剱岳周辺Top
  剱岳北方稜線・・大猫山
      梅雨末期の豪雨で北方稜線猫又山と中山を共に断念,馬場島bcから大猫山を直登ピストンする
                     2013年07月26〜28日,L松村(s43卒),m見城(s41卒),滝島(s42卒),鈴木(s43卒),加波(s53卒)




    北方稜線
     北方稜線とは剱岳から北方へ宇奈月まで延びる長大な尾根を云い,中央部に毛勝三山(毛勝山,釜谷山,猫又山)がある。
   狭義では南部の池ノ平山から剱岳山頂までを指していようだ。昔,真砂沢をベースに剱岳剣岳東面の尾根と谷を集中的に登り,
   又早月尾根から八峰・チンネを回り込み,長次郎谷を下っている。その意味ではほんとの端を齧っていた。

     今回は踏み跡が確りしていると聞き,地元滑川町に住む後輩も加波君と馬場島からブナグラ峠へ辿り,北方稜線にでる。
   猫又山に立ち,東芦見尾根から大猫山に抜ける周回ルートを選んでいた。

     28日朝東京を発ち,馬場島にベースを設け,翌日猫又山に登り,最終日は里山の中山に寄り,立山杉の巨樹と北方稜線から連なる
   剱岳や猫又山の展望を楽しみ帰京する予定でいた。それが連日の猛暑と蒸す暑さは前線を活発させ不安定な気象状況を生んでいた。

    梅雨前線
     まだ梅雨明けを待つ北陸,東北地方は日本海にある梅雨前線を境にして,大陸の湿舌と太平洋高気圧に挟まれ,
   刺激を受けた梅雨前線が各地に局地的なゲリラ豪雨をもたらしていた。気象庁泣かせの天候は更にPポイントを狂わしている。
   明日は北方稜線猫又山に登る。その日さえ持ち堪えてくればよいのだが?

     金沢では2週間続いた好天が18日頃から崩れ始め,翌日からは陽射しが漏れる雨模様になっている。
   20日は40%と湿度は低くなるも不安定さは変わらなかった。
   特に日本海側各地で局地的ゲリラ豪雨が乱発し,記録的短時間大雨情報が気象庁から発表されていた。

     豪雨で大ブナグラ谷枝沢は増水で渡渉ができず,逆コースに変更し,ほぼ予定タイム通り大猫山に立っている。
   この先は頂稜満歩になる筈だった。ただ猫又山までは往復4時間半を費やすことになり,
   梅雨末期の天候不順はその後の行程全てを狂わすことになる。遅い下山を避け,先を諦め,激雨の中,大猫山から戻っている。


   7月26日(金),高曇
      jr御徒町¥160 5:45=東武池袋,\500快速6:30=7:11若葉,集合=鶴ケ島IC¥6400=9:00東部湯ノ丸PA
      =11:25北陸道滑川IC= =買出し13:00=上市北馬場島線=14:00馬場島bc1,

    馬場島キャンプ場
   馬場島にベースキャンプ設営,14:36

    若葉集合
     7時11分,全員が東武若葉駅前に集合, 休む間もなく高速道に乗り上信越道を下る。今回は北側の上越方面も,又南側の西上州の山々も
   鉛色の重いの層雲に覆われ,疎らながら高みに雲の切れ目を見るも,山並の情景を眺める気分はなくなっている。

     碓氷峠を越え東部湯ノ丸PAで一息し,上信越道を一気に抜けている。峠越えが空に明るさをもたらしていた。
   それも一時の風景, 飯縄山,黒姫山を覆う厚い雨雲は薄れたものの,何処もが同じような丸みをもった山にしか見られなかった。
   その奥が高妻の山並になる。

     妙高の長い裾野を横切り,北陸道に入れば上越市も真近に迫り,日本海に入るとトンネルが多くなる。
   潜り抜け黒部市に入いれば,滑川ICはもう直ぐだった。丁度4時間でICに下りている。薄日が照り付け真夏の陽射しに戻されていた。
   ここ滑川町常光寺には後輩の加波君が住み,明日朝,馬場島に合流し一緒に登る手筈になっていた。

    滑川
     一般道にでて買い出しと昼食を摂ろうと「ほたるいかミュージアム」に寄る。この時期,観光客目当ての賑やかさは欠けていた。
   周辺の寂しさは平日と云うことだけではなさそうだ。裏側に回ると堤防にぶち当たり,日本海の海岸線にでる。

     薄日が射すも淡い灰色に染まる空が海原を覆っている。白雲が湧き,眩く煌めく真夏の地平線は望めなかった。
   凪の海,砂浜の明るさは控えめ,海面までもが淀んでいるよう思えた。

