家形ヒュッテ修理Top                                                                 .

s43家形ヒュッテ修理,V



薪割りとヒュッテの遊び

簡易平面図
RHCと家形ヒュッテ

       s43年02月
快晴の家形ヒュッテ正面とガンチャンの壁                       .
       家形ヒュッテ修理V
            s43年(1968年)10月30〜11月03日,  
                 L松村進(4),sL西沢隆雄(2)m関美枝子(3),松本雅夫,田中,中沢康,中西久美子(1),


10月30日,
31日,

11月01日,
02日,

03日,
上野22:32=
5:57福島6:33,福島交通=7:30信夫高湯8:00一9:22小:33一10:56水場,井戸溝11:30一12:05h1,2,3
h1, 午後から薪造り,修理
h2, 薪造り,ネバリ, 夕方,薪荷揚げ
h3, 薪造り
h15:02一16:30高湯17:30=18:30福島22:30
=4:31上野

    ヒュッテの破損は以外と少なく,煙突掃除等を重点的に行う。春合宿に備えての薪作りは,営林署で昨年度許可された残りを伐採した。
      ただ人数の割にマサカリ等が少なく時間を費やした。その為スカイラインよりザック4杯分を新人のトレーイングを兼ねボッカした。





         前年s42年10月,南面からのヒュッテ一階簡易平面図
          山行日誌メモより

        s43年現在の家形ヒュッテ

     北側のコンクリートは以前の台所,右奥に流し台がある。s41年現在使用せず。炊事はもっぱらストーブ周辺の土間で行われていた。
     中場右上のコンクリートは管理人室になり,手前が個室。個室は全く使用せず,一番使われず荒れていた。
     手前コンクリートにはストーブと直接屋根に抜ける煙突があり,吹雪くと煙突からも雪は舞い込んでいた。

       ストーブの周りには4,5人が座れる椅子があり,北側には以外と確りした四角いテーブルがある。ここは皆でよくだべった所でもある。
     床は全てコンクリート敷き,玄関外右横に鐘があった。

     見取り図,階段下の場所にはここにも薪の山を置いていた。
     玄関と管理人室の間の窓際は壁沿いに薪を積む。又スキー板の置き場所でもある。
     左手板の間,床下には例年通り春ツァー用,薪を詰め込む。

     修理した当時,登山者が来訪して下さると管理人室に泊って頂いていた。
       部屋は小さいながら一番よい場所だった。僕等,大所帯とは別に使え良かったと思っている。

     薪用の伐採地は南の広場から西側の上り斜面,30〜100m範囲, シラビソの森をを営林署の間引き指定で伐採。
       s42年,43年,44年伐採する。
     糞尿処分は北側裏庭,奥よりに埋めた。





          5年後の南面からのヒュッテ一階簡易平面図

                        s48年05月,野原森尾氏記

      ヒュッテへの想い

   裏庭右上の老いた大木が懐かしい。幾度も登っていた。古い年輪に傷多く夢多き大木だった。
     屋根に登るにも梯子を造り,掛けてよく登っていた.。

   又裏庭奥には糞尿の山を幾つも掘ったが,大地がへこんでいないかが今でも心配だった。
     大分硬く土を盛った積もりであるが。何度も掘り何処が何処だか分からなくなっていた。修理初年度から印は付けて置かなかった。
     感ではあるが下流側から上へ順に掘った筈である。

   シラビソの森の中にあるヒュッテは西側の窓から,よく晴れた日は夕焼けに染まる陽差しを浴びていた。
     今日の凱歌に歓び,夕飯の炊事に精をだしている時,急に赤味を増してきた。

   吹雪き荒れ狂った時はヒュッテに着きホッとし,安としながら,水造りのストーブに薪の跳ねる音を聞くのが好きだった。
     まだ火遊びを止められぬ性分か? 火を起こし,薪がパチパチと叫びだすと席を後輩に預けている。

