重なり合う途突きや窪地にも被われていた。

   更に下ると岩コブが露岩し始め,密林からやや開放された痩せ尾根上にでる。12時45分,
     きつい岩コブはどれもが下り側(北側)に露出し,上からはよく見定められず,大黒茂谷側を巻くことが多くなる。





   痩せ尾根から幅広い尾根へ,12:44





   ススタケ被う核心部,13:47

      ススタケ
   広い鞍部周辺は背丈1.5〜2mのススタケの密度濃い場所にでた。開放され尾根幅の広がる竹原は熊の出現する機会も多く感じられる。
     携帯電話に付いている笛を取り出し,息を一杯吹き,私がここに居るぞと熊? に警告した。
     今この時期,この尾根に入山しているハイカーはいるまい。自己満足するまで続けて3度吹く。

   目の前はススタケに被われ,両手を交互に扇状に広く漕ぐ仕草で前進した。手を休めれば竹がムチとなり返ってくる。
     竹でもこれだけ伸びていれば鋭い痛さが返ってくる。周り全てがススタケで体にピッタリ密着するよう密度濃く茂っていた。
     足元を見詰め進むのみ。確りした踏み跡が続くと思うと後が続かなくなった。獣道らしき径もある。

   一息入れては真北へ向かい,又磁石を見る。ススタケと混ざる枝,頭を下げ過ぎると方向が見定められず,頭を上げれば枝木がムチのよう飛ぶ。
     ザックに掛かる藪,混ざる小枝は背のストックに絡むとガッチリ引っ掛かり,動けなくなることも暫し。帽子も飛んだ。


   1時25分小休止,身に付けている引っ掛かりそうなタオル等をザックに納め,袖を伸ばす。
     小コブを越え,ススタケから一時開放されるも,スズタケのジャングル状態は続いていた。
     暫し現われる下りの岩コブは殆どを岩上に立ち,踏み跡を探らねばならなかった。藪の巻場も多く見失うことも多し。

   軍手は裂け,小さな穴が幾つも開いていた。藪漕ぎには両手が支えとして強引に進むしかない。
     能率ばかり考えて行動するとルートを見失った。又樹林の絡みや樹葉も多く,先への視界を閉ざしている。
     秋となり落葉となれば新たな踏み跡は失うが,裸林にルート判断は正確になる。又行動も楽になるだろう。





    黒川山と鶏冠山
   泉水谷を隔て樹間より,14:26

   1650mラインを越え北東へ下ると鶏冠山の頭が左手に望まれた。本峰下降以来初めて見る隣りの山になる。
     ススタケはやや低くなり背丈ほどに,一時右手へ入り込み過ぎ小室川側の支沢源頭に誘い込まれ戻っている。


   それから15分程して左手の立木に掛かる赤いテープを今日初めて確認した。道しるべとなるべき赤テープなどマーキングが少ない尾根。
     過って処分したと聞いてはいたが,これ程少ない場所も珍しい。後は下山地点で見付けただけだった。

      三ノタル1490m
   赤いテープの左手(西側)に確りした小径を見る。この踏み跡を辿れば北尾根を外れ,丸川峠の北面,大黒茂谷流域に入る。
     大黒茂林道に入り,66/65林班界標を過ぎ,67/66でアサガオ尾根を越え緩く下り始め,木橋で対岸に渡ると大黒茂谷の左岸の巡視路に突き当たる。
     大黒茂谷左岸道を下れば大黒茂谷出合に。林道を左折すれば泉水十文字やエンマ御殿にでる。右折し下れば今下っている北尾根の末端にでる。
 
   尾根幅が広がり,疎らになった樹林。殆ど傾斜のない北尾根を200mほど辿ると1490m峰南鞍部の大黒茂林道と交差する。
     三ノタルにでた。右手は入れば小室川左岸の山径で中ノ沢分岐にでる。特に目印はないが明瞭な分岐点。
     分岐を更に小室川左岸道沿いの桟道を下れば小室川流域に入いる。そのまま対岸に小室川を渡り返し,登り詰めれば大菩薩丹波道ノーメンダワにでる。