    ホタルイカ
     ホタルイカの産卵期3〜5月を除けばミュージアムは閑散としている。富山湾のホタリイカは普段は水深200〜600mの深海に生息し,
   この時期の夜になると大群をなして浅場に集まり,ホタルイカの美食を味わえる。

     富山市成願寺河口から魚津港までの沖合1.3kmまでの海面は「ホタルイカ群遊海面」として,国の特別記念物にも指定され,
   神秘のホタルイカとして「富山県のさかな」に指定されていた。


     海抜0m, 数年前に大雪渓から白馬岳を越え栂海新道を同期大川と日本海を目指し北上している。
   そして親不知の絶壁を下り,ヒスイ海岸の小さな丸石が敷き占められた海岸で,登山靴を脱ぎ海に浸かっている。感無量のひと時だった。

     山行中一度も望めなかった日本海, 国道にでて初めて海の香りを嗅ぎ,波打ち際から素足で盛夏の地平線を当時仰いでいた。
   日本海から上高地まで,この歳になり繋がっている。今回は反対に日本海海抜0mから北方稜線猫又山2376mを目指した。

     ミュージアム近くの滑川プラザ4Fにある食堂を紹介され,日本海を見下ろしながら海鮮丼¥1200を摂り,北陸の味を黙々食べている。
   そして隣りのスーパーで山行中の買出しを済まし,野菜に酒類をたらふく買い込み馬場島に出向いた。





   石造りの素晴らしいテーブル,15:26

     買出し後,上市から早月川沿いを遡る。蓑輪で対岸に温泉の看板を見ている。古い昔からの集落のよう思えた。
   蓑輪発電所の近くの温泉は公共のセンターになり,現在は立ち寄りの湯になっている。9〜21時,¥550,

    伊折の集落
     早月川の左岸に移り中川を過ぎ,剱橋を渡り返すと伊折橋に。再び左岸に渡り返すと地形図では鍋増谷の出合になる。
   昔1969年の夏,早月尾根から黒部川下廊下へ下りている。その折馬場島に入るため夜行で上市から伊折の集落にでていた。

     乗り換える路線バスのバス停前には参道の石段があり,神社が祀られていた。今は路線バスも廃止され,全く分からなくなっていた。
   まず集落の跡地が道路沿いからは全く分からなくなり,廃屋を林道の車窓から探すも見付けることはできなかった。

     「上市町ふるさとメール」によると戦後50戸あったと云う家屋は全て集団移転し,春から秋にかけ4世帯だけが暮らしていると云う。
   厳しい冬期の暮らしを避けるため移転したと思われる。昔の昭和のイメージが全て失われていた。・・1969年07月の伊折集落,

     早月尾根に登る朝方,神社の石階段に坐り,茅葺屋根の上に乗る剱岳を見上げていた。その脇に入道雲が湧くのを見ている。
   その時は今回の見城先輩と池ノ谷に入り,三ノ窓に天張る予定でいた。ただ立大も学生紛争に巻き込まれ,クラブの行事全てが
   中止に追い込まれ,急遽現役4名の参加希望を受け,早月尾根から長次郎谷へルートを変更させられていた。





    望めた北方稜線核心
   BCよりアップ写真,16:33
    大窓,池ノ平山,小窓尾根マッチ箱,小窓, 手前は早月尾根1551mコブ

     河原は益々広がり,流心はその河原を複雑に蛇行している。ここまで来ると林道だけの風景になる。
   暫く走ると右手後方に登る林道分岐にでる。千石城から「ふるさと剱親自然公園を経て城下にでるルートのようだ。下流には眼目山立山寺。

     小又川の出合を渡り広い河原が狭まると,まず白萩発電所の正門前を横切っている。
   1本の水圧鉄管が見上げられ,更に700mも上流に行かずして,馬場島発電所前を過ぎる。この発電所は発電設備を地下に設けていた。

     こちらは長い水圧鉄管2本が見上げられた。2つの発電所を44年前にバスの車窓から見上げていたのを想い出していた。
   あの時は早月尾根から長次郎雪渓に抜けていた。ここまで来れば馬場島も近い。
   白萩谷と立山川の合流点を左手に臨み,橋を渡れば懐かしい馬場島にでた。





    夕日を浴びる頂点
   帳の落ちる馬場島BCより,18:45
   手前が立山川,先は毛勝谷,東大谷

    馬場島荘
     上市町観光協会の言葉を借りると「岳登山基地である。又山の谷間にあることから周辺の山々を堪能できる。
   特に平成17年秋に周遊コースが完成した中山の山頂からは剱岳を見る絶好の展望台になっていた。