   又春先の朝日は雪の煌きと共に南側の窓から柔らかい日差しが入り込んでくる。
     夜明け前の炊事,ストーブに湯が沸き食事を終える頃,ガラス窓一杯に朝陽が射しだした。そして一瞬に一階全体をを明らめた。

   ローソクの火を消す頃にはヒュッテに暖かさが籠り,陽が更に小屋全体を明らめ増していた。
     そしてヒュッテの中が一番よい状態になった時,常にツァーに旅立つ。
     常にその繰り返しがヒュッテの僕等を守ってきた。僕の生まれる以前からある古い大きなヒュッテである。


   左岸の台地にあるヒュッテは南面が広場で穏やかな谷が東へ緩く落ちている。
     五色温泉からの入山はこの緩斜面を登りヒュッテにでる。向かい西の急斜面は家形山,ガンチャン落しへと続く。

   入部から4年経ちs43年現在,ヒュッテは修理を繰り返してきたが大分痛んでいる。
     ガラス窓は割れ,側壁や床板は焚火材として壊され被害を酷くしていた。その都度修理してきたが無人小屋は如何しても荒れることになる。

   それでも改修すればまだまだ持つ筈である。県の方針が維持を疎かにさせてもいた。
    ヒュッテを維持することは大変だが人の手による破壊が進みだしていた。修理を怠れば更に悪くなる。





     ヒュッテ修理
                      ,s42,11,
    南より東側半分,右角が玄関,北側奥庭の大木が臨まれる              裏庭,北口と台所,左上が大木


      10月31日,晴

   朝方,高湯の後藤氏宅に寄り乾燥室で朝食を摂る。
     そしてネバリ用の小麦粉及び薪割りを拝借し数を揃え,何時もの径を遡る。
     晴れ上がった空が清々しい。

      登り径
   毎年同じ頃登る山径は,ツァー用の標盤に導かれ,水呑場と呼ばれる小沢で,乾いた喉を潤すのが常だった。
     そしてスカイラインと離れ長い裾野をただひたすら登る。

   何時の間にか庭坂から来る径も良くなった。細長い台地の末端,犀ノ河原,
     ここも初めての時はコブを1つ越した五色に至る犀ノ河原と名前から混同してしまったものだった。
     ここでボッカの身,井戸ノ溝,水場で以前,大川にジンマシンがでて大騒いだ事がある。


   秋と春,常に訪れ4年になる。流石の矢の如く僕も4年になる。もう直ぐ卒業を迎え新鮮みがまるでなくなっていた。
     1年生を引き連れている。新しい歩みを築きださねば。

   1年の田中君は途中入部,初めての山でヒュッテに着くまで大分バテた。
     小屋に着くなり,もう誰が何と云おうと一歩も動かない。頑固たる心を決めザックにしがみ付くよう寝転んでしまった。

   幼いよおな,それでいて分かる気がすが,時勢が少しずつ彼等を変えていた。団体の運動部に入っても我が強い。
     その田中君も修理となるとハッスルした。

   午後,今日明日と春に備え薪作りに取り掛かる。
     立木は幹40cm程,小屋裏の上り斜面で昨年度,営林署で許可された残りを切り倒す。高木を倒す気持は爽快だ。
     子供が組み重ねた積木を壊すよう,はしゃぎ回る。マットを焼却し,おやつに焼き芋を探し出す苦労も面白い。



      11月01日,晴

      修理,ボッカ,
   昨夜はかなり遅くまで話し込み寝起きが悪い。西沢君は僕が風邪を移したと朝からぼやき寝込んでしまった。
     作業は午前中,昨日の残りと新たに2本の立木を切り倒し,午後から薪造りに小ナタが活躍した。
     それでも人数の割りにマサカリのような道具が少なく生産性は悪い。

