奥多摩,奥秩父東部概念図

       日原川倉沢谷
     2015年04月27日, 倉沢谷林道から右俣長尾谷左岸歩道を経て左又窪右岸尾根―棒杭尾根から左俣塩地谷に回り込む
     2015年09月05日, 倉沢谷右岸歩道から横篶尾根を周回―ハンギョウ尾根中腹道を経て小川谷左岸水平歩道
     2016年04月16日, 棒杭ノ頭南尾根から蕎麦粒山鳥屋戸尾根を周回―松岩ノ頭松岩尾根から山伏沢を経て川苔山登山口
     2016年12月03日, シオジ窪右岸尾根から鳥屋戸尾根を経て神庭尾根を南下―諦めた里の白妙橋右岸歩道と平石橋左岸歩道

  日原川倉沢谷・・新緑の倉沢谷を右俣から左俣へ探索
               倉沢谷林道から右俣長尾谷左岸歩道を経て左又窪右岸尾根―棒杭尾根を下り左俣塩地谷から回り込み周遊
                                                                     2015年04月27日,松村



       倉沢林道起点から右俣長尾谷・右岸歩道
       左又窪右岸尾根から長沢脊稜
       棒杭尾根から左俣塩地谷

     久し振り奥多摩に入る。初めて日原川左岸の支流倉沢谷に入る。常に日原へ出向く車窓から見詰めるも,降りるハイカーのいない谷間だった。
   鳥屋戸尾根と横篶尾根に隔てられた流域で源頭は都県界尾根に接している。
   V字状に狭まれた上流には倉沢谷の中間尾根,棒杭尾根があり,長尾谷と塩地谷との2つの谷を分け,尾根伝いには秩父に抜ける古道がある。

     右俣の長尾谷は石灰岩質の沢で直登可能な小滝が多く,奥多摩の沢としては珍しく山葵田が皆無で,両岸は明るく開かれている。
   又仕事道は山腹の崩壊が甚だしく脆い。源頭部は崩れ荒れ果てた間々の自然の姿を現し,蕎麦粒山に突き上げていた。
   又左俣の塩地谷はツメは三ツドッケ,一杯水沿いに延び,ゴッルジュ帯から始まる中流は広く開かれたシオジの川畔林の緩やかな台地が築かれている。


     倉沢林道沿いに右俣に入り込み,長尾谷右岸歩道を最後まで綴り,左俣窪右岸尾根を詰めて棒杭ノ頭にでる予定でいる。
   この尾根は林道に繋がる左岸歩道終点の「奥多摩区分11/10」班界標から更に,左又窪出合まで荒れた大地が続き,面白いアプローチになっていた。

     支尾根筋自体は踏み跡は薄いが危険なガラ場もなく,棒杭尾根から長沢脊稜にでている。
   復路は棒杭尾根を下り,途中から水源巡視路を使い,尾根筋から分かれ塩地谷に入ることにした。

     実行前までは初めカロー谷中腹歩道を取り,左岸歩道から日原に下ることをも考えていた。
   だが左俣に入ればシオジの森が開かれ,若葉溢れる谷間の広がりに,1つの谷間を2つの異なる春先の沢と,その渓相を味わうことができる。
   その好奇心にくすぐれられながら左俣に入っている。初めての流域で調べれば調べるほど,歩む先に悩む未知の世界が開かれていた。

     以前,蕎麦粒山南山腹道分岐下から広く扇状に開かれた川乗谷源流の蕎麦粒山寄りに下り,,狭く切り立つ桂谷に入渓したことがある。
   奥までモノレールが走り,急峻の狭い谷間は驚くことに山葵田の段丘で埋め尽くされていた。石灰岩でも硬い地層を思わす地形だった。


    愛宕山と鞘口山に突き上げる九竜山江戸小屋尾根
   奥多摩駅舎前バス停より,7:37

    道のルーツを探る旅
     頂へのアプローチとして日原街道から倉沢林道,長尾谷右岸歩道を歩み,薄い踏み跡から未知の尾根へ。
   標杭もない,全てが手探りで,踏み跡もない尾根を詰め,棒杭ノ頭を目指す。下山は昔の参詣路から今は猟師の道,棒杭尾根を下る。
   又棒杭尾根から左俣の水源巡視路に入り,塩地谷に回り込み幕岩尾根の末端にでて,往路の倉谷林道に戻っている。