   
    北尾根三ノタル
   丹波山分区「61/65」林班界標,14:19
    大黒茂林道と交差する三ノタル, 開かれた尾根と右手前に水源巡視路あり,

     14:20大黒茂林道と交差地点一15:20迷う一支枝戻る一15:45小室川支沢堰堤,左岸道一16:20小室川出合本流より桟橋一16:35泉水横手山林道
     一17:00青梅街道,泉水谷出合三条新橋,

   時計は2時20分を指している。ここまでは迷ってはと慎重には慎重をきし,磁石と地図と睨めっこできた。
     少しでも枝尾根が判れば細かく地図を広げ,確認を起こたずにきた。

   林道にでて,この先は尾根上の疎林で楽勝と思われた。春にはシロヤシオが競い咲くという長閑な尾根になる。
     4時までに小室川の出合に下りられるだろう。その気の緩みが仇となる。もう磁石もポケットに入れた間々になっていた。





   地肌の荒れだした迷う尾根,14:28

      迷い
   不動滝峰を越える辺りから再び荒れた斜面に出偶した。イノシシの掘り起こしを見付け更に前進する。3時20分,西側に寄り先に迷う。
     北側は急な扇状の斜面が続き,その先は更に深く落ち込み,下れる見込みが付かなくなっていた。

   時間は刻々と過ぎ,4時に出合どころか下山が危ぶまれだしてた。もう時間との競争が待っていた。
     日没前に河原に降り立てなければならない。ただ呆然と立ち竦まねばならなかった。
     下る前方には左右に溝のような深い窪溝が走り,足元の斜面も急激に傾斜を落とし,見下ろすことはできなかった。

   大菩薩嶺より下り始めた時は暑くシャツの袖は捲くっていた。両手はかぶれと枝の擦り傷で無惨な姿になっている。
     軍手を通してトゲも刺さった。

   帰宅してから判ったことだが,膝の甲には長ズボンにも係らず,小さな擦り傷が幾つも残っていた。
     岩角にぶつけたような大きな傷ではない。細かい斑点のような傷が知らずしてできていた。

   両手で枝木を掴むと立枯れも多く,7〜8cmの幹がボリボリ折れる。時には太さ10cmのもある。
     ミズナラ,ツガ,ブナの絡み合う樹海,その下枝を両手で掴み掴み登り返す。

      猪
   15m程先を1頭のイノシシが横切った。一瞬止まり体が硬くなる。黒い塊が横切った。イメージ的には堅い塊りの物体だった。
     初めて目の前真近を横切った。動物というより硬いガッしりした物体が足だけはスマートに,左から右へ走り去る。
     下草が茂り,足元はよく臨めなかったが下草をガサガサ動かしている。動かずにいれば樹陰に囲まれ,岩陰にしか見えなかったかも知れない。


   右枝尾根との合流点まで登り返すと,左手に幅広い緩やかな斜面が延びていた。
     日没の時間を考える。もう踏み跡はない。下れるべき尾根を下ろうと。幅広い尾根にでた。

   左尾根の中央へ戻るようトラバースし,下るうち踏み跡を見付ける。気だけが焦り走るよう下る。
     落葉と倒木,東斜面の帳は早い。深い樹林帯は既に陰り始めていた。黄昏だした黒木の尾根は急に闇が近ずきだす感じを持つ。

   後で思うに不動滝沢ノ頭1343.9mは近い。そこまで戻ればよかった。判らぬ踏み跡は本来のルートだった。
     東手へ寄り過ぎ枝尾根だと思い込んでいた。実は反対に不動滝峰より少々西側に寄り過ぎ,下りで迷ったようだ。
     そして更に確認せず,日暮れとの競争がルートを外したと考える。目だけで疎らになった藪尾根の歩き易い所を求めていた。