   夕方1年3名を連れスカイラインまで置きぱなしの薪を取りにピストンした。ザック2尺2寸オープンに薪4杯分,これと合わして合宿も間に合おう。
     エレキを頼りに真っ暗闇,茂みのざわめきの中,1人で背負えぬ荷を担がせる。
     新人養成を知らぬ田中君,「頑張れ!」。


   夕方,中年の登山者が1人,浄土平からここを頼りに登ってきた。
     これを幸いに偉ばる事なく修理と同じ接待の仕方を諭す。そして清々しい後輩がいた。
     旅人には管理人室に寝てもらい,今日も夜遅くまでタべった。

      爆風
   12時過ぎ,ちょっとした不注意で左手中指と髪を少々焦がし,指が熱くなかなか眠れなくなる。
     燻るストーブに灯油を捲いたのが悪かった。燻り続け気化した処で,掻き回した途端,爆発した。

   爆風で頬を照り付け指先が熱くうずく。暫くして火傷は納まるも寝てからが痛かった。
     手先がジンジンする。寝ても時折目が覚めた。
     不注意は厳禁しなくてば。明け方,寒くて皆が集まる中,右手の手先だけは熱していた。






             s48年二階南面より間取り図

 

   僕は常に6名の場所,中央に寝ていたと思う。頭は廊下,南向きで。
                 ,
     ここは常に一階のストーブが覗め,何故か先輩も尻退け,初めての時より陣取っていた。
     燻っている煙が襲う場所でもある。ただ朝は一番に暖かくなる。


      11月02日,晴

      下山
   午前中,合宿用の薪を整理し煙突の煤を落として山を下る。
     スカイラインで旨く車を拾い,泊れ々と薦めてくれるオヤジさんと高湯の湯。人数が多過ぎる。
     丁寧に断り,ゆっくり湯に漬かり食事を御馳走になった。そして時間に追われるよう最終バスから夜行に乗り込んだ。

      福島駅
   最終夜行列車が来るまで駅舎は寒かった。
     駅前も町の灯りは乏しく星が煌き,風は冴え,凍るような寒気に身を震わせていた。

   この時期,福島は常に寒い。
     今年も山越えの空っ風が吹き付け,駅前広場はつむじ風を捲き上がらさせている。

   その上乗車する上野行普通列車は最終までなく常に長く待たされた。
     広場は抜ける人も疎らになり,次第に人気のなくなり,待合室はストーブもなく,尚更寒さを注っていた。



   後藤氏は吾妻町が福島市に合併された為,11月11日に行われる市議会議員に立候補し,
     スキーによる地元の発展を望んでいる。

      ヒュッテ
   よくしゃべり,よくはしゃいだ。その上よく食べた。何時もの山小屋が僕等の手で,今も残されている。
     1年,2年と無残な姿に変わりつつあるが,ほんの一部分でも誠意を込め直した山小屋は,愛着以上に僕等の魂が居座っている。
     家形ヒュッテ,又やってこよう。そして皆で直し,しゃべり,大いに騒ぐ僕等の小屋を持ち続けよう。

   板塀に真新しい継ぎ板,割れた窓ガラス。幾度も繰り返されたネバリの跡,その上に又,ネバリがなされ春を待っている。
     幾度も幾度も繰り返される山小屋にクラブの年輪が沁み込んでいる。

     春合宿を家形ヒュッテで迎え,OBとなる。以後,ヒュッテ修理は後輩に託す事となった。




        山小屋
                                                                   松本雅夫

   シャリシャリと,あの心地良い響きをさせながら,足元で霜柱が裂け散る。
     周りに木々は紅葉し,枯れ草の黄色ばかりが,いやに目につく。11月の声を聞いて,山はもうすっかり冬仕度に入ってしまった様だ。

   我々は我がクラブ自慢の家形ヒュッテを目指し,一歩一歩足を進める。山小屋とはどんな所だろうか。
     とても小さくて,風が吹けば飛んでしまいそうな可愛い小屋だろうか。
     それとも,ヒュッテの名に恥じないドッシリした,僕を魅了してくれるような所だろうか。

