夏合宿Top 立山周辺地形図                                        立山連峰Top 飛騨山脈Top

     立山三山
   1967年08月, 追分から立山⇔五色ケ原, ―烏帽子岳―太郎兵衛平⇔薬師岳, ―大喰岳―新穂高平
   2012年08月, 室堂―五色ケ原―越中沢岳―薬師岳―折立


夏合宿V,立山〜穂高





5パーティに別れ北アルプスを踏破

頑張った一年,新崎君
我がパーティ.二日目にして食料紛失,最後まで苦労する

                北アルプス,Aパーティ略図

         北ア,立山からヴァティケー穂高へ、夏合宿,V

                   s42年(1967年)08月15日〜31日, cL松村,sL三浦,他m31名,



        s42年度夏合宿

    夏合宿の企画に当たり,本年度は最終的に我々が経験していない1つだけの山域に,まとめる事を選んだ。
      そして年間目標である「当クラブに於ける特殊技術」の一環として,雪上訓練,ビバーク,藪漕ぎ等を体験することが出来る場所,
      北アルプスが選ばれる。

    大学の期末試験が7月に繰り上がった為,準合宿,準備会,トレーニング等の関係から8月中旬に入山し,男子16日間,女子12日間で行われた。
      昨年と少し重複する山域も含まれるが,5パーティ,4コースで北アルプス全山分散縦走集中形式を取った。

    部員全体の体力,精神力の成長は新しい試みとして,食糧の途中買出しは止め,入山以来集中地まで山に篭もらしめ得るに至る。
      集中地は現地調査の結果,新穂高に絞り,ファイヤーその他,現地連絡では中今博氏のお世話を受け,30日に全員が集中するようにした。

    合宿に備えるべく準備会,トレーニングを充実させ,健康管理に気を配り,全員が学内診療所に於いて健康診断を受けさせた。
      その他予防接種,保険加盟と万全を尽くす。
      又学外闘争の高まりとクラブ, 我々は立教生,その誇りを持つためにも,チャヘルで合宿の説教を初めて受け,合宿に臨む。

      新穂高集中地偵察, 6月25〜27日,m和田,鈴木,



      期日,男子8月15〜31日,女子8月20〜31日,分散縦走形式

    Ap、L松村,sL水頭,m工藤,斎藤,新崎,西村,
             立山連峰より裏銀に入り,太郎に迂回して槍に至る。
               立山一平一南沢岳一雲ノ平一薬師岳一黒部五郎一槍ヶ岳一穂高岳一新穂高,
    Bp L三浦,sL三田,m高畑,中川,西沢,大塚,
             後立山連峰北端より黒部川東沢経由,笠に至る。
               朝日岳一白馬岳一鹿島槍ヶ岳一針ノ木岳一平一東沢一樅沢岳一抜戸岳一新穂高,
    Cp L和田,sL大川,m高橋,関根,満尾,割田,
             黒部より剣,立山連峰を南下,雲ノ平経由,槍に至る。
               内蔵ノ助平一剣ヶ岳一立山一薬師岳一雲ノ平一樅沢岳一槍ヶ岳一新穂高,
    Dp L鈴木,sL野中,m赤嶺,関,池田,島田,古田,豊永,
             中央部横断を行うべく烏帽子から雲ノ平経由,薬師に至る。
               鳥帽子岳一野口五郎岳一雲ノ平一薬師岳一新穂高,
    Ep L田沼,sL松本,m山田,大高,平田,桧垣,伊藤,沼津,
                       〃


                                                 夏合宿V,1, 阿弥陀一立山一蔵之助平一南沢出合
                                                 夏合宿V,2, 南沢出合一雲ノ平一太郎平,⇔薬師岳
                                                 夏合宿V,3, 太郎平一三俣蓮華岳一槍ヶ岳⇔中岳,一新穂高