     近くには近年「座禅桜」と名付けられ,大岩を抱いた桜に見応えがあるという。見頃はゴールデンウィーク,
   又山荘の管理人が提供する山菜ソバ,うどんは地取の山菜で作ったかき揚げが絶品」とあった。下山日にはこの蕎麦で悩むことになる。
   標高741m,素泊り¥4000,日帰り風呂¥500, テント貸出¥1000,寝具¥200,テント代,駐車場100台無料,冬期休館12月〜4月中旬,

     馬場島荘とキャンプ場の間に駐車場があり,綺麗に刈り払われた芝の広場がテントサイドだった。
   公衆トイレはステンレスで清潔感が伺えた。東屋のような広い炊事場には中央に大きなテーブルがあり,又外にも露天のテーブルがある。
   手前の大岩の横にテントサイドを設ける。テントは5人天,ラインシートを張り,更にその脇にある石のテーブルを被うようブルーシート(中)を張っている。

    馬場島と伊折
     学生時代,剣岳東面の谷と尾根を集中的に登っていたが,卒業後に馬場島から入山し,早月尾根2400mに天張っていた。
   その折は前に述べたよう,上市から「馬場島」に入るにも伊折の集落で乗り換え,後続を待ち入山している。

     その後,友から剣岳山行の話を聞くも,馬場島に関する映画を観賞しても,「馬場島」と云う言葉に実感を持つ響きはでてこなかった。
   「伊折」と云う懐かし地名も同じだった。入山が決まり,アプローチを探る内,地形図にも山地図にも,「伊折」の表示がなく,困惑している。
   それがふと地元のHPに「伊折」の言葉を見付け,経緯が分かった次第。今は私にとって貴重に体験した地名になっている。





    黄昏る北方稜線赤谷尾根
   白萩川出合の林道ゲートより,16:42
    赤谷尾根・・赤谷山と1853mコブ,1563.2m三角点峰
    右奥は白萩山と赤ハゲ
    ブナグラ谷と白萩川の出合

    テントサイド
     今回は2泊のベースキャンプになる。久し振りのテント生活で,先日滝島さんと鈴木に試し天張って頂いている。
   又献立計画もお願いした。献立表によると今晩は「肉汁付きうどん」, 翌朝は「白米と味噌汁,サンマの缶詰」とある。
   汁には前日の残りを使い餅を落すとある。又車の利用で調理器具も多く,料理に合わせ鍋に釜,コッヘルに薬缶と賑やかだった。

     天幕さえ張れれば後はゆっくり炊事に精をだすだけ。一口のビールが酒を呼び,ウィスキーにも手がでる。
   ベースキャンプは次第に薄暗がりになり,黄昏のゆっくりした時間はやがて帳を迎えていた。
   仰ぐ早月尾根を越えの剱岳は頂稜に掛かっていたガスが切れ,赤味を帯びた夕日が頂の一角を照らし望まれた。

     小窓尾根の上部,マッチ小箱から小窓に落ちる荒々しい鋼鉄に輝く岩壁が煌き望まれたのが印象的だった。剱本峰は今だガスで望めぬが。
   一瞬の一部分の眺めが尊く思われた。一日中,ガスに隠された剱の山容は更に深いガスに包まれている。谷間は再び崩れ始めていた。





    ブナグラ谷からの猫又山を断念,大猫山を直登ピストン

    大猫山2070mから南に延びる尾根
   夜明けのナラグラ谷,5:45
   馬場島発電所への取水堰堤,右上がその施設 左壁の尾根に取り付く,

    7月27日,曇後雷雨
        19:15消燈,起床3:00, 馬場島bc4:50一6:10小:20一7:00(1400m北鞍部)一7:50小8:05一8:55最初に沼9:15
        一9:20大猫平一10:20大猫山10:50一13:30鞍部一14:30取水口施設一15:00馬場島bc,馬場島山荘2,

     膝の調子の悪い鈴木をテントキーパーに残し,加波君と合流,先輩達と4時50分まだ薄暗い林道を歩みだす。
   直ぐ右手に立山川右岸沿いに林道を分けている。この直ぐ先,脇が早月尾根の登山口。

     白萩川左岸沿いの林道は未舗装になり,400mほど進むと閉ざされたゲートにでる。
   本来なら正面に赤谷尾根を望み,右手にも剱岳の岩峰群が朝陽の逆光に煌めき望める筈だった。

     途中で巨樹廻りの看板を見て,1つ目の工事橋で白萩川を渡っている。
   トラックも通行できるがっちりした橋だが冬期は外されると云う。渡った所が本流への林道の分岐,