   家形ヒュッテは初めての僕にとって,想像するだけでも楽しくて仕方がない。
     喘ぎながらも浮んでくるのはこの事ばかりであり,ついには頭の中で家形ヒュッテを造りあげてしまう有様であった。

   そしてそれが完成した時,やっと目の前に実物が姿を現したのである。それはツギハギだらけの壁,壊れた入口。
     そして一歩中へ入れば,ススだらけの窓,柱と,期待とはおよそかけ離れた代物であった。

   しかし,にもかかわらず,失望の念は全くと云って良い程浮んでこなかった。
     それどころか,これこそ我々の小屋なんだ,という気持が不思議と湧き上がってくる。

   それは多分その無彩色のひなびた姿から,藷先輩達が,その手と汗でここを守ってきたのだ。
     と云う歴史の重みを直感的に感じたからだと思う。
     僕は改めて,我が家形ヒュッテをしみじみと眺めたものである。





     s35年02月, 第一回春合宿
     s41年02月, 春合宿T, ボッカ隊,鉢森,高倉山,一切経山
     s41年11月, 家形ヒュッテ修理T
     s42年02月, 春合宿U, 偵察隊,家形〜東大嶺,高倉山
     s42年10月, 家形ヒュッテ修理U
     s42年12月, 冬合宿
     s43年02月, 春合宿V, 本隊,鉢森,高倉山,一切経山,栂森
     s43年10月, 家形ヒュッテ修理V
     s44年02月, 春合宿W, 本隊,一切経〜東吾妻山,鉢森
     s46年03月, 信夫高湯〜惣八郎平〜赤岩, 合宿に顔を出す予定が野宿
     s47年02月, 白布高湯⇔西吾妻, 風雪強く裏磐梯を断念
     s49年03月, 春合宿

     h23年10月, 新高湯〜人形石〜一切経山, 荒天で西吾妻を断念
     h26年09月, 五色温泉「宗川旅館」,OB親睦会17時集合,24名参加,男性21名,女性3名


      吾妻連峰東北部地形図




      家形ヒュッテとRHC
    初めて訪れたヒュッテ,s41年02月



 s47年08月,ヒュッテの玄関,   ,
 当時,高校生の野原氏,泊まった時のヒュッテ   ,
   2003年08月,野原氏に出会う。パソコンのみの会話だが,中学,高校と若きしの私を想い,嬉しく思う。
     その上,家形ヒュッテを恋している姿に自分を映し出していた。