     下調べで如何にか出掛けられる目星が付き,周辺を調べる内,同じ倉沢谷を周回する方がよかろうと云う考えに変わっている。
   時間を歩むのではなく,時間の流れを刻み歩む。その方が私の気に合ってきたのかも知れない。
   まずは現地に入り,林道終点まで辿り着けるかが問題だった。それから先はその場で考えることにした。





   日原街道桜平付近,8:27
    右手の岩壁が広く扇状に広がる神庭(かにわ)尾根末端

    4月27日(月),快晴
        jr御徒町5:00=5:14神田:16=6:08立川:10=7:28奥多摩343m,西関東バス,日原鍾乳洞口行8:10=8:30倉沢bs

     平日の神田駅,7時12分発の中央線と次の電車との間には乗り換えを含め,奥多摩駅の到着は26分ほどの違いがでている。
   早めのに奥多摩に着き駅舎前にでると,大通りは小学生の通学時間帯と重なっている。多摩工業に向かうダンプやトラックの往来が激しかった。
   交通安全週間に入り,駅前の横断歩道には若い親達が黄色い旗を持ち,通学の子供達を見守っていた。

     バスの時刻塔の下段に川苔山登山口から川乗谷コースの迂回路が張られていた。
   細倉橋から分岐への1/3程入ったウスバ尾根北側で橋が流され,林道へ大きく迂回する処置が示されていた。2014年7月18日とある。

     更に遡ること2年前の5月に秩父大平山に登った折も,前日の豪雨で橋が流され,川苔谷からの登山は通行できぬと告げていた。
   月日が経ち別の災害と思われるが同じ地点で,難所だと読み取れる。好天ならば流心は細くなるが,それでも渡渉できない所だろうか?

    スイカのマイナス料金
     次の列車を待っていた鍾乳洞行路線バスは到着と共に急に座席が埋まり,立席多い中発車した。
   川乗橋で2/3が下車,その後バスは神庭尾根(かにわ)の末端を回り込み,倉沢橋を渡り,日原トンネル手前の倉沢バス停に,私一人を降ろしている。
   日原への道中,このバス停は降りて1人か,2人。それ以上過って見たことはなかった。山と高原地図には赤線で引かれた登山道はない。

     今回は新台の路線バスに変わり,料金表は現金とICと両方が示され別々に提示されていた。
   日原鍾乳洞路線ではICと現金は倉沢だけが同額で,他のバス停は全て現金より1円,マイナスに表示されている。

     切符は消費税計算後の金額を10円単位で四捨五入している。ICカードは1円単位で四捨五入しているた。
   ICカードの端数が4円以下なら切符の方が安くなり,5円以上ならICカードの方が安くなる計算になっている。
   この法則はまだ幹線と地方交通線だけだが,大都市近郊区間と山手線は両者とも切り上げなのでICカードの方が安くなっていた。


    倉沢橋と倉沢のヒノキ
     倉沢谷出合に架かる倉沢橋は橋桁下61mあり,都内に2000強の橋数のうちで,最も高い位置にある橋だそうだ。
   何度も通っているが初めて知る。見下ろす谷底は首がくびれるほどの深い。
   谷底の樹林は溢れるばかりの若葉に満ち,朝日を透す,淡き色合いを谷間一杯に現わしていた。

     倉沢バス停前は倉沢林道の起点でもあり,その左脇が滝入ノ峰見通し尾根の末端になる。
   その擁壁に「倉沢の大ヒノキ」の小さな案内板が付けられていた。25分ほどで尾根末端に立つ大ヒノキに出会える。自生としては都内最大のヒノキ,

     地元では伝承1000年,「千年の大ヒノキ」と呼ばれ,実際は600年ほど。胸高6.3m,樹高34m,
   地上5mのところで9本の巨枝が支幹として分枝している。1987年東京都の天然記念物として指定され,避雷針が設置された。





