春期ツァー合宿Top,.                                                           .

吾妻連峰,春合宿V




家形山〜東大嶺,
鉢森山, 高倉山, 一切経山, 栂森山,



                                   一切経側壁,
          吾妻連峰東北部,春期ツァー合宿V
                      s43年(1968年)02月20〜03月06日, cL松村,sL和田,m他32名,



       RHCと吾妻山
    毎年繰り返す吾妻のツァー,一つの山域で常に同じ時期行われてきた。
      初めて春の吾妻を知ったのが7年前,クラブは合宿として,やはり五色をベースに
      賽ノ河原までしか入れず,高倉山さえ断念した。

    それが年毎に五色からツァーの距離は伸び,高倉山,鉢森山,そして家形山,一切経山と家形ヒュッテも利用するようなる。
      駅1つ離れた峠からも栂森山に登り,一度断念の末,偵察を繰り返し家形山一東大嶺間の縦走と。
    昨年は東吾妻山にも立ち,一応,吾妻の東北山域を完走,自由に計画を操るまでになってきた。
      そして本年度,最終合宿も吾妻に入いる。


       42年春合宿
    42年度春期ツァー合宿は7度目を迎え吾妻連峰,五色温泉をベースに行われた。
      今合宿は冬合宿が雪不足で先発二年生は戸狩,後発は五色に変更し部員が別れた合宿となる。
      又怪我は少なかったものの,流感のため下級部員が充分にスキー技術を習得し得なかった。

    それ故,女子部員の質的充実を含め,クラブの平均的総合力の向上によるリーダーシップ,メンバーシップの習得が求められた。
      今年は急激に増えた女子部員,その部員達が最後の合宿まで頑張ってきた。考えれば男子以上の確率である。
      伸びる女子軍団は,来年度には更なる新部員の増加が考えられた。

    クラブとして先鋭隊の充実を諦める。そして総合力でのクラブの向上を求めた。
      女子部員の増大は如何に前年までの全山行を維持するかに掛かっている。女子部員を伸ばす必然性もある。
      そして初めて縦走,栂森を除く全コース(一切経,高倉山,鉢森山,)を混合パーティとして編成した。

    それ故,偵察は前年同様の行程に留め,家形山〜東大嶺間の縦走は,より万全を尽くす為,雪洞による偵察隊をだした。
      又小栂森直下に雪洞を設け縦走隊,栂森ツァーにも備える。

    ベースには下級部員の少しでも向上を狙い,ボッカ隊を初めて1年全員(男女)によるベースへの荷揚げを行った。
      そして女子全員が家形ヒュッテにも出向けるよう,1年,2年生を主体とした混合パーティを編成する。

       女子部員
    1年男女全員によるボッカ, これこそクラブ員全員による合宿が本隊入山以前に始まった事になる。
      私は男子の女子に対する意識改革が必要であると共に,女子部員の意識向上があればと願っていた。

    全てが初めての企画であり失敗は許されない。つぶれれば増えた女子パーティはつぶれてしまう。
      増える女子部員にクラブも立ち向かえなければならぬ必然性がある。今回初めて女子の必要悪と云う言葉を失わさせた。
      故,男子には時間的苦労を意識的に強いる事になる。又女子には新たなファイトを期待した。

    雪山の故,初めての事でもあり,先輩,OB指導員の方々にも悩ます難しい問題でもあった。
      執行部,全員の先を見る厳しい考えが,この春合宿の定義にもなっていた。

    更なる山のルート偵察,開拓は押さえる。
      新たに鉢森の奥,僕等が常に氷のようなピラミット形の山と称している山域へ入山するよう立案されたものの,
      断念し底力の向上,特に女子の充実に計画を絞った。

    個人山行とは違い,後輩達にも先の女子増加を考えさせる機会を与える合宿になる。 
      来年は更に女子の比率は増すだろう。その時点での対処では遅すぎる。

    山小屋隊は昨秋11月に修理及び薪作りに入った為,改めて偵察を出さなかった。



    11月06〜10日, 春期ツァー合宿に備え家形ヒュッテ修理, L松村,sL大川,他m8名,
    12月21〜28日, 2年強化スキー技術合宿,奥信濃,戸狩,21番荘,
                             西村,和田,他2年9名,雪不足で後発は五色に変更する。
    12月24〜29日, スキー技術合宿吾妻,五色温泉,
                             4年7名,3年4名,1年11名, 計22名,
    12月28日,    宗川旅館,宿泊交渉, 宿泊日1泊¥300,外泊¥200,(前年同),


2月21日,
22日,
23日,
24日,
25日,

26日,

27日,

28日,



29日,




3月01日,




2日,




3日,


4日,



5日,
6日,

曇後晴
晴後吹雪,
風雪,
快晴,
吹雪,

曇,
晴,

快晴,


快晴後曇,
快晴,
曇後晴,
晴後曇,
霧後晴,
曇,
濃霧,
地吹雪

晴後曇
快晴,
曇後晴,
雪後曇,
小雪後晴,
晴後吹雪,
曇,
快晴,
快晴,
快晴,
快晴,
快晴後雪,
快晴後曇,
快晴後曇,
快晴,
雪,

偵察隊出発,
小栂森手前,

偵察,
下山,
ボッカ隊,
本隊,
雪洞訓練,
スキー足慣し
ゲレンデ,
東大嶺1,
一切経,
鉢森,
高倉山,
東大嶺2,
一切経,
同上,
栂森,
ゲレンデ,