   早足で進むべき先を探し,できるだけ高度を下げ河原に降りることだけを考える。左々へと寄り途中で右に上流側へ下る。
     そして小さな窪沢を見付け這い下りる。その下には小さな堰堤があり,よく見ると小室川沿い水平道にでた。3時45分,




   
    小室川左岸道
   幾つか渡った桟橋,16:05

      小室川左岸道
   下り切った地点は小室川出合の少し上と思っていたが,かなり上流だった。
     中ノ沢分岐から確りした小室川左岸道が山腹を下りている。この小室川を遡れば分岐から北尾根三ノタルかノーメダワにでられる。
     出合にでて渡る筈の巡視路は更に山腹を延々と綴っていた。

   ここからは河原の流れが全く臨めず,水平道で迷い方向感覚が失われそうだった。作業道はそれほど水平道だった。
     遠く谷に挟まれた対岸の尾根の頭,1233m圏コブは夕日を浴びている。西面を照らす斜陽を見上げていた。

   沢底からはかなり高い山腹を巻いている。「61/65」林斑界標や赤テープの北尾根取付きを見付け,右手に小室川出合が現われる。
     谷間の括れた場所にでた。泉水谷と小室川との出合にでる。やや泉水谷側に径が入ると崖壁の面を下るジグザグ径になっていた。
     凄い高さの下に木橋が見下ろされた。もう少し泉水谷寄りを下る旧道を選ぶと更に荒廃が激しくなる。





    泉水谷と小室川出合
   手前は北尾根末端の側壁下に渡る木橋,16:21
    奥の桟橋は大K茂谷方面へ

      泉水横手山林道
   無事山を下り泉水谷の木橋を渡る。左上流に泉水谷を左手が登る桟橋があった。4時20分,
     上がった林道には目印はなく,林道が南東に曲がる所の路肩が石組になっている。そこに浅い踏み跡が登っていた。

   今度は丹波発最終バスに間に合うかの競争になった。
     コースタイムでは林道,街道を含め2時間,桟橋からの登りに15分掛かる。まず青梅街道に出るしかない。そこで先を考えることにした。

   林道泉水横手山線は延長7.0km,幅員4.0m,甲州市と丹波村の境界である泉水谷に沿って延びる林道泉水中段線へと抜ける林道。
     又国道411号,泉水谷出合三条新橋を起点に2001年に林道泉水中段線(林道泉水横手山線)と完抜林道となる。
     延長7.6km,幅員3.0〜4.0m, 柳沢峠上部で国道411号に再び結ばれ,更に林道は大ダル線へ繋がれている。





    大菩薩嶺北尾根
   泉水横手山林道より小室川出合, 左の支尾根を下る,16:35
    尾根の右手が大K茂谷

      林道泉水横手山線
   泉水谷を渡り林道に立つと脇に小さな「小室向」の木柱が立っていた。もう林道は黄昏だしている。
     三条新橋までの道, 直ぐ小室川出合付近で大きなイノシシ1頭が私の目の前を突然横切った。
     初めて真近で見たイノシシ,今日2度目になる。

   足のスマートさと体の締まった大きな物体が,周りの薄く暗さと交り,凄みを持って目の前を抜けていた。動けなくなる私。
     熊の時と同じだった。ここでも一瞬体が固まり動けなくなる。そして巨体が谷間へ突っ込むよう飛び落ちた。それでも目だけは追っていた。

      猪
   猪は犬と同じくらい鼻が非常に敏感で,神経質な動物で繁殖能力が強く,春と秋双方に繁殖期がある。
     本種を家畜化したのが豚である。北海道と一部の離島を除き全国的に分布し,ジャンプが得意で狭い隙間に潜り込み,鼻では50kg以上の石を動かせる。
     又本来は昼行性で定住期と移動期を繰り返す行動パターンを持ち,気に入った場所では2〜3kuの範囲で行動すると言われている。