    林道倉沢線の起点
   魚留橋まで右岸を綴る,8:31

       倉沢林道,長尾谷右岸歩道
    8:30倉沢bs一8:39宮下橋一8:51八幡橋(はちまん)一8:57鳴瀬橋一8:22魚留橋一地蔵橋一9:41棒杭尾根末端分岐
    一9:50シオジ窪出合:55一10:17朽れた橋一10:54左岸歩道終点,

     バス停から倉沢谷右岸沿いの林道に入り,直ぐ2つ目の林道標識を見ると簡易舗装からダードの道になる。ゲードは構えていなかった。
   珍しく「野鳥の密猟禁止」の看板を見ると直ぐコンクリートの宮下橋を渡っている。
   ここから電灯線は途切れ,左上の高台へと旧倉沢の廃集落に上っている。この架線下の林道山側は長い露壁が続いていた。

    倉沢林道
     都営林道倉沢線の起点は都道204号,日原街道の倉沢橋上流西詰で,終点はシオジ窪出合に至るダートのピストン林道。一部舗装あり,
   その先には長尾右岸歩道が続いている。林道の途中には倉沢鍾乳洞がある。今は閉鎖されてをり,林道の道中にも建物類はなくなっている。
   車両は路面の崩れた魚留橋で通行止になる。この先は崩壊に落石多く荒廃していた。





   鳴瀬沢鳴瀬橋,8:56

    鳴瀬橋
     支流八幡沢八幡橋を渡ると6分ほどで鳴瀬橋にでる。渡った左正面が横篶山幕岩尾根南東支尾根の取付き地点。
   踏み跡が尾根を登っている。橋を渡った所には小広く,車が1台悠々と停められる平地がある。

     脇に「氷川漁業入渓券・・」と「たきび禁止」の警告板と標柱が立てられ,河原が近ずくと谷底からの高度差は次第に落ちている。
   この辺から釣人は入渓し,楽に谷底へ下りられる。
   「奥多摩西編,登山詳細図」2014年11月30日発行の「鳴瀬橋」は橋名が間違っていた。右岸の支流,大幡沢に架かる「大幡橋」が正しい。





   右岸を綴る林道,9:12

     暫くして整然とした杉の美林の中を縫う。ここだけは簡易舗装され,陽射しが斜めに陰を創り,人工的なものでも見ていて癒される林道。
   やや傾斜が増し山側に露岩が現れると,路肩が1〜2mの石積みに変わり,右前方の渓谷には5mほどの源五郎滝が見下ろされた。

     源五郎がこの滝に落ち命を亡くしたことから名付けられた。大きな1本の流れが青々した滝壷に落ち,倉沢では一番,大きな淵をもつ。
   続く流心を見ると小陣まりしているが立派で,更に奥へ小滝を連続させていた。谷間は奥へと廊下を築いている。





                                                倉沢鍾乳洞
           
   細い中流の廊下                                    対岸の露頭岩壁,岩の中に鍾乳洞がある,9:14

    倉沢鍾乳洞
     程よく進むと対岸に切り立った石灰岩の露頭岩壁がそそり立つ。洞口があり,総延長は約1400m,三層構造で無数の枝支洞があるらしい。
   洞内は松明に導かれ,焚からた護摩のため洞内は煤け,壁面は焼け黒ずみ,観光地としてはJRがまだ「氷川駅」と名乗った時代に遡っている。

     洞口に橋と東屋があったようだ。今は「洞内事故発生時の補償問題」のため入洞は禁止にされていた。
   今日現在,奥多摩の鍾乳洞観光としては日原,大増,大岳,三ッ合の鍾乳洞がある。大増は先程バスで通過した小菅の集落前の街道脇にあった。

     2013年7月,タワ尾根篶坂ノ丸を周回した折,日原鍾乳洞と倉沢鍾乳洞について供述しているが,共に上野寛永寺の支配下にあり,
   江戸時代の頃には倉沢鍾乳洞の倉沢大権現を祀り,山岳信仰のメッカとして,参詣者が多く見られたという。

     秩父方面から仙元尾根を越え,棒杭尾根や横篶尾根にある見通し尾根を綴る古道を経て,旧倉沢の集落に入っていた。
   集落分岐の少し先,尾根伝いに「両替場のブナ」と呼ばれるブナがあり,参拝のため小銭に替える便宜を払う所があったと言われるほど賑やかだった。