     右手に入れば白萩川の取水堰堤まで林道が続いていた。昔入山を諦めた池ノ谷への道を今歩んでいる。
   赤谷尾根末端を回り込み,ブナグラ谷左岸に入ると舗装も途切れ土道に変り,再び右岸に移ると広い作業場にでて取水堰堤が現れた。
   ブナクラ谷の取水口,右岸は重機で激しく削り取られていた。ブナクラ谷復旧治山工事の為の新たに道が造られつつある。





    向かいはおぼろに映る中山と早月尾根末端
   大分明るみだした取水堰堤から下流を見下ろす,5:28

    馬場島付近の導水管
     この取水堰堤から馬場島発電所に導水されて,水圧鉄管,落差319mで発電されている。
   流れ込み式の落差を利用した水路式発電所。給水に合わせて2本の内左の水圧鉄管は余水吐用。1963年,s38年06月運用開始,北陸電力,

     取水はここブナグラ谷以外に赤谷尾根の末端を潜り,白萩川から早月尾根を潜り,立山川へ。
   更に中山の北面を横切り,途中で小又川から取水し,計4つの谷間から取水されていた。
   どれもが地下を潜る導水管で水圧鉄管に送水されている。放水は早月川の左岸になる。

     馬場島発電所は白萩発電所から約800mほど離れ,流れ込み式の落差を利用した水路式発電所。1963年06月運用開始,
   早月川水系で河川取水は剱岳早月川→馬場島→白萩→伊折→中村→蓑輪→早月第二→早月→早月第→富山湾,
   大倉山小早月川→小早月→(中村一蓑輪間)・・「水力ドットコム」氏より,

     白萩発電所(ゾロメキ発電所)は上市駅より約19km,1918年,t07年05月運用開始と古い。
   水力発電様式は馬場島発電所と変わらず。最大出力3200KW,常時出力は640KW, 水圧鉄管1本,有効落差74.50m,
   河川取水は馬場島手前の早月川(白萩川と立山川との出合)と小又川(出合約2km上流),放水は伊折発電所になる。

     早月川流域にダムはなく,発電は水路式で総認可出力は32.050KWと多い。短い河川だが激流だからこそ成せる技法。
   用水路発電所は早月発電所のみで,蓑輪堰堤(蓑輪頭首工)から取水している。
   洪水時の大きな岩が流れ落ちるため,蓑輪頭首工の放水路は厚い鉄板を敷いて補強されている。





    小ブナグラ谷と大ブナグラ谷
   左岸取水堰堤上より5:41

     手前はブナグラ谷本流 右手が赤谷尾根の北面
   左側は小ブラグラ沢を隔てた大猫山からの南南東尾根。中央は大ブラグラ沢を隔てた大猫山からの尾根になる。

    取付き
     導水取水堰堤右岸のルートはなくなっていた。対岸に渡り取水堰堤上にでる。吊橋は崩れ,簡易の仮橋が架けられていた。
   ブラグラ谷を走る激流を足元に見ている。枝沢の小ブラグラ沢,大ブラグラ沢も川面には白波が立ち,支流からの激流を本谷に落としている。

     小屋の管理人の話によるとブラグラ谷は荒れても清流を通し,濁流になるのは稀らしいとのこと。
   見下ろす左岸の枝沢はうね落ちる激流で,枝沢とはいえ渡渉することは遠目で見ても困難だった。急遽,大猫山への尾根ルートに変更している。

     ここから見ると取水堰堤右岸の小径は土砂に埋まり,新たに土砂上にはブルトーザーで踏み固められた道が造られている。
   又旧ルートに合流する新たな山径が手前の作業場から直登で山腹に切り開かれていた。補助にザイルを使う贅沢さ。
   登る者には手触りがよく嬉しいが踏み跡にでるまできつい斜面になる。道標はない赤テープのみ,又山中にも道標類はなかった。





   取付き地点からロープの厳しい登り,5:59

    急登
     地形図に描かれた等圧線は1400mコブまでは急登を示し,正しく現実味を帯びてくる。
   喘ぐ登りが最初から続いている。一時ジグザグに登るも,直ぐ細い尾根伝いになり,延々と這い上がり北上するだけの尾根になる。
   足だけでなく手を支えに踏ん張る登りが途切れなく続き現れた。





    北方稜線・・大窓,池ノ平山,小窓尾根マッチ箱,小窓
   尾根に立ち最初で最後の北方稜線,6:13

     ひと汗掻くと足元に落ちるブナグラ谷が異様な激流の尾を引く流心が見下ろされた。
   そして樹間絡みの密る樹葉窓からは広く開かれ天空に,入山して初めてになる北方稜線のツメと長い早月尾根が眺められていた。
   剱岳本峰は最後まで望むことができなかった。朧に霞む先に,最初で最後の剱岳西面が映しだされた岳を見ている。