 家形ヒュッテとRHC

約1300年前


慶長14年


明治13年

明治13年




明治26年12月

明治34年,1911年

明治44年



大正に入り


大正14年12月


昭和の初め頃

s02年?03年

s03年07月




s04年

s09年08月01日

s20年

s25年



s27年12月01日



s28年

s32年



s33年12月30日




s34年11月05日


s34年12月

s35年05月09日













s36年02月25〜04日






s37年

s37年02月21〜27日





s37年10月13日



s38年02月20〜02日



s38年03月




s39年02月23〜02日


s40年02月24〜08日





s40年04月

s40年04月30〜06日



s40年05月08日

s40年07月30〜03日



s41年02月24〜07日









s41年04月




s41年06月



s41年08月01〜31日

s41年10月10日


s41年10月30〜01日


s41年11月








s41年12月



s41年12月03日


s42年02月21〜25日


s42年02月21〜06日







s42年11月






s42年11月06〜10日






s42年暮



s43年02月20〜06日









s43年09月







s43年10月04〜09日


s43年11月06〜10日



s43年12月現在








s44年02月21〜05日,






s44年03月

s44年03月31日




s44年06月06〜25日

s44年10月


s44年11月27〜02日





s45年02月


s45年03月












s45年11月20〜23日,





s46年02月27〜09日











s46年03月06〜08日



s46年08月26日

s46年11月08〜12日


s47年02月23〜04日





s47年02月26〜08日


s47年05月


s47年08月


s48年11月22〜25日


s49年03月16〜24日





s49年04月28日

s49年11月23〜24日


s49年06月

s50年02月26〜06日





s51年02月25〜04日





s51年06月06日


s51年05月01〜05日



s52年03月01〜08日





s53年02月28〜06日



s53年05月03〜07日


s53年11月01〜05日


s54年03月01〜08日





s55年02月26〜02日








s56年02月25〜07日










s61年10月09〜12日


s62年10月08〜11日
西暦1982年
五色温泉は天武天皇の白鳳5年,修験道の開祖である役小角が吾妻山中で五彩の湯煙を見て発見されたと伝えられている。
  温泉名はこれに由来する。

米沢藩主上杉氏の家臣,直江兼続により,五色に湯壷を開き,小屋を建てて浴舎として,温泉としての形を整備した。


鉄道(現在のJR奥羽本線)が福島〜米沢間に開通

日本最初のスキーロッジとして皇族のための六華倶楽部が建設される。・・宗川旅館が建築された後,六華倶楽部が管理運営
  米沢出身の海軍軍人黒井悌次郎らにより五色温泉の敷地内に華族のためのクラブハウスが建設される。
  13年暮れと14年1月に秩父宮・高松宮両閣下が来訪。
  昭和20年に返還されて,昭和25年の冬季国体で高松宮殿下が休憩用に使用されて以来あまり活用はされていなかった。

1893年に吾妻山大穴火口付近で水蒸気噴火, 活動調査員2名が死亡,

五色温泉「宗川旅館」開設

五色温泉スキー場を開設・・・日本初の民間スキー場
  3月にオースツラリヤ人オゴン・フォン・クランツァらがこの地に泊りスキーを楽しんだのが切っ掛けとなり開設する。
  2ケ月前の1月,日本のスキー発祥の地,上越市高田でオーストラリア人レルにより,帝国陸軍の将校達がスキーの指導を受ける。

「吾妻連峰は二本スキーツァーの古典的舞台」として黄金時代を迎える。
  この時期五色を訪れた槙有恒,板倉勝宣,深田久弥,串田孫一らの紀行文からも伺える。

宗川旅館で日本共産党第3回大会が非公式で開催される。当時弾圧されていた日本共産党が組織再建のため,
  参加者は身分を隠すためバラバラに来館したため,当時の主人も1年後に警察からの事情を聴くまで全く分からず。

旧鉄道省が吾妻観光キャンペーンを始める。

田部正太郎が谷地平に行った紀行の中で当時,家形ヒュッテ附近に粗末な小屋があった。

家形ヒュッテ
  本文にはない山小屋がその後幾つかできた。すなわち家形山の懐に家形ヒュッテ,
    その旧家形ヒュッテと青木小屋との中間に吾妻山荘,それから吾妻小富士の西南麓桶沼の東に,
    仙鉄の吾妻小舎等ができている。「高原紀行と案内」,13年7月刊。

宗川旅館に竹下夢二が女性同伴で訪れスケッチブック2冊を残している。

吾妻小舎開業・・旧鉄道省仙台鉄道局のより,浄土平付近に「吾妻小屋」を建設。

六華倶楽部の管理運営は「宗川旅館」から返還される。

吾妻連峰,磐梯朝日国立公園に指定される。
冬季国体で高松宮閣下が六華倶楽部を休憩用に使用。
  それ以来余り活用されず,現在は老朽化したため仙台市の個人宅として移築。

家形ヒュッテ開設
  大改造を行い開設する。大きな費用がかかったが,その大部分は材木,材料等運搬費にあてられた。後藤氏,
    番人常住,素泊り¥200,二食付き¥400,茶代¥20,収容40名。管理人常住,設置は福島県,管理は高湯温泉組合,