    幕岩
   左側の岩壁は幕岩尾根末端,9:16

     「奥多摩」宮内敏雄著では幕岩尾根の幕岩について「横篶山から南東に続く小尾根は,その先端に見事な山骨を露えわし,
   遠くから眺めれば幕を張ったように見えるので幕岩という」と紹介されている。

     地形図「武蔵日原」では幕張尾根と南東支尾根の挟まれた尾根の間に東西に連なり岩記号があるのが幕岩になる。
   東側に突き出した末端が河原の林道の擁壁にもなっている。





   露頭岩壁真下の倒木に覆われた谷底

     露頭岩壁下の谷底は崩れ落ちた倒木帯, 降雪や降雨により風化された崩壊と思われる。
   左上は倉沢林道の神留橋上部の山腹道。石積み堰堤,更に進むとヘヤピンカーブにでる。





   倉沢の谷底を埋める倒木の山





   魚留橋前広場,9:22

     右手に折れる倉沢林道はここで行き止まる。右脇に魚留橋があり左岸に渡るが,路肩が崩れ沢底を覗かせる崩壊の凄まじさ,
   足元の路面は沢底へ深く抉り落ちていた。荒れ狂った林道は更に八丁沢付近で崩れ,先は更に道形を失うようなる。

     又魚留橋手前にある広場の左端は左俣塩地谷に入渓する水源林径路の取付き木段がある。
   新緑の愛でる深い斜面から高台の山腹にでると横篶山幕岩尾根の取付の末端でもある。

     青葉の美しい樹葉で埋め尽くされていた。そのまま山腹を右岸沿いに巻き込めば,桟橋を3つ渡り,塩地谷支流の茅尻沢(シオジクボ)にでる。
   長沢脊稜にでて秩父側の細久保谷流域を見下ろしてから下山は棒杭尾根から茅知り沢を渡り,この広場に戻っている。





   倉沢谷の苔むしる魚留橋

     魚留橋の対岸は薄暗い樹林に被われていた。橋上は覆い被さる樹冠の隙間から抜け出た日射しのシャワーを浴びている。
   見上げると眩いばかりの逆光に飛び散り,まつわりつく陽光が1つの光線を描き,淡い色彩に交じりに,神々しいまでの光が放されていた。

     この先は二輪車も通れぬほど荒れに荒れ,林道は道形を失っていた。通行止めの印は魚留橋にあった赤いコーン1つのみ。
   左側橋手前の道床は川底まで抉り落ちていた。





    二段の魚留ノ滝
   左脇魚留橋上より,9:25

     豊かに流れ落ちる筈の水量は4月の下旬とは言え,初夏を思わす暑さが連日続き,流心を更に細めているようだった。
   塩地谷の遡行は林道を回り込み,地蔵橋手前のこの滝上から始まっている。左俣に入り,踏み跡は茅尻沢出合へと綴られる。





    八丁沢出合
   ヘアピンカーブを過ぎ荒廃した林道から始まる





   点々と落石跡

     露頭岩壁脇でヘアピンカーブで曲り込むと,倒木に枝絡む茂みが林道を塞ぎ,又落石に塞がれていた。
   標柱には「落石注意」ではなく,「路肩弱し」とある。
   右上の木段は塩地ノ頭北西尾根の取り付きだろう。シオジ窪出合にも枝尾根からの取付きがあり。





   長尾谷地蔵橋,二俣750m

     林道の手前の路面に橋桁が崩壊した林道。地蔵橋前で路面の2/3ほどが没落していた。
   橋桁下,左手が倉沢谷の二俣になる。左俣が塩地谷で倉沢出一番大きな落差を持つ地蔵滝があり,橋を渡った右岸がから長尾谷に入る。





    右俣長尾谷右岸
   下流を振り返り,正面が倉沢谷二俣

     正面が地蔵橋,その先の明るい谷底が二俣。長尾谷に入り両側は岩壁で隔てられる。
   振り返る左手が鳥屋戸尾根,塩地ノ頭北西尾根末端でになり右手が脊稜からの棒杭尾根の末端になる。

     この背後から谷間は河原状に広がり,林道は左に大きくカーブしていた。
   上流側左にカーブする林道筋の右角に小平地があり,壊れたトタンが残されていた。番小屋でもあったのだろうか?