    Aパーティ行程表, L松村進(3),sL水頭芳三,m工藤具明(2),斎藤吉男,新崎啓一(1),西村博臣(4),

  
,,8月15日, 上野=
     16日, 富山=追分小屋―常願寺川,立山温泉分岐
     17日, c1―小屋跡飯場,対岸地点
     18日, c2―竜王,鬼岳鞍部
     19日, c3―内蔵ノ助平
     20日, c4―南沢出合
     21日, c5,停滞
     22日, c6―南沢岳,鳥帽子岳鞍部
     23日, c7―岩苔乗越
     24日, c8―太郎,2282m地点
     25日, c9―太郎小屋⇔薬師岳
     26日, c10―双六池
     27日, c11,停滞
     28日, c12―大喰岳北面峰
     29日, c13⇔中岳,―飛騨乗越―新穂高穂高平,(予定では30日集中地入り,食糧つき途中下山,)bc1,2,
     30日, c14,集中地bc
     31日, c15,現地解散=高山=豊橋=東京,





  追分小屋立山温泉分岐
c1湯川谷,飯場c2
最初の頂,立山五色原
背景は赤牛岳と薬師岳,上廊下の左先に鷲羽岳が望める,  .


     8月15日, 集合15:30,上野,急「黒部」20:35=

      上野駅
   上野駅ホーム, 緒先輩,後発の女子パーティに見送られ,Bパーティと共に一足早く急行「黒部」に乗り込む。
     これから15日間の合宿が始まる。一年生はすこぶる元気,意外と落ち付き払い闘士は満万,貫禄も出始めている。
     集中地で無事全員が完走できる事を祈り出発した。

   今回は1つの山域に全パーティーが踏破する事を目的に企画した。
     所謂15日間,途中下山せず買出しのない山行になる。
     また荷の重さに加え,技術面では年間題目の雪上訓練,野宿,それに登山道を外れ自ら藪漕ぎする事を目差した。





   前半,追分〜平,横断図
                                 剣岳東面地形図
 
   湯川谷→常願寺川                           黒部川流域概念図
                           
薬師岳,読売新道,裏銀地形図






内蔵ノ助平下山図




船窪小屋より東面の立山連峰写真
立山ウォッ地図


黒部川第四ダム



黒部川流域概念図










黒部湖東面,籠川谷周辺地形図





s34,05,30,発行
  黒四貯水池の記載はまだなし




   8月16日,曇一時雨 追分小屋立山温泉分岐c1,

       5:38冨山6:25=7:25千寿ヶ原ケ,7:35=7:45美女平バ,8:00=8:45追分小屋8:50一8:55大9:20一10:00松尾峠一10:33小:43
       一11:25小:35一13:30常願寺川,立山温泉分岐c1,

      アクシデント1, 食糧紛失

   冨山から富山電鉄,ケーブル,バスと乗り継ぎ続け,人より高い荷物代に憤慨しながら追分に降り付く。
     高原バスは鮨詰めの混雑だった。僕等だけが途中下車する。
     各パーティが事故なく完全な踏破を成し遂げる事を期待した。

   僕等を迎えてくれたのは途中から降りだした雨雲だった。雫を溜めた緑鮮やかな峠径,分岐に向かう。
     初っ端からポンチョを被っての昼食になる。

      重荷
   水頭をトップに2尺2寸のザックにオープンの荷を背負い,第一歩が始まった。
     今回は途中の買出しもなく,荷はかなりある。この経験が後輩達には素晴らしい経験になる筈だ。
     苦しいトレーニングを全員が成し遂げ,全員が踏破の自信は持ち山に入っている。


   雨径は入山を祝福するかのよう直ぐ途切れ,清められた径を峠越えし湯川谷の分岐に向う。
     立山カルデラが一望できた筈の松尾峠の視界は0だった。

   初日の荷はやはり重い。初日の行程を短くし,歩行の配分に気を配ったが雨後の下り径で最初から歩きずらかった。
     濡れた滑り易い赤土に,まだ慣れぬ体,ペースは落ちている。