東大嶺3,
一切経,
同上,
栂森,
高倉山,
東大嶺4,
一切経,
一切経,

栂森,
高倉山,
一切経,
鉢森,
高倉山,
栂森,
鉢森,
鉢森,
高倉山,
運動会,
現地解散,
L西村,sL滝島,m田沼,山田,工藤,




L三田,m一年男女全員16名,
cL松村.sL和田,m残り9名,
L和田,m高畑,高橋,赤嶺, 
各パーティ別,

L西村,sL滝島,m田沼,山田,工藤,
L大川,sL水頭,m関,中川,平田,根岸,
L松村,sL赤嶺,m高畑,関根,富田,伊東,古田,狐崎,
L鈴木,sL高橋,m斎藤,大塚,桧垣,沼津,日吉,

L大川p,
L和田,sL三田,m西沢,新崎,仲林,島田,割田,
L鈴木p,
L松村,sL赤嶺,m高畑,関根,富田,伊東,古田,狐崎,

L和田p,
L鈴木p,
L大川p,
L松村p,


L鈴木p,
L松村,sL高畑,m関根,富田,伊東,古田,狐崎,
L和田p,
L大川p,
L松村p,
L鈴木p,

L和田p,
L松村sL高畑,m狐崎,富田,関根,

L大川p,
L和田p,
L西村p,

上野=峠
峠⇔小栂森s1,2,3,
停滞,
s2⇔明月荘,
s3一峠=板谷一五色bc,
板谷⇔五色bc,
板谷→五色bc,
午後,雪洞を掘利, 五色⇔高倉分岐,


五色bc→家形ヒュッテhc,
五色bc→家形ヒュッテhc,
五色bc⇔板谷一鉢森,

家形ヒュッテ→明月荘hc,
h→五色bc,
五色bc→家形ヒュッテhc,
五色bc⇔板谷=峠一栂森,

停滞,
h→五色bc,
五色bc→家形ヒュッテhc,


明月荘hc→五色bc,
h→五色bc,
五色bc→家形ヒュッテhc,


h→五色bc,






午後,納会,
五色bc→板谷=上野,


       上野駅
    春合宿,初めて合宿として1つのベース,五色で全員を率いる事になる。
      上野駅に集まる部員の顔を見つつ,好天と合宿の安全を祈った。

    今年は雪不足で一年部員冬合宿を戸狩から五色に変更した。少しでも吾妻の一部分が判ってもらえればと。
      僕はホームに部員達が集まるにつれ自信に満ちていた。
      ホームに北風が吹き抜けるも快い。肌寒い風に身を引き締まるも嬉しかった。

    素晴らしい山行を旅立つ先輩と新人部員に与えたい。一年生には最後の総合合宿になる。
      春山の素晴らしさを与えなければと,気持は掻き立てられた。


    各部員がその役割を果たし僕の決断を支えてくれている。東北の雪山にファイトを促し合宿が始まる。



  高倉分岐,雪洞入口,    ,

      2月26日曇, 五色温泉bc,

   昨夜,雪が降ったらしい。五色までのつづらの径,新雪に40cm潜る。
     ボッカの為,昨日,一年生が奮闘したトレースも全く失われていた。
   この機を逃さず二年生がワッパを用い深い溝を築いて行く。ツァーには雪多いに越した事はない。
     五色に入り一年の元気な顔が頼もしい。

   本隊を含め,ここ五色に総勢,31名が集結する。昼食後,雪洞をテーマに研究を昨年と同じ場所で行った。
     雪洞は偵察に於いて小栂森直下に, 高倉山分岐には今日,2年部員が中心メンバーとなり向かっている。
     ここ五色には2つ,計4つの横穴が掘られた。又五色にはイーグルと縦穴も掘る。

   慶応ワンダーホーゲルは年毎に人数が減るよう思われる。
     それでも今年は総勢80名前後と聞く,そして我々より3日早く合宿を終える。
   五色の女主人に挨拶に行くと,KWCと比べRHCを誉めてばかりいる。
     くすぐったい気持で汁粉をご馳走になった。



       2月27日晴, 五色温泉,

      体慣らし
   ツァーを前に体慣らしの為,旅館前でゲレンデを造り練習した。
     初めに各パーティ毎に分かれ,踏み足,デラパージュでゲレンデを造くる。小さな斜面は見る見る固められスキー場らしくなる。

   初滑りを見る限り,我がAパーティは先々が大変のようだ。
     予想はしていたものの改めて驚く技術ぶり,まず斜滑行とボーゲンを改めて身に付けさせねばならなかった。

   一年生が主体の冬合宿,その成果は? 何処に行ったのだろう。
     葬儀で参加できなかった私は報告を聞いただけで,最低でも直滑行と斜滑行は身に付けていると考えていた。
     もう機敏な行動より地で行くしかあるまい。思いの外,行動時間は改めて多めに取らねばならぬだろう。