     1400mコブを越え浅く下った鞍部で2本目の小休止を取った。踏み跡はほぼ尾根筋の小ブナグラ沢側に寄り巻いている。
   灌木帯に入り周りは明るさが増し,草木の緑は覆われた足元は朝方の瑞々しいまでの鮮やかさを映し出しているも展望はない。
   ただ乳白色に変わった霧粒が周りを包み込んでいる。





   痩せ尾根から右尾根筋へ,7:21





   7:33

     尾根筋の踏み跡は主に小ブナグラ沢よりを巻き,右手の樹林が途切れると周りは明るさがを増してきた。
   傾斜も緩み,一つの山場を越えている。





   鎖場を横切る,7:38

     所々にロープが備えられ,一枚岩の岩盤にはフィクスされている。下る場合もあれば登りにも使え設けられていた。
   傾斜がきつく狭い横溝が足場になり,脇沿いはストレートに谷間に落ちている。ただ距離は2〜3mと短く,気落ちせねば案ずることはなかった。





   3本目,7:50〜8:02

     攀じ上る急登を終え,喬木帯を抜けて,周りの灌木帯に明かすさが更に増すと,薄日の中でも真夏の陽射しと変わらなくなる。
   仲間達は茹だる暑さに,休めばまだ裸になるほど元気。痩せ尾根を綴っているが,まだ殆ど風の流れもなかった。

     時たま気侭な谷風の流れに乗ると一瞬蒸し湯だる暑さが途切れ,ホッとした気持ちを起こさせていた。
   撫でるような風が心地よさを呼んでいる。そして又騙し騙しの登りが続く。





    東芦見山稜
   広がりだした山稜,8:53
   三角点峰2055.5mと大猫山(右)を望み,大猫平,南一角の大地にでる。





   大猫平と三角点峰
   残雪に池塘が点々とする湿原,9:26

    大猫平
     標高1830mを越すと急に傾斜は落ち,緩やかに尾根幅も膨らみ,丘陵のような湿原台地が二重山稜状に広がりだしていた。
   大猫平は広さにして1870mまで高度差40mを持ち,幅120mほどで奥行き700mほどの巨大な台地。間には大小3つのコブがある。

     数多くの地塘が現れる中,まだ残雪に埋まる地塘が多く残されていた。ツガの森に雪解けの茶色の地肌を現わしている。
   黄葉のような下草の色合いは数日陽が射せば若葉溢れる草原に変わり,雪解けは曲り根を立させ,高山植物は華麗な花を咲き競うだろう。
   薄日が差し雪面は煌めく,蒸す暑さ。急登を終えた体は汗雫を垂らし続けている。

     目指す頭上に東芦見山稜が初めて望まれた。ガスに見え隠れする大猫山から連なる猫又山は,まだガスの中だった。
   大猫平にでたのが9時20分,大猫山までは1時間ほどだが,そこから先は猫又山の往復に更に4時間を費やすだろう。

     上手くピストンしても下山は日没を迎える。一時の幸運をもたらす明るさも,ガスの広がりは更に増してきた。
   踏むだけの頂を考える。遥々東京から出向いている。天気が崩れるのは間違いなかった。





   ガスで灰色の大猫山
   10:20〜10:50
    何の印もない頂・・向かいに広がる海原も雲の中

     丁度1時間で何も見えぬ大猫山の頂に立つ。展望の失われ頂は打って変わり,ガスだけが抱懐していた。
   湿った灰色の世界だけが広がっている。ここが北方稜線の一辺だとは誰も思わぬだろう。
   昨夜作った白米掬びにサンマの煮付け缶詰を空ける。口の中がパサパサし,少ししか食べずら水で流しこむ。

     雨粒が1つ,2つ落ち,雨になった。本来ならこれから稜線満歩が待っている筈だった。もう猫又山へは諦めざる得なかった。
   そして空を仰ぐ。夏の匂いを含んだガスが岳を被っている。やや暗い灰色一色の空。その中,煙草を吸った。紫煙が白糸を作り昇るのを見る。
   この時点から気侭な雨が降り続くようなった。下るにしても時間は掛かる。まずは雨具を身に付ける。





    下山
   往路のルートを戻る,11:14

     このルートは藪漕ぎがあっても足元は何処も確りしていた。藪に絡み迷う心配もない小径が綴られている。
   小屋番の話によると,今年は既に赤谷山まで踏み跡の刈り払いは行われているとのこと。非常に助かっている。