   松尾峠から急傾斜が続き,150m程下ると「安政の大地震」で崩れた土砂の堆積台地に着く。
     平坦な径となり再度下ると軌道を何度が横切るが。ここでトラブルが起きた。

      転落
   新崎がペースを崩し,滑ると共に背の重荷が振り子となり,10mばかりの急斜面を2回転し頭から落ちた。
     樹木と赤土の斜面,幸い怪我はなく擦り傷で終えたが,食糧の荷は破れ派手に散乱した。

   散々した食糧を集める。全員で丁寧に濡れ浸かったものまでも集める。
     そして,その処理の為,分岐堤防上部に天張った。

      不足の食糧
   新人にボッカによる10貫の荷を一度背負わせる事を企てたが,思いの他,事故による被害は大きかった。
     初日にして食糧1/4を紛失する。

   間食のカンパン類は破れ浸たり,粉類は食糧とならず。再び買出しをするか悩む。
     米は全部残っていた。この時点で急遽,2年生水頭を食糧長とし,行動を続けるられるか調査させる。

   彼の下,1,2年生が手分けして,全ての食糧をザックから吐き出し,検品しリストを作らせ,献立を,立て直させた。
     これから14日間,6人分の食糧である。目の前には豊富な食糧が山のようあるが最後までもつだろうか?

   調味料の不足とビビたる間食で,行動出来ると頷く水頭と工藤。新崎は無言の間々,うずくまっている。
     慰めても駄目な雰囲気が漂っていた。

      続行
   西村先輩に新崎の先の事も含め続行を考えていると告げる。
     頷く先輩に続行を宣言し,後輩達には苦しくなる山行を悟らせる。それでも彼等の顔には余裕の笑いが零れていた。

   だじゃれの出た仲間達に,何があっても完走すると告げる。
     そして水頭は,その間々食糧係として全権を任し,私へ日毎の報告と仲間達の食物に対する反論を禁じた。

     明日は常願寺川を最後まで詰め,ザラ峠から頂稜を極める積りでいる。
                                                          消燈19:30,


      山径の崩壊と蘇る松尾峠登山道
   この立山温泉経由のコースは立山新道と呼び,アルペンルート開通によって訪れる人が激減した。
     加えてs44年(1969年)の「四四水害」と呼ばれる梅雨末期の豪雨が無尽蔵の大被害を引き起こさせていた。
     湯川谷コースは壊滅した。立山温泉も廃業し,以来湯川谷は立山カルデラの砂防工事のみとなる。

   約40年もの間手が付けられず,今回松尾峠から立山温泉に至る径は国土交通省によって工事用緊急避難路として復元されていた。
     ただこのコースも通る人は自己責任となる。ザラ峠への登山道は新湯や刈込池は残るも,沢登りの領域になる。
     下流は白岩ダム経由で立山まで4時間15分で歩けるも,最短は松尾峠に引き返すのが一番よい。立山新道(針ノ木新道),

   大正12年「1923年)槙有恒,三田幸夫と共に立山温泉から立山に登った板倉勝宜が立山松尾峠で凍死している。
     彼は我々が毎年,春期の合宿地としている吾妻五色温泉周辺のスキーワンデングの先駆者の1人でもある。





   8月17日,雨時々曇, 立山温泉分岐小屋跡,飯場,対岸地点c2

       起床2:50,
         立山温泉分岐Ts1, 5:55一6:10小休止8:30一9:25小:35一10:00大:30一丸木橋10:50一11:25初めての小休止地点:35
         一11:45小屋跡,飯場,対岸地点c2,


       立山を抜けるのに4日間を費やす
        湯川谷,常願寺川周辺概略図



     アクシデント2, 耳虫

      診察
   歩き出して直ぐ新崎の耳に虫が入るアクシデントが起きる。偶然2度目の災難に新崎は遭い,痛みが酷く歩行さえ困難だった。
     ライトを当てたり塞いだり,いろいろ工夫するも,その効果はなかった。虫は暴れ回り,痛がる一方で這い回るよう体を踊らしている。
     入山間際でもあり,一度水頭と診療のため立山温泉まで降ろさせた。