   夕方,狐崎先輩が五色に入り,メンバー全員,32名が出揃う。


      ミーテング
   スキーを終え風呂に浸かる。もう食当が慌しく廊下を駈け回り,美味そうな香りが鼻に付いた。
     僕等同期6名,食事までの間,今日一日の報告と明日から始まるツァーの打ち合わせをせねばならない。
   又リーダー会を催し各リーダーからメンバーの状況から伝言など,する事が多く残っている。
     もうそうなると時間が迫り,後は全員のミーテングが待っている。

   夕暮れに帰って来た賽ノ河原分岐の雪洞隊, 報告がリーダー和田によってなされ,各係の伝達事項が始まった。
     食糧係の水頭が,摘み食い禁止を徹底すると初めに言い出した。
   気象の工藤は晴後曇,もしかすると雪が降ると,分かるような分からぬ明日の天気を伝える。
     山田は装備だ。明日ツァーに必要な団体装備を配る故,ミーテング終了後,集まるよう指図した。

   暖かみの乏しい炬燵に足だけは,幾つも重なり合い,輪をかいて聞くミーテング。
     今日から10日間,闘志に燃えたツァーの醍醐味と,僕等執行部には大事な役員会,リーダー会,ミーテングの繰り返しが待っている。




              鉢森山
                       栂森より峠と隔てた鉢森山,3月04日,

        Aパーティ,L松村(3),sL赤嶺(2),m狐崎(4),高畑(2),関根,冨田,古田,伊藤(1),


      2月28日快晴, 五色bc⇔板谷一鉢森,

   みんな思い思いに転び開拓部落の道にでる。
     コースは一旦,谷に下り板谷の線路を渡って,対岸の林道分岐から鉢森山の尾根に回り込む。 
   林道を300m程入り,右に大きくカーブした所を直角に右へ折れた。
     林道と平行して裾を巻く林道。ふんわりした淡雪が眩い。

      春の陽差し
   サングラスを透しても眼が眩みそうな雪はキラめきを持っている。確りしたトレースもここまでだ。
     セーターを脱ぎシールを付け,足をスキーの金具に合わせる。
     じっとしていても蒸すような強い陽差し,雪を握る素手の感触が冷たく快い。

   この山道を横切り小径を辿る。雪が被い一見,分からぬ径にスキーはよく馴染んだ。
     思った程潜らぬ積雪にテールを出す時の,巻き上げる淡雪,やはりツァーは素晴らしい。

      五色と吾妻の峰々
   電線,送電線に沿って高度を上げて行くと,向かいに五色が望まれる。
     知らずしてもう同じ位高度を稼いでいた。小さなスキー場に古びた宿がある。

   更に目を登らして行くと鏡のように輝く栂森の尾根が眺められる。
     乳房のような起伏が幾つも積み重ねられ,山ひだを造り,尾根となり,東大嶺,果ては烏帽子へと絵巻のように広がっていた。

      雪尾根
   トップが刻む赤嶺のトレースを後から追う者が踏みしめ,確りした1本の径筋が送電線の尾根に築いかれて行く。
     ラストの僕は築かれたトレースを外し,自ら雪と絡み合いスキーの感触を楽しんだ。
     浅く10cm程しか潜らぬトレースに,僕の心は登る喜びを蒼空の如く味わった。




       鉢森の雪庇

                               鉢森山直下の雪庇,


     鉢森山頂でのメンバー,

     雪原
   送電線と離れ,広い窪地の斜面を横切り,真っ直ぐ鉢森に向かう。
     シュプールひとつない雪原にタンネを抜け,疎林を巻き込むと鉢森の肩,雪の庇にでる。
   昨年オープンした栗子国際スキー場が鉢森山の南東斜面に望まれた。
     風に乗り流れてくる歌謡曲には閉口した。遠方に臨まれるも,音による自然の崩壊を改めて知る事になる。

      鉢森山
   相変わらず大きな鉢森の雪庇,見るのも楽しかった。下りは林間を縫って開拓部落へでる。

   森を抜けると雪は重くなり湿雪華々しく,直滑降以外滑る方法はなかった。
     板谷に向かう左岸の道。
     山道はよく唸り,時折アイスバーンに突っ込んでは,どんどん朝方の分岐まで降りて行く。


     s41年03月,初めてのツァー,鉢森山,
     s43年02月,快晴の鉢森山,
     s44年03月,春合宿,最後の鉢森山,



      2月29日濃霧, ゲレンデ,五色,

   ツァーに入り2日目,食当,ゲレンデである。
     前半と言っても前半の半分だが合宿の準備,偵察,ボッカと合宿も半分終えたといえよう。

   ゲレンデは又,食当を兼ね,仲間ツァーに出掛ける者の世話と同時,体力,精神力の憩いの意味がある。
     外は霧が濃く練習も程々に留め,炬燵に寝転びながら静かな午後を味わった。