    棒杭尾根末端
   右に分かれる高みが,棒杭尾根末端取付き分岐,9:41

     棒杭尾根の径を左に分け,右手の崩壊し狭まった林道伝いに長尾谷の谷間に下る。
   棒杭尾根は仙元尾根を通り,富士講や一石山参拝に,交易にと栄えた古道でもあり,今は水源巡視路を兼ねている。

     棒杭尾根はほぼ真北に長沢脊稜に向かい延び,棒杭ノ頭1449mの1つ西側の1440m圏コブに突き上げている。
   棒杭ノ頭に突き上げているのは棒杭ノ頭南尾根で地形的には左又窪左岸尾根になる。
   今回はこの尾根を詰め,脊稜に出てから棒杭尾根を下り水源巡視路から倉沢谷の左俣に回り込む。





    林道ツメの廃道化
   林道痕跡が残る倉沢林道

     分岐先は道形が更に崩れ,広く緩やかな起伏を持つ帯状に綴られていた林道は崩れ道形は全く失われている。
   右手に長尾谷右岸沿いに入ると「山火事注意」の看板があり,林道を進むと「カモシカ保護地域」の標柱が倒れ地面に置いていた。
   この先が塩地ノ頭北西尾根の西側末端になり,倉沢林道の終点に突き当たる。





    シオジ窪
   長尾谷右岸歩道の起点

    林道終点
     林道が終わる左手のやや高みに,四角い柱で作られた古い林班界標が朽き倒されていた。
   確りした太い柱を利用しているものの,上と下から自然と崩れ落ちた形で3つに裂け,放置されている。上下の部分は見付からなかった。
   読むと「日原都有林 十一林班5 ろり班 」,「昭和二十五年度 植栽 面」とあり,映像を修正して如何にか読み取れたている。

     ここは林道の終点であり,長尾谷右岸歩道の起点になり,本谷右岸に並ぶ木抗が長尾谷を遡る径路になる。
   中央の木段を下れば倉沢谷に降りてシオジ窪の出合に入る。更に本流の左岸道に入れば鳥屋戸尾根に乗るシオジ窪右岸尾根とも繋がれていた。
   又シオジ窪二俣まで入り,右俣から脆い中間尾根を詰めれば塩地ノ頭に直接立てる。上部には石垣らしき跡が見られるらしい。





    シオジ窪出合
  

    シオジ窪出合
     木橋を渡った右側の尾根末端は鳥屋戸尾根にでて,塩地ノ頭に至る塩地ノ頭北西尾根(シオジ窪右岸尾根)の取付き。
   見た目より柔らかく優しい陽光にシオジの谷間は映しだされていた。

     仰げば緑濃い樹林,高木のせいか谷底の明るさが何とも云えぬ空間を創っている。日が経つにつれ樹葉は谷間を埋め尽くし,陰満ちる。
   そして若葉が密れば,時と共に盛夏が訪れ,深い樹林に谷全体が覆われ,春とは異にする風通しのよい高木のクーラー帯が創られる。





    シオジ林の青葉
  





    長尾谷右岸歩道
  

     この先は下調べではよく分からなかった。シオジ窪の沢底に下りず,右岸歩道が途切れるまで進んでみることにした。
   近頃では何処まで続くか分からぬ作業道が右岸山腹を確り刻まれ綴られていた。先は所々改修されている。

     それ程間を開けず,右岸の山腹道で結構な高さまで高巻くと,谷間との高度差を生み次第に狭まりを見せていた。
   谷底の大石に一人の男性が坐っているのが見下ろされた。以外と高度感はがある。トイレか? 何をしているのか仕草は分からなかった。
   偶然目と目が会い笑っていたが,その後,出会うことはなかった。





    長尾谷右岸の岩場
  
    右岸が屏風状で横切れず,一度左岸に回り込む

     渓谷が岩場へと移り谷間が狭まると,正面右岸の側壁は垂直に落ちる岩石群に突き当たる。
   屏風を連なれた側壁で完全にルートは失われ,前方は切れ落ち望むべき岩壁は抉れハングしている。踏み跡どころか窪溝を造る隙間さえ得られず。