   しかし如何にしようにも打つ手はなかった。耳に入った虫とは云え,新崎自信が判断し掻ねていた。
     戻った水頭,新崎を伴い,私も更に1時間程下った採石事務所,水谷診療所に訪れる。

   そこは湯谷川下流,砂防用軌道が引き込まれている所で,大規模な飯場があった。
     その間,他のメンバー4名は西村先輩にもお願いし,工藤指揮の下,少しでも先へとピストン輸送させた。

      頑張る虫
   虫はかなり大きく鼓膜の傍で羽根を広げている為,如何する事も出来ず,無理すると鼓膜を傷付けるそうだ。
     殺虫を申し出たが断られてしまった。虫が自然と外へ出る事を願い,明日五色ケ原でもう一度診察して貰う事で引き返す。
     新崎に不安が募るが,耳虫が自然に出るか,死ぬのを祈る以外に方法はなかった。



   テントは前日より3k程しか伸ばせず,対渡地点右岸の河原に天張り,明日に備える。
     食糧は昨日の件で献立の大幅変更,行動食も大幅な節約を実行せねばならなかった。

   まだ入山したばかりだが,じわじわと合宿の苦しさが重なり現れだしていた。
     山に入り2日目になる。だが全徒歩距離は如何しても0に近かった。
                                                            消燈18:00,

    初めての小休止地点8:25一採石事務所,水谷診療所一12:00飯馬:30一13:35沢,丸木橋c2,





     湯川谷ザラ峠獅子岳,鬼岳鞍部
c3

                      五色原から振り返る立山三山


     8月18日,起床2:00,
          飯場Ts2, 4:15一5:52小6:05一7:17小:25一8:30ザラ峠8:439:05五色ヶ原10:10,
            一10:25ザラ峠,大11:00一12:13獅子岳手前12:30一13:38鬼岳鞍部雪渓13:45一14:35竜王,鬼岳鞍部c3,

      ザラ峠
   Tsより湯川谷を遡り2本取ってザラ峠にでる。
     1本取った後,沢より尾根に移り,ブナの樹林を縫うよう登る。ブナ樹林帯は殆ど峠まで続いていた。
     左手に大きく鷲岳の赤禿と岩峰が広がりを見せている。




       五色ヶ原
         1967年08月,ザラ峠から五色ヶ原ピストン,裏銀に回り太郎兵衛平から薬師岳ピストン
         2012年08月,室堂から浄土山―五色ケ原,越中沢岳,薬師岳を経て折立


       五色ヶ原
      鷲岳と遠く薬師岳


    ザラ峠より空身で五色原ピストン

   五色原山荘の夏山京大診療所で新崎を看てもらうが,やはり強引に取ろうと時間を掛けるも取れず。
     自然のなす間々にする以外なさそうだった。

   真っ青に晴れ渡った草地の大地, 体を寝かせ,目を瞑れば夢の心地に快い風が通っていた。
     皆,頂の草原で頂稜に出た喜びを体で味わっている。だが新崎はしょぼくれていた。

   初日五色原に入いる予定が3日目にして,立つ事ができた。
     これから新たな合宿が始まった。

   薬師岳の大きな山容が先に望まれる。一週間先に反対側,太郎兵衛平から踏むべき頂が目の前に広がっている。
     明日は黒部渓谷を越え後立に抜けるヴァテケィーの長い旅が待っている。薬師岳を目指し,薬師とは逆の北側,立山に向い歩きだす。

      雷鳥
   夏の衣替えをした雷鳥がこの原っぱの残雪に現れた。場所がら反って目立つが子鳥を2羽従えている。
     親鳥に比べ,よちよちに歩く子鳥が如何にも可愛い。迷いながら親鳥に付いて行く。

   危なかしい動きが,尚更気を惹き付ける。漸くして這松の下に入った。
     悠然としている親鳥が更に素晴らく思えた。





     立山三山へ
   龍玉岳直下,後方五色原と鷲岳





  