      濃霧
   午後になり滑るどころか歩行すら難しい程の濃霧になった。
     明かり窓から外を眺めても屋根の庇さえ見えない。乳白色の粒子に全てが埋められている。
   ヤバイ,縦走以外に一切経,栂森へとツァーが出ている。濃霧は五色周辺だけだろうか。
     ちょっと高度を上げればガスは切れ,蒼空が覗かしているかも知れない。それにしても酷い濃霧だ。

   全員をゲレンデから上げさせ窓ばかり見詰めていた。そして後輩には早めに迎えの準備を整らせる。
     霧が大分落ち付いた頃,一切経,栂森パーティが戻って来た。
     五色以外は視界に恵まれていたと聞き,安心すると共に再び停滞の居心地を味わった。


   女子を含め我がメンバーは人数が多い。廊下を走り回る音足と笑い声が騒々しくも心地よかった。
     今日は我がパーティ,早くも停滞日, 長閑が一番だと,はしゃぐ後輩達は炊事に精をだしている。




    高倉山
   賽ノ河原との分岐を分け,


頂稜立教ルート,                              ,  
     高倉山,



   最後のコブを越え,


      3月01日雪後曇,強風, 五色bc⇔高倉山,立教ルート,

   Dパーティと共に分岐に立ち,立教ルートへと尾根ずたいに登りだす。
     傾斜を増したせいかスキーを付けた女子は大変だ。股の大きさと馬力が如何しても男子には適わない。
   猛ハッスルで弾丸滑降の難場を抜けた。南面にはずっと雪屁が張り出している。
     途中,KWCの雪洞が庇の脇に見受けられたが,当クラグでは禁止され慎むべき場所だった。

      高倉山
   高倉の頂は直進すると遮る潅木もなく,西北の風が真ともに吹き付けていた。
     右頬が冴すようで痛い。早速,目出帽を被り,皆の顔は中世の騎士になる。オーバーズボンにヤッケ,それぞれの帽子と。
     風が益々強くなる中,シールを付け頂に立つ。

   明日登る家形山にファイトを燃やし慶応ルートを賽の河原へ向かい滑降した。滑降と言うよりは下降である。
     シールをブレーキに東側二つ目の鞍部から一つ目の谷にトラバースするよう大きく斜滑降を取る。。
     雪質は最悪のベタ,危険大で,積雪の多い場所までシールは取らせなかった。


     s41年03月,Rルートと高倉山,
     s42年02月,大部隊の高倉山,
     s43年03月,シールを付け高倉山へ,



   
   一切径山
            家形ヒュッテ修理Top
     家形ヒュッテとガンチャン落し, 私,狐崎先輩,中川,関根,古田,伊藤,富田,

    3月02〜03日,一切径山ツァー,

      3月2日晴後吹雪, 五色bc一賽の河原一緑樹荘一家形ヒュッテhc,
                                  L松村,sL高畑,m狐崎,関根,富田,伊藤,古田,


   赤嶺が昨日,高倉ツァーの帰り弾丸滑降で捻挫した。それ故総勢7名で宿をでる。
     食当の仲間に混ざり,赤嶺がビッコを引きながら玄関まで見送りに顔をだした。

   朝日の陰る玄関前の小広場,手をかじかさせながらシールを付け裏山に回り込む。
     昨日,転びながら降りて来た弾丸滑降の登り,薄すらシュプールが残っている。

      賽ノ河原
   分岐を過ぎ木陰に淡雪を流したアイスバーンが所々見受けられた。
     伊藤がシールを切る。仕方なく彼女のみツボ足で賽ノ河原を横切った。
     河原は風力4,晴,霞もなく雪は締まっている。

   樹林帯に入り青木小屋まで幾つも谷を横切るが,皆見事な心臓を持っていた。
     転び覚悟の滑降に度胸が居座っていた。自然と止まるとは云え,転び転びの所だった。
     吹き溜まりに突っ込んでは淡雪の世界に投げ込まれ,そして雪は舞い雪坊主になっては,又同じ事を繰り返す。

   青木小屋手前で家形から戻るCパーティに出会いシールを借用する。ツエルトを被っての昼食,天気は崩れ気味。
     今年は東海さんがまだ青木小屋に入って居ず,ひっそりしていた。

   再びシールを付けた間々家形ヒュッテを目指す。傾斜が落ちタンネの森が続く。
     ずっとトップを任した高畑に代わり,一年関根に変えさせた。風が途切れた森,もうヒュッテも近い。
   心踊らせ関根はテールを前に進ませていた。新雪を自ら切り,森に入る心地は誰もが感動する。
     一切経ピストン,まだ時間的には早いが,この天気ではどうしようもなかった。



      ダルマストーブ
   家形ヒュッテにはパイプの付いた古いダルマストーブがある。
     ヒュッテの玄関から入ると正面にダルマストーブがあり,パイプは真っ直ぐ伸び,通しの2階天井を突っ切り屋根を抜けている。
     パイプの煙突は外に出て屋根上でやや西に傾いているが。