    右俣長尾谷の左岸移動地点
   木橋があったが流されている

     高巻きは相当手前まで戻らなければ無理, 先を閉ざす正面岩壁の右手のザレ場からは容易に長倉谷の沢底に降りられた。
   ここには以前木橋が架けられていたと云う。その残骸は何1つも当らなかった。大雨の時に流されたのだろう。





    長尾谷左岸の岩場
   右手の窪地が小沢口で高巻く





   小沢口からの高巻き地点

     水量が乏しく飛び石伝いに左岸へ。斜め上流側対岸には小沢が入り込んでいる。左岸も大きなスラブが壁をつくり,横切るのは難しい。
   小沢の沢底を詰め,そのスラブを高巻きして,難場を抜けることにした。ここは遠周りに赤テープのマーキングがあった。





    朽れた桟橋
            

     難場の岩場を高巻きし回り込むと今度は古い今にも落ちそうな木橋に出合う。
   橋桁の土台は岩盤の上に乗り,コンクリートで両側は堅く固められているが,橋床は半ばは抜け,踏み込めば見るからに抜け落ちる。
   手前の橋口には枝木3本が並び「通行止め」を示していた。

     ただ橋床はどうしようもない。橋の形だけを残した残骸がある。見るからに渡ることはできなかった。
   サンダルが何故か? 両岸に1足ずつ転がっていたのも不思議だった。ただ左岸のヘチの大巻きは土砂の崩れか? 楽に右岸にでている。





   右岸作業道の改修された桟橋

     後の右岸道は次第に確りした踏み跡になり,沢沿いからは少々離れ,高巻きで高度を上げるようなる。
   割れ埋まる一升ビンを見て,急斜面の確りしたジグザグ径で更に高度を稼ぐと真新しい短い桟橋を渡っている。更に再び古い林班界標を見た。
   そして左手から流れ込む支流の930m圏出合にでる。





   左又窪左岸尾根末端,南側端
    正面の岩場から巻き道が続く,戻り谷底を歩む

     この支流の左岸沿いの作業道を綴れば棒杭尾根の半ばにある 「奥多摩区分12/11」林班界標柱の立つ所にでる。
   午後に長沢脊稜の棒杭ノ頭の頂に立ち,引き返しは棒杭尾根を途中まで下る積りでいる。その時,出合う標柱の場所になる。

     又この作業道は左又窪左岸尾根の末端南側にある伐採地跡まで続いているものと考えられた。そこは定かでなが一番確りした径路になる。
   ここは又左又窪左岸尾根の扇状に広がる末端でもあり,南側の出合に当たっている。尾根の取付きは北側を回っていた。
   北側が取付きに出るには大きく沢沿いに回り込むか, 高巻きして末端の植林平坦地を横切るルートになる。林班界標柱の手前で合わさっている。

     支沢に綴る確りした作業道に対して,本流の右岸道は薄い踏み跡になり,間を空けずして再び踏み跡らしくなった。
   更に進むみ上写真正面の岩場を越す。すると巻き道は素晴らしいブナの森を潜ることになる。ここは2度目の入渓で知ることになる。
   今回は本流側の谷底を進んでいる。





    左又窪左岸尾根末端落ち口
   巻き道手前の長尾谷
    やや高みの真横の巻き道から沢底に下っている





    一ヶ所あった堰堤
   後に巻き道から臨めた堰堤





    最終の「奥多摩区分11/10」林班界標
   長尾谷右岸道終点

     日原街道,倉沢橋バス停で降り,倉沢谷右岸沿いの倉沢林道を繋ぎ,魚留橋からは半ば崩れた廃林道をシオジ窪にでている。
   そして難路を含む右岸歩道に入っている。右岸歩道の終点は又窪右岸尾根末端の河原。「奥多摩区分11/10」の林班界標があった。
   目指す棒杭ノ頭への南尾根取付きはもう直ぐだ。左岸歩道から踏み跡に続く尾根の北方から取り付いた。


     倉沢林道起点から右俣長尾谷・右岸歩道
     左又窪右岸尾根から長沢脊稜
     棒杭尾根から左俣塩地谷