御山谷から見上げる獅子ヶ岳と鬼岳      ,
                   

      立山
   獅子岳を越すと素晴らしい視界が広がった。
     岳は足元を深く,くびれ黒部湖へ落ち込んでいる。そして大きな岳は残雪を構え,裾へと広がり室堂の台地にも続いていた。

   早くと思うが新崎のショックは大きい。耳の虫と,もう笑えなくなっている。
     転落のショックと共に彼は耳虫とも,丸2日間戦わねばならなかった。

   ザラ峠で昼食後,内蔵ノ助カールまでと思うも今日から歩き出したようなもので,気が落ち込みペースは乱れている。
     仕方なく龍王,鬼岳鞍部,黒部側雪渓上部に天張った。





    獅子岳,鬼岳鞍部c3,

  , 御山谷カール側の残雪,静かな鞍部





   帳の剣岳を背に


      幕営地
   北アでは全域,幕営地が定められている。
     設営後,監視員に出隅わしてしまったが説得の悔あって,その間々留まる事ができた。

   万一動くとなると室堂か五色原まで戻らなくてはならなかった。
     説得には病を偽ったが事実パーティは動かす事は出来なかった。 

   それにしても素晴らしい幕営地になった。
     大きな立山の鞍部, 脇には雪渓があり,視界はすこぶる良い。整地の必要もなく贅沢な山上の泊り場となる。

   又私感が入るが,テント場が指定されているとは云え,営利の山小屋に管理の名目でテント代を払う気は全くなかった。
     今合宿では払わなければならない場所があると思う。怒鳴る小屋番こそ,清掃もされず主張ばかりしていた。
     何処の小屋も裏を覗けばゴミの山を造っている。

   夕方,富山平野を被う見事な雲海を仰ぐ。剣岳を越えて望む日本海,
     静かな帳を迎え,炊事の一時,我を忘れ見とれていた。・・消燈19:00,





   漸く笑い声が出た新崎君,御山谷より黒部湖を望む
    西村先輩,新崎,私,斎藤,工藤,


   12時の天気図だと沖ノ鳥島とマリアナ諸島との間,又鳥島の西に低気圧があり,上陸する可能性も強い。
     早く烏帽子までと気は焦るが如何しようもない。
     明日立山を越え内蔵ノ助平で2時間程,雪上訓練をする予定,





    8月19日,晴 竜王,鬼岳鞍部c龍王岳立山内蔵ノ助平c4,

        起床2:00,
        龍王,鬼岳鞍部Ts3, 5:38一7:10一ノ越上:20一8:10雄山:20一8:45大汝山9:00一9:50内臓ノ助小屋12:15
          一13:18小:25一14:20沢:35一16:08内蔵ノ助平c4,


   立山東面略図
               剣岳東面地形図
  
    立山西面地形図        烏帽子岳〜槍ヶ岳

後立山概念図,


1966年(s41年)08月,
  天狗平―真砂沢⇔剣岳東面,―仙人ノ池―欅平,






                       内蔵ノ助カール,ウォッ地図
1969年(s44年)07月
  馬場島―剣岳早月尾根―長次郎谷―内蔵助平―黒四ダム


1967年(s42年)08月
  立山連峰―内蔵助平―裏銀,薬師岳―槍ヶ岳―中岳
                             下山新穂高


2007年07月
  立山黒部アルペンルート






2009年08月,
  新穂高―弓折岳―三俣蓮華岳―赤牛岳読売新道―黒四ダム,

籠川,鹿島川周辺地形図,






重い10貫の荷  ,   






                                   剣より見る立山





   富士ノ折立, 剣をバックに黒部湖,平へ


      1年新崎君
   耳虫の件は如何にか落ち着いた。彼の笑い顔で虫が耳から飛び出たか? 死んで耳から抜けたか分からないが,痛みがなくなったと。
     1年生新崎,頑張ってもらいたい。彼は今日から新たな気持で歩み続けるだろう。