   ストーブの燃え始めはくすぶる薪で小屋中を煙の渦で一杯にした。そしてくすぶる煙は濛々とヒュッテを埋め僕等の両目を襲う。
     特に煙るの溜まる2階は大変である。目は重くなり痛く,我慢する事が耐え難くなる。
     擦る目に容赦なしの煙がつぶる瞳の奥までも入ってくる。そして1階でもストーブの周りは這うように回り込まねばならなかった。

   薪が燃えるに従い,くすぶる煙はパイプを通し外へ逃げ出すようになる。
     薪がよく燃えだすと,薪は湿気をを失い,赤い炎が更に赤くなる。ダルマストーブは外から見ても赤味を増しだした。
     鉄板のストーブが真っ赤に焼けるようなった。パイプを通す煙は殆ど出なくなる。

   赤々と燃えるストーブは僕等に安らぎを与え上着を脱ぎ,口数を多くさせた。
     下級生に笑いが綻び,道中のエピソードが自慢となり語りだす。もう登りの苦しみも笑い声に替わっていた。
   ストーブを囲む仲間達の顔がよい。
     ストーブの上の薬缶はゴトゴト鳴りだした。水がどんどん造られ,もう薪を加えても煙は出なくなる。

   煙の昇る暖かいヒュッテ。昨年秋,ストーブを掃除し薪も随分造った。そのストーブに自然と仲間が集まり,今日の凱歌に酔っている。
     1年生は炊事に精を出し,声高らかに語らい笑っている。そして明日も雪の吾妻に挑む。



     ガンチャン落とし
   後方,高倉山,鉢森,


      3月03快晴, 家形ヒュッテ⇔一切径山,

   お節句に相応し昨日と打って変って晴天となる。
     ガンチャンをジグザグに切って高度を稼いだ。

   数年に一度,雪崩が起こり,ここだけは樹林が途切れれている。大きな裸の傾斜が肩まで続いている。
     シールに雪面はよく絡みよく効いた。朝の汗ばむ登行が快い。



     頂稜
   家形山分岐でスキー・デポ,



   一切径山へ,



   強風で吹き飛ばされた稜,

   全員が確実な足取りで登って行く。今日は1年女子も気を張り頑張っている。
     運良く恵まれた天気,先には素晴らしい冬の眺望が待っている。
     留まれば凍る程の寒さでも,冬ではの憧れと後輩に託す期待を私は持っていた。




   一切経山側壁,

      五色沼を覗く

   覗く蒼氷の釜底は樹氷に包まれ氷の世界が広がっていた。
     雪が隅々を埋め,煌き渡る氷の反射に,寒気が一層白さを深めている。

   そして周りを濃紺の空が被う。
     深い色合いに,目を暗ます明るさと初めて見る岳の勇み,自然の大きさを知るにはこの上もない。

     誰にも素晴らしい感動をもたらしていた。





           一切経山より吾妻小富士,

      吾妻小富士

   釜を回り,雪の切れ目でスキーをデポ。
     真ともに受ける西風が雪を飛ばし凍結した地肌を現していた。
   ここは相変わらずの強風だ。足をすくう風に息はない。
     一切経,吾妻小富士と裸の頂に,吸う息も苦しい。3度目で覗めた吾妻小富士,視界は素晴らしい。

   刺す息は,まだ冬山の装いを占め,僕等に身を引き締めさせていた。
     凍土に飛ばされぬよう這い登った頂,それでこそ吾妻小富士を望む事ができた。
     雪も氷も釜は眩かった。





                             ガンチャンを切る,

      家形ヒュッテ―賽ノ河原―五色bc,

   ヒュッテで軽い昼食後,五色に下る。
     再びヒュッテをでる。外は眩い陽を浴び,雪の反射に眩みそうな光が煌いている。
     森は何処までも明るく兎でも出会いそうだった。

      仲間
   男に負けずに勇ましく滑る古田嬢,度胸もよく「キャー!」と叫び声を上げ,勢いつき腰から滑って行く。
     停まらず深雪に突っ込んでしまった高畑は,雪に埋もれ漸くして僕の所まで登って来た。
     吐く息から雪が舞っている。

   狐崎さんの滑降もテールを充分利用するより,枝木に頼る方が多い。
     強引な滑りの関根は,よく転びよく立ち上がる。
   富田の無鉄砲さも体の大きさでカバーしている滑り方だ。
     豪快に雪粉を巻き上げ自ら雪の中に埋もれて行く。
     滑るより歩く方が早い伊藤嬢。漸く森を抜け青木小屋にでる。

   はじゃぎ回る一年生,
     よく脱線し谷に落ち込んでは雪を払いのけず,又斜面に向かって行く。

      恐怖心
   伊藤が雪積りに突っ込んだ。スキーは足から離れバラバラに飛び,顔面を雪面に固く押し込むよう倒れた。
     血の赤々と滲んだ斑点が彼女の倒れた周りに散っている。
     ビックリして滑り寄ったが口元を少し切っただけだった。

   もう恐怖心が先走り滑る事をしない彼女。僕は宥めるよう緩斜面を見付けては,諦めさせずゆっくりでも滑らした。
     短く区切ったシュプールと彼女の疲れた顔。再び滑る安心感を与えなければ。
     余りにも遅いが皆頑張っている。高畑を五色へ先に走らせた。