磐梯吾妻スカイライン着工

明月荘, 山形県の建設にかかるコンクリート作りのがっちりした山小屋で,吾妻縦走の重要な拠点である。
    シーズン中には米沢から番人が登ってきていて登山者の面倒を見てくれた。
    収容30名,1泊200円, 米沢市商工課観光係,

家形山ガンチャン落しで雪崩発生
  18時,標高1750m45度の急斜面でJAC吾妻山の会7名中6名が雪崩に遭い1名死亡。
    約1mの古い雪の上に積もった約50cmの新雪が崩れおちたものらしい。
  18時40分から救出作業開始,1名は足捻挫,1名死亡,残りは無事。吾妻山での雪崩死亡事故は記録上初めて。福島民報

家形ヒュッテ〜吾妻小舎間,電話仮設
  磐梯吾妻スカイライン今年開通で一日行程としては近過ぎる場所となり,利用者が激減,経営困難となり有人は不規則に。

五色温泉¥500〜¥600, スキー場リフト1基¥40,貸しスキー150台¥100〜¥200,貸靴70足¥100〜¥200,「スキー旅行案内」,山渓

立教大学ハイキングクラブを設立
  法学部校舎241教室に小林,鴨田,蜷川,3名が集まり,正月より詰めていた案を実行に移す。

  6月11日,夜行日帰りで乾徳山公開ハイキングを行う。
    当時参加した人,殆どがRHCの基礎となった。総勢13名,
             
第一回,春期ツァー合宿
  
五色温泉,宗川旅館をベースに吾妻連峰東北部,鉢森山,賽ノ河原,高倉中腹を。

  費用の面で蔵王から五色へ,cL小林,sL鴨田,m13名,
    宗川旅館,素泊¥120,蒲団付き素泊¥150, 3食付き米持参¥350,(費用¥3000),一般宿泊料金¥500〜650,
    温泉質は炭酸水素塩泉の温い湯と沸かし湯がある。

姥ケ原避難小屋完成

春期ツァー合宿
  鉢森,高倉山,家形山に続き一切経,栂森山五色より家形ヒュッテ,年度毎使用し始める。cL石田,m23名,

  本年はスキー技術合宿を行った為,部員の技術がかなり向上される。
    管理人常住,収容40名,素泊り¥200〜300,二食付き¥500〜600,

緑樹山荘
  五色温泉宗川旅館主人より話が出された事により旧青木小屋を譲り受ける。槇氏が大分動いたようだ。
  東海大学が大学の山小屋として再建,開設された。「緑樹山荘」と命名,

春期ツァー合宿
  鉢森,高倉山,家形山に続き一切経,栂森山が新たに開拓され,吾妻東北部の概念を掴む。cL吉田,sL荒井,m19名,
  合宿中,家形ヒュッテに小屋番入る。

新,五色温泉(旅館3軒)収容1.300人,¥800〜¥1.500, 家形ヒュッテ・・収容40人,¥350,高湯温泉組合,「スキーツァー案内」初版

12月末,ガンチャン落しで雪崩が発生
  1階部分が崩壊,雪が大量に小屋内に入り込み管理人死亡する。後藤氏,

春期ツァー合宿
  一切経,鉢森山,高倉山,賽ノ河原, cL井田,m28名,

春期ツァー合宿
  鉢森山,高倉山,賽ノ河原,栂森山,一切経,cL新津,m28名,

  縦走の為の偵察, 五色⇔家形―兵子,東大嶺を見て引き返す。ドカ雪と計画の甘さから敗退する。L中山,m田中,保坂,
    ヒュッテの小屋番から情報も。この時期まで常住ではないが小屋番は入っていた。

立教大学ハイキングクラブに入部

春合宿縦走に備え偵察山行
  浄土平―前大嶺―東吾妻山―鏡沼,避難小屋c1―東大嶺,明月荘c2―西吾妻山一若女平―白布高湯,
  偵察兼ね縦走,L新津,m保坂,上坂,