   中山間地域では過疎化,高齢化が進行し,耕作放棄や放置竹林等が増加して,これに伴い猪の農作物被害が年々拡大している。
     雌の子供は母親と共に群を作るが雄の子供は1,2歳で母親と判れ,小さな群れを作るか単独で生活する。
     寿命は短く最長で10歳以下,平均は1歳に満たず死亡することが多い。

      野猿
   猪が横切り,野猿の家族8匹も私の目前を横切っている。
     先導するがっちりした野猿は私を見詰めるものの,群の中を歩む家族らは私には眼中になく先を急いでいた。
     子猿は親猿に抱きかかえられている。

   最後尾の猿はやや遅れて現われた。気が緩んだせいか,ちらっと私と目が遭った時は目が鋭く又ぞっとさせられた。一瞬昔の槍ケ岳出偶した猿一族を想いだす。
     それから10分程して,今度は反対に,谷間から登ってきた,大きな親猿が1匹横切っている。

   水800cc全てを飲み干し, 林道に入り喉が渇き,蜜柑3個を続けさまに歩きながら食べる。そして5時ジャスト青梅街道,三条新橋に着く。
     林道泉水谷線(林道泉水横手山線,幅員4.0m延長7.0m,),塩山市と丹波山村の境界で,泉水谷に沿って延びる林道。固定ゲートなし,





              
     林道泉水横手山線の簡易ゲート,16:45                                       大菩薩嶺北面の絵図拡あり,北尾根は私が記入する

      釣人
   林道入口の空地には車3台,釣りを終えた釣人がたむろっていた。
     「今日帰りますか?」と尋ねると「何故!」との返事。丹波の最終バス停まで歩いてギリギリ,便上をお願いした。
     すると明日も釣ると。宴会が始まるそうだ。ここに泊らないかと逆に誘われた。丁寧に断り,丹波まで歩かねばと歩む。

      三条新橋
   三条新橋は丹波川,小室川,泉水谷の3つの河川が合流することから三重川原と呼び,それが三条に転訛している。
     川筋を隔て2つの巡視路ルートが開かれている。1つは三条新橋のゲートの「サカサ沢のヒノキ」のブレードから踏み跡を辿る巡視路。
     小室川の枝沢の橋を渡り,支流のサカサ沢から尾根に入り,砥沢山(とざわ)1458m,サカリ山から丹波大菩薩道にでられる。・・2時間15分,

   もう1つは対岸になる黒川谷から金山跡を抜ける鶏冠山,黒川山に立つルート。越えれば六本木峠から柳川峠,或いは丸川峠にでる。
     又泉水谷本流を遡れば大黒茂谷,牛首谷の深山幽谷な流域に訪れられる。ただ登山道は牛首谷本流のみだが,最近林道の改修工事が行わわれている。


      青梅街道
   街道にでて,シッチハイクを試みるも停まってくれる車はなかった。
     5分乗せて頂ければ悠に間に合うがトラック類は1台も通過せず,乗用車のみの道,早足で黙々歩む。

   丹波へはここから昔ジャリの凸凹道だった頃,2度往復している。大常木谷遡行の折は雨に叩かれ三条橋先の道路脇でカッパを被り野宿した。
     小常木谷を遡行した折は岩岳尾根を下ったのが21時を回り,エレキを頼りに渡渉し夜道の街道を下ったこともある。

   新しく改修された2つのトンネル(丹波山トンネル,羽根戸トンネル)を潜り,余慶橋にでる。
     昨年は両神山の帰り,「ほったらかし温泉」に寄り,車で通った街道でもある。

   小常木谷出合の巨大な側壁は岩が落ちぬよう全てが防護網で被われていた。
     河川の為か,国道の為か,その規模には驚かされ,見上げる風景だった。小常木谷出合の側壁

   途中3ケ所に水場があった。最初の場所はホースの排水口が路面に転がるようあった。ホースが重く地面に這うよう飲む。
     乾いた喉で口の中はベタ付き,うがいをするも旨い水ではなかった。2ケ所目は筒を通し排水溝へ落ちていた。