   差ノ河原を抜け,弾丸滑降を発狂したかのような悲鳴を上げ落ちて行く。
     もう宿は近い。滑るより戻れる安心感からか,皆も最後の力をだし「キャーキャー!」はしゃぎスキーに興じていた。


     s41年03月,春期,初めての家形ヒュッテと一切径山, 
     s42年02月,家形山〜東大嶺縦走,
     s42年11月,家形ヒュッテ修理,偵察,
     s43年03月,混合パーティで一切経山,
     s44年02月,東吾妻山,家形山(女子パーティ),



     栂森山
  



   栂森山へ,


     3月04日晴後雪, 五色bc⇔板谷=峠―栂森,
                             L松村,sL高畑,m狐崎,富田,関根,

       五色bc5:00一6:35板谷,奥羽本線7:07=7:15峠
         一9:00(51番):15一11:30栂森山12:05一13:55峠15:14=15:21板谷:32一16:00五色bc,

   最終ツァーにふさわしく今日も晴天に恵まれ,峠駅に降り立った。
     列車は一駅だけの僕等を運び米沢へと消えて行く。
     各々自分の手持ちを整理して栂森に向った。

   駅前の林坂を抜けゲレンデより快調に熊岩にでる。
     このゲレンデは五色と同じ古い歴史をもっているが名ばかりで,この3年間,一度もスキーヤーを見たことはない。
     古いいにしえの名が残っているだけの可愛い窪地の斜面がある。

   ツボ足に男子のみ,やはり足が揃っている。額に溢れる汗,目にしみて痛かった。
     左側の谷は何時ものように切れ落ち,上部は大きな雪庇が今年も張り出している。

   柔らかな山ヒダの波に積み上がる鉢森は大きく見える。雪質は潜るでもなくベタでもない。
     偵察隊の雪洞設営地点,小栂森を越え息揚々に栂森直登ルートを取った。斜面はやはりきつい。 

   上部肩への取り付けがやな所だ。スパッと切れ落る斜面に,テールから弾かれる雪粉が流れ落ちて行く。
     大きな庇が口を開けていた。そして栂森の肩を兎を追い々頂立つ。


      滑降
   頂というより,伸び伸びしたコブ,風が強くなってきた。崩れた天気に陽は閉ざしガスが湧きだした。
     スキーには絶好の粉雪が薄っすら雪表を被っている。さあ,早く滑ろう。

   登りに見止められた滑川に張り出す大きな雪庇の亀裂,下りはこの庇がなくなっていた。
     雪稜と雪庇のつずら尾根,ここばかりは一年男子にも笑い顔がない。
     ガスが視界を狭め,「早く滑ろ!」と叫でも,滑行ならぬ歩いてばかりいた。

     s42年02月,栂森山,偵察,縦走,
     s43年03月,懐かしい栂森山,



 
                  吹雪に整列した完全装備の仲間,

     3月05日, 運動会,納会,

       食当起床5:30,全員起床6:30,朝食7:00,運動会8:00〜11:00,食当準備11:30,昼食13:00,学年別14:00〜15:30,
       夕食18:00,納会19:30〜,

      納会
   今年も無事,事故もなく全合宿を終える事ができた。
     4年生西村,根岸,竹永,日吉,滝島,各氏と保坂嬢を送る。

   広間を借りた廊下の向かいには雪がまだシンシンと降り注いでいる。
     式次第に則り厳粛に遂行され,明け方まで祝宴はなされた。

   今日は無礼講で酒を交わしている。相変わらずこの地酒の「東光」は甘すぎるが。
     何時も呑めぬ者まで呑んでいる。酒が進むにつれ後輩達の雪落しが始まった。

   四年生を担ぎ上げ,玄関前の淡雪に落すのが慣例になっていた。ここは常に泡雪の積もる傾斜を伴っている。
     投げるだけで補ろがなく,度を越す行為に止めさせたが,酒宴は1人,2人と酔い潰れ何時までも続いていた。
     小雪は明け方まで止まらなかった。荒れるでもなく静にシンシンと降っている。

     西村先輩より真新しい超特大キスリング2尺6寸を記念に頂いた。まだ10貫以上の荷を背負えと云う事か。



      3月06日,五色bc解散,

   ここ吾妻の山々はツァーの歴史が古く,その良さが昨今の如く残されてきた。が,
     時代の流れには勝てず,この1年間に我々の身近な所まで開拓の手が迫ってきた。

   板谷は奥羽本線複線工事のためトラックが入り,賽ノ河原にも立派な道が横切った。
     ここ五色も夏場は板谷からバスが通うようなった。
   バイパス的な新国道が立派に造られ,更に栗子スキー場のオープンは鉢森まで雑音を撒き散らしている。
     更に信夫高湯のゲレンデも上に伸びつつある。

      山を降りる。
   五色温泉,最終日は何時もと変わらなかった。先輩,後輩を送り出し,外に飛び出すと「蛍の光」の曲が流れていた。
     気を使ってくれる宿に感謝した。全てを終え誰も居なくなった玄関に,まだ曲が流れている。何か間の抜けた漂いに思える。
     最後に同期が玄関に集まった。そして板谷に下りた。