     大猫平を見下ろす
   ガスが切れれば先は大日岳,11:17

     ガスが飛ばされていれば左前方に剱岳,立山,浄土岳,大日岳,小さく薬師岳,奥大日岳の雄峰が綺麗に連なり望める筈だった。
   入山前にその景色を写真で見ていた。

     1つ,1つの岳を見詰めることができれたなら,その時の岳々の想いが回想として湧き上って来る筈だ。ただ比べる展望がない。
   昨年の夏は浄土岳から薬師岳へ所々で日本海を見つつ立山連峰を南下している。今回は真近で見下ろせる日本海は想像するだけになる。





   一時の明るさが残雪が煌め増す





   待つ間もなくこの後本降りに,11:37

    本降り
     雨は止んでは降り始め,下っても暑さは変わらなかった。雨が降りだし,雨具を着れば雨が止み,脱ぐことを繰り返す。
   そして大猫平に戻り,樹林帯に入ると本降りに変わっている。

     背の海より遠方から受けていた雷鳴は何時の間にか前方から剱本峰側の雷鳴に変わり,頭上に落ちてきた。
   雨雫はもう留まることにく落ちている。そして土砂降りの雨に変わっている。
   巨樹の雨宿りも利かなくなり,肩より上に手を構えれば雨粒の塊が袖から一直線に腕伝えに腹へ流れてきた。

     カッパの下も濡れ始めてきうたようだ。休むことなく下るだけになる。カメラを持ちだす余裕もなくなっていた。
   防水カメラを購入,初めての山行だが,ズボンのポケットから出すこと自体が不可能だった。
   尾根の末端,巨木林帯に入り,最後の巨樹,立山杉も写真を撮る勇気もなく,目に焼き付けるのが精一杯の土砂降りになる。

     まだ見えぬ谷間から濁流の轟音が聞こえだすと朝方の登山口に戻っている。
   チョコレート色に変わった濁流に流心は躍り波立たせている。又大石を動かす鈍い音が途切れなく耳に付く。

     ブナグラ谷,白萩川と渡る橋上からは茶褐色に変わった鉄砲水に軋む地響きの轟音を巻き散らかせ,荒れ狂う波。
   足元を見ると掬われる勢いでぞっとさせられた。そして15時,ベースキャンプに戻っている。


     確り設営した積りの天幕も,この雨の激しさに勝ることはなかった。山荘に飛び込む。幸いSが山荘に移る準備をしてくれていた。
   そしてテント内のシュラフ類も濡れぬ所へ移動させてくれていた。我々はビショビショの体で直ぐ乾燥室に直行し,風呂に飛び込んだ。





     まだ雨雲覆う赤谷尾根と早月尾根
   下山しての馬場島,17:47
   中央が早月尾根末端,手前が1047m展望台,

    最後の馬場島
     展望が望めぬことから中山登山を中止する。朝方まで弱い雨は降っていた。外に置かれた天幕類,炊事道具類は当然全て濡れていた。
   ゆっくりコーヒーで口の中を潤し,朝食の準備はT先輩とSに任せ,私とK先輩は後片付けに精をだす。

     その間,早月尾根に登るハイカーはすこぶる多かった。中腹の山小屋に泊る者もいれば,早立ちしピストンする者もいる。
   ただ河川の濁流の色は治まるも,まだ轟音を撒き散らす激流は治まらずにいる。

     猫又山へ登る人がいたとしても私達と同様に諦めざる得ないだろう。ルートは早月尾根一本になる。
   食後,一昨日滑川のスーパーで仕入れた西瓜を割り,最後のゼザートを口にし山を下りた。





   爽やかな朝を迎える,9:34
    撤収最後の朝食,ゼザートは西瓜

    7月28日,曇
       馬場島山荘10:00=12:30糸魚川=13:25白馬「倉下ノ湯」14:00=15:00道の駅「美麻」大=16:00更殖IC,¥950
       =16:50碓氷軽井沢IC=R43,R254=17:30下仁田=19:00寄居=20:00東武若葉急行:08=川越市快速急行21:10=21:44jr池袋,

    国道8号線
     10時馬場島を後にする。10年前の秋に福光からの帰路,北陸道に入り,黒部ICから国道に降りている。
   ここからは当時と同じルートで一般道を走ることにした。急稜の狭い裾は崖っぷち,そのを綴る海岸線を親不知へ向い走る。
   そこに住む集落とその風景は北アルプスの最北端に位置し絶する岩壁に凄みを持ち見上げられていた。

     数年前白馬岳から栂海新道を北上し,急斜面の山稜を下り,登山口の海岸線の国道8号線にでている。
   山を下りると左手に親不知ホテルがあり,その下が崖下のヒスイ海岸になる。車窓からはその場所を確認する間をなく通過してしまっていた。