   丹波に入りバス停近くの民家先にある水場はひしゃくが置かれていた。どれも冷たい水だが私の口には合わなかった。
     喉越しが悪いせいであろう。

   日没は黄昏だした街道に闇が忍び込むよう迫り,急に周りを暗くした。薄暗く霞みだした光はおぼろに見ずらくなってきいる。
     私は5,6歩先の路面を見詰め,足だけを速めていた。途中で「丹波4k」の道標を見る。
     バスの時刻にはゆとりがでるも,闇は益々近ずいている。・・青梅街道,新しい柳沢峠付近


      旧青梅街道
   1878年(明治11年)に柳沢峠が開通するそれ以前は大菩薩峠が甲州塩山萩原と丹波,小菅を結ぶ主要ルートだった。
     旧青梅街道(甲州裏街道)は丹波から藤ダワを通り,今倉山を巻いて大菩薩峠へ。丹波大菩薩路,
     小菅からは小菅川沿いに遡って大菩薩峠に至る。小菅大菩薩道(大菩薩峠線),

   古くは大菩薩峠が中継点として,今の峠より少し北側に位置し,峠には妙見堂(荷渡し無人小屋)があった。
     8里の山越えを一日で往復するには困難だったため,荷札,送り状による「無言交易場」という取引が数百年もの間続いている。
     又何かの理由で甲州表街道を通れなかった人は裏街道と呼ばれる旧青梅街道を通っていたと言われている。

   現在は新たなルートの開通で旧青梅街道は自然とすたれ廃道化した。そして一部分だけがハイキングコースとして復活し現在に至っている。
     2013年11月,旧青梅街道から丹波大菩薩道を歩み巡視路と道のないルートだが大黒茂谷に入っている。
     ノーメダワを経て小室川を横切り,北尾根三ノタルから大黒茂谷源流の入っていた。そして再び北尾根のツメ,北西尾根を登っている。





   丹波バス停,17:48

     17:50丹波バス発着所18:20,¥980=jr奥多摩19:25=20:03青梅:17=20:46立川,快速:50=三鷹,特快=21:24神田,

   丹波バス発着所には思いの外早く,予定より30分前に着く。もう帳は落ちた。
     日が暮れ,往来する車はライトを照らしていた。如何にかエレキを使う前に丹波のバス停に着く。

      バス発着所
   40年前と丹波の発着所の外見は昔と全く変わっていなかった。大きな箱の家,その中にゆったりとバスが1台入る。
     錆と言うか古い大きな鍛冶屋のようで,朽された年季が入った建物。通り掛かった婦人に尋ねると嫁いでよく判らぬとのこと。

   後にバスの運転手に尋ねると,今は壊されているが2階に寮があり,車庫の奥にトイレがあった。今は車庫内奥にトイレが造られている。
     そして今は車庫としての活用はなく,奥でUターンしてバス停だけの活用になっていた。

   発着所前に街路灯の明かりはあるものの,街道沿いの軒下の明かりは乏しい。
     人通りはなく,往来する車も日没と共に消え,ライトの光も乏しくなる。バス停前の店先の灯も消え,周りは真暗闇になった。

   4軒先の酒屋でビールを仕入れる頃,日はとっぷり暮れた。先程の婦人,若奥さんがバスが出るか心配して来て下さった。
     手には大きな饅頭を持っている。ここで作られ販売されていると言う。

   100gある白い饅頭。皮が厚く塩との具合はよいが餡子は少々渇き気味,昔の懐かしい饅頭だった。
     「どうぞ!」と頂き,私だけの乗合バスでビールと共に乾杯した。ただ不味いとは言えず,餡だけは残さず食べた。

   今回は緊張する場面が最後にあったが終えてみれば人の情の深さに触れ,充実した温かい山行になった。
     バスに揺られていると,ふと今年の山行は,再び登り始めた東丹沢末端の藪山の,集大成をしたような感覚を持つ。


     大菩薩嶺北尾根地形ルート図
     随想「藪山と青梅街道」・・・部報「峠」18号