   6時25分浄土平通過, 雲の流れ激しくガス湧き始めるが雄山を越えると雲が切れ,晴れ間が望まれる。
     大汝山からは目指す黒四ダムが遥か下にはっきりと見下ろせた。

   断崖の遥か彼方下に黒部湖を覗み,雑踏化した立山三山を入山以来4日目にして抜ける。 
     丸2日のロス,明後日には黒部湖まで下り対岸の南沢岳へ,立山と同じ高さまで登る事となる。
     馬鹿げたルートを綴る歓びが我々にはある。合宿ではの山行が待っている。

     ペースは平均化し思いのほかよい。心も弾み上手く内蔵ノ助平へでた。




      内蔵ノ助平へ
                      
      点線はハシゴ乗越へ
                                        立山を下る





   内蔵ノ助平





   カールで雪上訓練





               内蔵ノ助カールの残雪


      内蔵之助谷
   今年は例年より残雪が半分にも満たないそうだ。
     それでもカール内は一面見渡す限り残雪が被い,雪上訓練に適していた。

      落石
   二度ばかり大きな落石を受ける。頭より大きな岩がゴンゴン落ちてきた。
     一度は昼食時,身を受けるのが精一杯で,頭上を越えて行く。

   真っ直ぐカールに入った為,頭上に登山道があるとは分からなかった。
     二度とも人工的なもので平然としているハイカーがいた。





   内蔵ノ助谷,上部


      内蔵ノ助平
   2時間ばかりストッピングを練習し,12時過ぎ内蔵ノ助谷右岸沿いを下る。
     一時,ガスに被われた。残雪から巻き揚がる蒸気が凄い。陽を閉ざし周りを暗く灰色に変えていた。

   途中から山径に出る為,30m程藪を漕ぎ,尾根上を下降して這松と別れ左俣に至る。
     ここまでは五万分ノ一の地図に記載され,はっきりしているがその先は二俣上部の小沢から谷底に降り立った。

   そして雪渓を左右に,時には雪解け水をジャボジャボ入って内蔵ノ助谷にでる。そこには残雪も溶け明るい湿原が広がっていた。
     時間の関係で左奥の素晴らしい幕営地に張れなかった事が残念だった。

   新崎の耳のアクシゼントも本人が知らずして治まった。無駄でよい苦労に笑い顔が戻る。
     パホーマンスの多い彼は,今日からが本番なのかも知れない。照れる顔が初々しくみえる。

   明日は針ノ木谷南沢出合までのコースだが,平までになると思われる。
     明日中に黒部湖を渡り平渡場まで行く事が出来れば幸いだが。・・消燈19:30





    
内蔵ノ助平黒四ダム南沢出合c5
   黒部川下廊下,大タテカビンを背に


    8月20日,曇一時晴 起床3:00,
         内蔵ノ助平Ts4, 6:05一7:55小8:05一9:10黒四ダム内:40一10:10ダムサイト10:55一12:05小:20一13:30小:40一14:46アクショデント15:02
         一15:57(17:00)平17:10=17:20平ノ渡場:45一18:10南沢出合c5,6,

      下廊下
   余りにも撤収が遅い為2時間程ぶっ通しで歩く。今山行,初めてコースタイムを縮めるられた。
     ダムまでの登山道はよく整備され,今年の国土地理院5万分の1地図には点線で歩道が記載されている。
     出合は3張程,テントが張れるが別山登攀パーティで一杯どろう。

   黒部川左岸沿いをダムまで詰め,その間々ダムサイトにでた。
     日程がずれ日曜と重なり,眼前でダムの放流を見上げられた。今年は渇水が続き平日は静けさを保っている。