     鈴木から登山口は何処か? と尋ねられるも過ぎて分からなかった。
   その先の親不知駐車場は崖縁を走る国道のカーブ地点で探し当てている。


    塩の道
     糸魚川には12時半に着く。小糸川松本街道,フォッサマグナ線上の姫川を遡る。長い隧道や洞門,スノーシェルターを抜け白馬へ。
   対岸にはjr大糸線が並行して走り,深い渓谷を創りだしている。ここは又「千国街道」,松本への「塩の道」。
   大谷は乙女山峠への分れ道, 昔妙高山から白馬山へ縦断した夏合宿を鈴木と共にサブリーダーとして越えてきた。

     13時半,昼食を兼ね白馬塩の道温泉「倉下の湯」で汗を流す。幾つもの温泉がある中で,この湯は見城先輩の推薦する日帰り風呂。
   ナトリウム塩化物・炭酸水素塩温泉で空気に触れると褐色に染まる湯。¥500,

     露天の湯殿からは八方尾根を目の前にして,幾つものスキーコースが望められた。背後にはまだ残雪被る後立の雄峰を仰いでいる。
   右手奥はガスを切り,時折白馬岳の頭が望まれている。雪渓の豊かな残雪が長く帯をなしていた。
   幾つもの日帰り風呂がある中,街道沿いには白馬塩の道温泉と他に「岩岳の湯」,「カーデンの湯」が開湯している。


    大町峰街道
     五龍岳遠見尾根裾のゲレンデを見つつ左折し,長野へ通称「オリンピック道路」に入る。
   緩やかな丘陵を長野へと犀川土尻川沿いに綴る街道。ここも古くから「塩の道」として,大町「糸魚川街道」と善光寺「北国街道」を結び,
   「大町峰街道」は大町美麻,小川村,長野市中条を繋ぐ街道で,現在は主に,「長野大町線」が利用されている。

     街道を綴る大らかに起伏する谷間は車窓から眺めると童話に出てきそうな山村風景を映し,子供の頃の懐かしい風景を想い出させていた。
   手紙によると確か私と同じ地区に住んでいた新津先輩は今,この街道の白馬寄りの棚田に住んでいる筈である。

     杉林は1つの山腹全体を覆い植林するのではなく,雑木との兼ね合い考え,狭い範囲で手間をかけ植林されていた。
   その程良い間隔に雑木林との絡みが明るい落葉樹の森を築き,山里の豊かさを描きだしている。
   流れる川面も緩やかだった。地元では「山村の風景では日本一」と謳う看板を道路脇に見付けている。

    蕎麦
     又3つの地区から街道には3つの「道の駅」が連ねていた。白馬から蕎麦屋を探している。
   14時を過ぎ尋ねるも午後の休憩時間を持つ店が続出るしていた。そこで目に付いたのが最初の道の駅「ほかほかランド美麻」。
   天婦羅と蕎麦を注文するも即席の冷凍品でガッカり,我慢して食べている。

     そのせいか次の道の駅「おがわ」では,「手造り」の看板が目立ち,ガッカりするK先輩。更に短い間隔に道の駅「中条」がある。
   ここも蕎麦を大々的に謳っていた。その看板を見て,更に情けなくなる私達。もう云う言葉も失っていた。

     街道の北側の山波に並行して鬼無里(おむさ)の街道,国道406号線が裾花川沿いに善光寺に向かい延びている。
   この上流は戸隠山の裏側を北上し高妻山を源流としている。糸魚川海谷山域と共に憧れ持つ裾花渓谷がある。

     笹平隧道を潜ると料金所¥200で,左手に折れば小田切ダムを抜け川中島にでる。
   この大町街道は以外と県道だった。右岸沿いを下り,右折し北国街道を南下すれば東京への上信越道,更殖ICにでる。


    姫街道もみじライン
     下の路線を抜けてきた為か,高速道に入り,東京が近くなると午後の渋滞に巻き込まれる。T先輩の決断で碓氷軽井沢ICで降り下道へ。
   碓氷ICで高速道を降りる車は数台しかいなかった。このルートは和美峠から西上州下仁田に至る地方道R43号線。
   降りると高速道に入る車が延々と林道を綴り待っている。その緑深い山村道路を下る。通称「姫街道もみじライン」,

     R254にでても初めは何処を走っているのか分からなかった。暫くして見た覚えのある風景に出会う。
   3年前の忘年山行で荒船山に登り,下仁田から内山峠を往復した,鏑川沿いの信州街道だった。