   全員無事,全行程を終え山を下りる。主将として最後の合宿も終えた。
     宿主の源ちゃんは相変わらず居ない。食堂で女将からの湯をすすり,一気に板谷へ滑り込んむ。
   板谷の叔母さんにも茶を勧められた。列車の時刻も迫まり,これで合宿全てが終わったと実感させられた。
     立ちながら呑んだお茶,同期の声を聞き駅前の連絡所を後にする。




       
縦走隊報告,家形山〜東大嶺,

                     L西村,sL滝島,m田沼,山田,工藤,

      偵察隊後記

   縦走の確実性を増すため,今年も峠〜明月荘間の偵察を実施した。
     今年の積雪量は例年並みと思えるが,熊岩上の広い斜面は雪が締まておらず,つぼ足では一歩毎にブッシュに突っ込む。

   やがて栂森からの尾根上に出ると,雪もややしまってくる。ルートも昨年と変わりがなく,雪庇も昨年と同じ場所にでき上がっている。
     栂森への登りは直登かトラバースかで悩むところだが,でいればトラバースにて栂森全体を知る方がよいと思う。

   栂森より1のコブ,2のコブと問題はないが,3のコブより明月荘までの間が,偵察の主眼であると思う。
     特に明月荘の下りでは,この地点が非常に難しい。赤旗,赤布,赤ベラは,この地点を重点的に確実に使用したいものである。

   明月荘の状態は,毎年雪が半分程小屋を埋めている程度で,使用にはさして支障はない。
     しかし,年毎に荒れて行く状態は,この小屋でも例外ではない。
     雪洞を利用しての,この山行であるが,雪が硬く締まっていたのと,ブッシュに悩ませられ,完成までに4時間を費やした。 滝島静昭記,

     2月22日,快晴後吹雪, 峠8:45一13:25小栂森下,Sh
        23日,風雪,     停滞,
        24日,快晴,     sh7:40⇔12:15明月荘13:00, 一15:00,
        25日,吹雪,     sh9:40一11:40峠.   



       縦走本隊

   2月28日,快晴後曇,
     7時,一切経,高倉山パーティと共に五色温泉を後にする。「いよいよ本番だ。」偵察の時より緊張感はない。
       青く澄んだ空、峠から栂森へと伸びている尾根が美しく,なつかしい。
       10時半,緑樹山荘前の急登にかかるが,ワッパの跡が一面にあり歩きにくい。気合を入れ頑張り,12時丁度に家形ヒュッテに着く。

     一休みした後,滝島,田沼,工藤に偵察に行ってもらう。
       家形山から兵子の分岐までの間,10本の赤旗と10枚程の赤布を付け明日の行動に備えた。
     4時過ぎガンチャン落しを,真っ白になって偵察隊が返ってきた。
       夜になると夕方からでていた霧の晴れ,天気図にはないはずなのに星がいっぱい光っていた。

       五色温泉7:10一12:00家形ヒュッテ13:20⇔16:05,


   2月29日,曇後晴,
     5時の山岳気象によると天気はかなり悪いが,東北地方は特殊だし,吹雪になっても昭元までは樹林なので行動する事にする。
       壷足で家形山へ登る。風が強いので早々にスキーをつけ,赤旗を追って樹林を進むが,
       兵子の分岐を過ぎる頃から霧が濃く視界がきかず苦戦する。

     稜線沿いに進もうとしたが,ニセ烏帽子を谷地平側に降りすぎ小さなワンデリングをしてしまった。
       幸いわずかなロスで登り直したが,正確な位置がわからないのでガスが切れるのを待つことにする。
     やがて正面に烏帽子,南に東吾妻が姿を見せた。烏帽子の南側を,昭元の左側を交互に捲き進む。
       昭元は雪深くラッセルに手間取った。
       無名峰を左へ捲く頃から湿雪でシールに雪がつき団子になり苦労している間に,再び霧に包まれてしまった。

     東大嶺のよおな駄々広い所でガスられては仕方がない。
       待つに限ると一本たてていると,少しずつ霧が消えてゆき,東大嶺が輝き始めた。
     一直線にピークまで登り,ガンバレ節をガナル。
       快晴の中、眼下の明月荘を目指して滑行。偵察の時と同様,雪でいっぱいだったが,棚の雪を落し寝床を作る。

       山小屋7:30一8:20家形山一10:15ニセ烏帽子:30一14:25東大嶺:47一15:10明月荘,


   3月01日,地吹雪,
     停滞, 朝起きると窓から吹き込んだ雪でシュラフが真っ白になっている。窓を開けると雪がサーと入ってくる。
       東大嶺特有の地吹雪だ。山岳気象を聞くと完全に気圧の谷に入った為,全国的に悪い。

     弥兵衛平を抜ければ地吹雪もないだろうと思うが停滞とする。
       狭い棚にズラリと横になってシュラフに入っているが,天井がやけに低く,腰をのばすことはできない。
     交代にゴツンと頭をぶつけている。 
       ラジオや吹雪の音を聞きながら,一日中シュラフの中にいた。夜になってもピューピューという音はやまなかった。