     黒部川黒四ダム

   左岸の径,左上が対岸第1展望台






                       黒部川第四発電所ダム,下





     間違えたダム入口


      黒四ダムの坑内
   何故かダムに迷う。左岸ダム下の坑口をダムサイドに上がろうと入り込む。
     何処を如何迷ったのか,薄暗い坑道が続いていた。

   ダムの底は以外にも蜘蛛の巣状の幾つもの抗道が縦横に築かれていた。
     薄暗いパズルのような抗内は以外に広く大きい。下水構のように漏水が絶えず流れている。

      迷路
   上に登ればダムサイトに出ると身近な抗内から綴って行くが,少し歩けば行き止まり,在らぬ方向に坑道が続いていた。
     不思議な程,静寂に満ち,小さな流水の音だけが耳に付く。
     鉄梯子に掛かる靴音が坑内をコダマし,響き渡らしていた。





   放流口へ迷う


      放流口
   遠くに明かりを見付け漸く出口を見付けだした。
     ホットするも近ずくと放流口,真横中央に出てしまっていた。ダムの満々中に。

   濁流の如く真横から落ちる激流は静かな坑内を一瞬にして轟音を撒き散らし,空気を割り五体に伝わってくる。
     爆音が地響を起こし体を揺らしていた。そして狭い坑道は鼓膜をも揺るがしている。
     身震いする体に鳥肌が立ち,何時もと違った大きな不思議な力にぶつかていた。

      先の見えぬ坑道
   方向感覚を全く失った。ダムは余りにも大きく,陽の明かりを求めダムサイトと勘違いするも,まだダムの中程にいた。
     ダムは外見とは異なり底の厚みも凄い。ここでもクモの巣状態で複雑極まった坑道に迷う。

   荷を降ろし坑内での小休止。30分程の偵察も行先は何処か判らず。
     先輩から始末書を書かさせられると脅かされるが,ちょうど点検に廻って来た抗員に案内を請うた。



      ダムサイドへ 
   抗員は一般者が坑内に入ったのは初めてだと云う。
     坑内の水洩れを定期的に見回っているようだ。水漏れを耳で調べると云う。

   教えてもらった右方にある坑内は以外と長く大きい。大型バスがすっぽり入る程の大きなトンネルだった。
     傾斜の強い抗道は中央に漏水を落し,左脇には延々と鉄階段が綴られていた。
     ダムサイドへ一直線に登り続ける坑内に靴音だけが大きく響き,コダマした。

   頭上に小さな出口を見出してからが長かった。点のような明かりが頭上に見える。
     延々と続く坑内の階段を一歩,一歩登る。点は広がり出口は空を示していた。この上にダムサイトがある。
     そこには眩い陽差しが待っていた。



      関西電力黒部川第四ダム(黒四ダム)

   水力発電所設置に適した場所であることは大正時代から知られていた。
     ただ第二次世界大戦などもあり,黒部川の開発は下流の仙人ダム及び黒部第三発電所に留まっていた。

   戦後,高度成長期を迎えると電力需給がひっ迫し,世界銀行より融資を受ける。
     だがs34年12月,南フランスのマルバッセ・アーチダムが大洪水で崩壊し,死者行方不明者が 500人に及んだ為,調査団を派遣。
     両翼に重力式のアーチ式ドーム越流型に変更,ウィグダムをつけた。

   初期の工事は建設材料を徒歩や,ヘリコプターで輸送するというもので,作業ははかどらず困難を極めた。
     黒部川下廊下左岸の径は,その為に初期に作られた偵察的ルートである。

   この為,ダム予定地まで大町トンネル(現在の関電トンネル)を掘ることを決める。
     しかし破砕帯から大量の冷水が噴出し,死者が多数でる大変な難工事になった。

   黒四ダムは1956年(s31年)着工,1963年(38年)06月完成,
     完成当時は大町=扇沢間,危険区域にあたり貸切形式のバスが一日2往復,不定期。
     立山黒部アルペンルート,4/10〜11/30開通, 黒部湖に遊覧船が運航,カンバ谷〜針ノ木沢出合, 2000年,
     