    更に下道を
     5時半に下仁田の街並に入り,前回と同様に下仁田IC前を通過し,前回のバイパスではなく,国道25号を選ぶ。
   街並に入ると少々車の往来も多くなった。富岡交差点手前で「富岡製糸場口」の看板を見て,先を左折すれば上信電鉄,上州富岡駅。

     富岡製糸場は1872年(m5年)に明治政府が日本の近代化の設置した官営模範製糸場。日本の近代化を担っていた。
   「木骨レンガ造」の建物,フランスの技術と日本の風土に合わせ改良され,ほぼ完全な形で保存されていた。
   入口の道路は狭く,駐車場も少ない。・・翌年2014年06月,世界遺産に登録された。

     上大塚西のY字路から藤岡市を抜け,神流川藤武橋,荒川正喜橋を渡り,東武東上線沿いに大きく蛇行して寄居を抜けている。
   長いポプラ並木を抜ける間に,日がとっぷり暮れた。そして小川町から高籠川万年橋を渡り抜戸へ。

     東松山市に入り,関越道を潜ると暫し高速道と並行する。延々と列をなす渋滞の車が高速道を埋め尽くし,大渋滞を起こさせていた。
   滝さんは「どんなもんだい!」と言葉と態度で現わしている。頷く私達。又よく道を知っていると改めて感心させられた。

     殆ど高速道を使わず20時,若葉の駅に着く。馬場島から10時間の行程になった。軽井沢からは3時間,お疲れさまでした。
   出発した若葉駅で解散の運びになった。


     北陸,東北は梅雨末期
   7月27日,沿岸州付近の寒冷渦,前線の通過に伴い,東日本から北日本に急速に対流雲が発達。新潟室谷77.0o
     対流雲の動きが遅いため,関東や東北で記録的短時間大雨情報が発表される。隅田川花火大会は雷雨のため開始30分後に中止,

   7月28日,山口県(萩市,津和野),島根県で観測史上1位の豪雨を観測する。一日の雨量381o,
   7月29日,北陸,東海で強雨, 局地的に短時間で豪雨を観測する。小松で1時間に138.5o,7月の記録を更新,
   7月30日,長岡市長岡で約100o,島根県太田市付近で100oの記録的短時間大雨,両県で述べ16回の発表になる。
   8月03日,北陸,東北地方は梅雨明け,
   8月31日・・・気象庁から新たに「特別警報」の運用を開始する。

     今年になってからの山行は予定通り実行されることの方が少なくなり過ぎていた。
   グループでは前回の岩菅山に続き,今回も荒天で猫又山を踏むことはできなかった。
   個人山行を含め,意識的に変更したルートもあるが計画が安易になり過ぎているのではないだろうか?

     勿論荒天などの悪条件が加わった山行もあるが,実行され続けられないこと自体が可笑しい。惰性で行動している訳でもないが。
   ただ安易になり過ぎているのは確かである。そろそろ山の登り方を検討する時期が訪れたのかも知れない。

     勿論荒天などの悪い条件が加わった山行もあるが,実行され続けられないこと自体が可笑しい。惰性で行動している訳でもないが。
   ただ安易になり過ぎているのは確かである。そろそろ山の登り方を検討する時期が訪れたのかも知れない。


    滝島先輩から
     「山と渓谷」9月号に大猫山から撮影した剱岳西面の山容が開きページで大きく載せられていた。
   下山して暫くして滝さんから電話が入り,早速コピーして頂いている。
   私達が先日大猫山に立ち望んだ風景は一面に広がる灰色一色の世界だった。よく見るも常に霧粒や雨粒のみだった。

     添えてある文には歴史的な登攀の記述が綴られている。映画「剱岳,点と記」とは異にする文章もある。
   45年前に早月尾根からは夕日を浴びる北方稜線や剱尾根を真近で仰いでいる。残雪を飲料水にし,長次郎谷へ下っていた。

     大窓に小窓,三ノ窓に続く剱西面の尾根と谷は屏風の岩壁になぞられた突起が望まれ,谷は溝化させ,岳は君臨していた。
   異様な雰囲気を持つ壮言な気持ちを持たせた剱岳だった。今は遠いい岳になっている。
   真夏の池ノ谷でもよい。もい一度訪れるチャンスがあるだろうか?


   8/01日より高速バス制度の改正,(運転手の過労による事故を防ぐため)
   penntaxデジタルカメラ・・OptioWG−1gps,防水水深10m,ショックは1.5m,

   創立55周年記念,部報「峠」19号に山行報告の記載要請を受け・・・山径への私感
   地形図「剱岳」「毛勝山」,山と高原10「鹿島槍,五龍岳」・・スカパ登山靴