   3月02日,雪後曇,
     頭をゴツゴツ打ちながらパッキングを済せ靴をはこうとしたら,コチンコチンに凍ってはいらない。
       私の靴だけは山幸特製の上物なのでスンナリとはいる。皆,ブツブツ言いながらローソクであぶっている。
       おかげで出発が遅れてしまった。

     外に出ると強烈な地吹雪。すぐにびっしょりになる。視界は5m程であるが雪が付き前が見えない。
       離れず偵察の赤旗を追って滑降を始めるが,尾根の取り付きがわからない。
       笛の音を頼りに手分けして探し,どうにか見付けることができた。第1のコブに着く頃には、晴れ間も見え一息つくことができた。

     振る向くと東大嶺はまだ地吹雪がもえていた。雪庇を踏み外さぬよう左側を捲きぎみに栂森のピークに。
       栂森から例のトラバースを斜滑降で抜け,小栂森の細い稜線をデラバージュと山廻りで進むと和田のパーティに出会う。

     2日程しかたっていないのに,ずいぶん久しい様な気がする。雪洞の所で少し休み,後は各自,得意のポーズで峠を目指し滑りおりた。
       峠の駅で一休みしていると,思い出したように足のマメが痛み出す。
     板谷からだいぶ少なくなった雪道を登りながら,思いめぐらしていたが,
       五色のリストが見える所まで来たら,やっと終わったんだな〜と思った。 西村博臣記,

       明月荘7:30一8:35第1ノコブ:55一11:45峠=板谷13:05一14:20五色, 


   3月04日, ツァー最終日,我がパーティは栂森山へ出向く。蒼く澄んだ空と白銀の輝きが広がっていた。
           締まった雪にきしむ登行,汗が出る。頂では雪が舞い,下りは粉雪を蹴っての滑降となった。
           これで合宿は終わる。

        前々年度s40年,偵察,   五色⇔家形ヒュッテ一兵子,
        前年度s41年,偵察,縦走隊報告,  家形山〜東大嶺,
        前年度s42年,偵察,縦走隊報告,  家形山〜東大嶺,
        本年度s43年,偵察,縦走隊報告,  家形山〜東大嶺,



       リーダー後記

   合宿は天候に比較的恵まれ,全パーティ,全コースを完走する事ができた。
     積雪は30年代程ではないが昨年より多く,各隊,降雪に見舞われ五色の登りに多少なれ時間を食った。
     全員集合した午後と翌日は雪洞技術習得と体慣らしを行い,全員一度は停滞日前に雪洞を体験させた。

   28日からのツァーには上記の縦走隊,偵察を始め,赤旗を家形付近,鉢森入口付近に立て合宿の安全を計ったが,
     賽ノ河原には装備の不手際から,遅れた事は全コース終了したとはいえ,反省すべき余地を残した。

   本年度は昨年に続き家形〜東大嶺間の縦走隊を派出した。又女子部員全員の一切経ツァーを試みる。
     一泊山行の為,鉢森より反って楽であり,五色を離れる緊張感や自分で手掛け修理した小屋に魅了される事も多く,
     女子に関しては良かって一言に尽きる。

   その反面,完全混合パーティの場合,男子とのギャップに問題が生じた。
     出来るだけ平均化を試みたが,同じ鉢森コースでも5時間程で終わったパーティもあれば,9時間要したパーティがでた。
     差は出ると思うも最密度ある計算が必要と思われる。

   合宿も中盤を過ぎると好天が続き,雪質はベタ雪,アイスバーンと激しく変化し雪洞も6日目にして没してしまった。
     この条件の下,縦走隊は頂稜に出て濃霧に被われ,停滞を余儀なくされたが無事完走する。
   ただ4日に山田君が高倉山直下から河原に10数m転落し,右足首を骨折した。
     主将として初めての大きな事故を起こしてしまった。
     これは,彼1人の問題ではなく,縦走を終え気の緩みが起こした事故でもあり,クラブも1つの教訓とせねばならない。

   この数年暖冬,好天が続き,ツァーと云うと直ぐスキーを連想し勝ちであるが,
     スキーが主体ではなく,山への補助的な意味の延長上にツァーの醍醐味があり,楽しさがある。
     今後,この事を十分認識して活動に励んでもらいたい。                       合宿報告書松村,



      栗子国際スキー場
    1965年,越後交通系建設会社,渡辺組がスキー場をオープン。58名の地主に地代を支払い板谷土地共有組合を設立。
    1967年,栗子スキー場をオープン,
    1881年,日本フェリーに売却,
    1883年,レイボリフトなど数々のリフト,ホテルを建設させる.
    2003年,日本フェリーは会社更生法申請,破産,
    2008年,再び運営権は栗子観光開発に戻り,フラナットワークに運営権を含め全財産を譲渡.



                                                          吾妻連峰東北部地形図,山行表
                                                          s42年度春期ツァー合宿Top,
                                                          旧hp,PhotoHighwayJapan,吾妻春合宿V,

                                                    s42年度年間活動報告,