黒四ダムの波紋 黒部軌道とs31年黒部川電源開発計画 黒四ダム,ウォッ地図


   1970年正月に爺ケ岳南尾根を登った時は扇沢トンネル口には通行止めの枕もなく,完成された坑道だけが大きく口を開け横たわっていた。
     人工的なものと云えば坑道と道路だけだった。周りは積雪の中,坑道内には雪も吹き込むまず,テカテカに凍った路面に緩やかな風が吹き出していた。

   黒四ダム
     1966年(s42年)08月,立山からヴァティケー〜黒部湖縦断,穂高へ,ダム坑内
     1969年(s44年)08月,剣岳早月尾根〜黒四ダム,関電大町ルートは剣岳下山の折,初めて利用
     1970(s45年)〜72年,正月に大町ルート扇沢口から各後立山へ入山する

     2007年07月,      黒部軌道と立山黒部アルペンルート,関電大町ルート
     2009年08月,      赤牛岳,読売新道より黒四ダム,関電大町ルート




   平への水平歩道にでる為,左岸ダムサイト上で1本


      食欲
   このところ間食に乏しく,お米はあるが御駆走は僅かな佃煮だけの日が多かった。
     その為一年生は食物を見ると目の色が変わっていた。今,山での一番の楽しみの食事が失わつつある。

   ダムサイトでは多くの観光客が昼食を摂っていた。
     それを横目で見るも辛さ,後輩達が可愛相で哀れにも思える。


   平ノ渡の船場で小屋番から岩魚一匹預かる。付いて来る烏帽子小屋の犬にである。
     食物に飢えている僕等に犬は二の次だった。猫ばばした一匹の岩魚を丁寧に焼き,6人で分け食べる。
     一切れの味,お預けされているような小ささだが,旨いと思う間もなく無くなった。

   黒部川「平ノ渡し場」は黒四御前沢ダムのため水没し,吊り橋もなくなり登山者の便をはかるため渡し船を常設している。
     夏季シーズン中,モーター船,関西電力北陸支社,

   立山黒部アルペンルートの開通と共に黒部湖に遊覧船,定員80名が運行する。カンバ谷船着場〜針ノ木谷間,往復11.5km30分,
   2007年,アルペンルートから黒四ダムを訪れた折,船着場付近に1億円を投資し山小屋が建設されたと聞く。関西電力,




       黒部湖左岸カンパ谷
      ダムサイトより水平歩道入口のガレ場,
新しく変わったカンバ谷,09年


   2009年08月,赤牛岳,読売新道
を下った折,平を渡り,逆方向へ黒部湖左岸の径を黒四ダムまで歩む。
     その折カッパ谷には確りした吊橋が架かり,ダムサイド左岸の高台には登らずして湖畔にでられた。

   今は出合上流側に黒部湖遊覧船発着所ができ,トンネルでダムサイドまで水平に続いている。

     水平歩道は新しくホテル「黒部くろよん」まで散策路として整備されていた。




       針ノ木谷南沢出合,
平ノ渡









    右側が下流で対岸がヌクイ谷と中ノ谷, 
      その間,湖畔が平の発着所で上に平小屋(佐伯覚憲)がある。

    左岸湖畔には黒四ダムまで水平道あり,
    右岸の発着所は針ノ木谷直ぐ上流側,(コンクリート階段),
      発着所は09年08月には更に100m程上流側に移動,(丸太階段),


  針ノ木岳より針ノ木沢出合を覗く

   12時の天気図では沖ノ鳥島の低気圧が台風に発達し,四国沖400k付近にある為,本土襲来の恐れあり。
     コースはまだ1/3程度だが烏帽子に登ってしまえば楽勝と思われる。
     皆,頑張ってきた。明日は停滞にしよう。



     夏合宿V,1, 阿弥陀一立山一蔵之助平一南沢出合

     夏合宿V,2, 南沢出合一雲ノ平一太郎平,⇔薬師岳
     夏合宿V,3, 太郎平一三俣蓮華岳一槍ヶ岳⇔中岳,一新穂高