RHC5周年記念祝賀会・・「峠」創刊号発行

女子夏合宿前半,吾妻連峰
  浄土平―吾妻小富士―一切経山―家形山―昭元山―東大嶺―人形石―c2―西吾妻山―若女平―白布高湯,
  L見城,sL根岸,m3名, L池田,sL藤井,m3名,

春期ツァー合宿
  家形山〜東大嶺,一切経,栂森山,鉢森山,高倉山,cL田中,m30名,

    RHC創立6年を迎え,吾妻連峰東北部を縦走,

  年間目標,装備の一環として「ビバーク研究」を行う。春合宿に備え小栂森直下に雪洞を設け,東大嶺を偵察。
    ヒュッテでは無人となり,KWCと同居した合宿となる。3月04〜05日にヒュッテへ初めて訪れ一切経山ピストン。

  又今合宿中,国鉄学割料金の改正があり,行き5割,下山は3割引きとなる。

  慶応大学吾妻山荘,(五色沼から五色温泉へ抜ける標高1300m付近)は火災で焼失。

山小屋設立委員会を設立
  家形ヒュッテに焦点を合わせ県庁に現状を聞く,
    ヒュッテの所有者は福島県であるが,管理は信夫高湯温泉組合が行い,後藤氏に委託されている。
    実行委員,保坂,竹永,三浦,

後藤氏の上京を機会に山小屋管理の委託を受ける。
  信夫高湯温泉組合組合長,後藤泰治氏,旅館「ひげの家」を経営, 福島市外庭坂局区内高湯温泉,пi024594)27,
  温泉質は硫黄泉(含酸性硫化水素泉)の乳白色,

明月荘と西吾妻山荘は無人小屋であるが8/1〜31まで両荘に小屋番が入る。毛布¥50,素泊¥100,米沢市役所,

小屋修理を後藤氏と協議
  秋合宿を朝日連峰で行い帰京に際,後藤氏を尋ね修理を具体的に協議。

小屋修理の為の偵察
  修理資金は信夫高湯温泉組合が持ち,RHCは労力を提供する事で調整が進む。m竹永,日吉,

小屋修理
  春期ツァー合宿の準備を兼ね山小屋修理
    11月11〜14日,第一回修理,L西村,m18名,積雪0,
    11月22〜26日,第二回修理,L竹永,m7名,積雪は深い所で50cm,
      以後毎年,春合宿に備え晩秋に小屋修理,偵察と薪造りに入山する。

  元は家形ヒュッテにも小屋番が常住していたが,スカイラインの開通と数年前,カンチャン落しの雪崩で,
    小屋番死亡,その後無人となる。小屋は荒れに荒れ,今荒廃の一途を辿っていた。

家形ヒュッテ共同管理
  信夫高湯「ヒゲノ家」の後藤氏と協議の末,後藤氏とRHCとの共同管理を行う事となる。
    春期はRHC,夏期は後藤氏が管理して宿泊料は修理費に充てる。
竹永記,

慣例のダンスパーティ
  山小屋修理及び部報「峠」3号資金の為,又OB諸氏より山小屋設立のための寄付を募る。「5号館コモンルーム」,

山小屋荷上
  合宿に合わせ先発,「ひげの湯」から燃料ボッカ,及び薪作りを終え,五色に合流する。L割田,m5名,

春期ツァー合宿
  家形〜東大嶺間踏破,一切経,栂森山,鉢森山,高倉山,cL西村,sL根岸,m31名,
    それに加え初めて東吾妻山へ,L割田,sL大川,m4名,

  女子部員の入部多くなる。女子新人の池田嬢が五色の女将と親戚と聞き,また驚く。

    宗川旅館,蒲団付き素泊り¥300,外泊¥200,
  2月28から01日にヒュッテに訪れ東大嶺を縦走。

家形ヒュッテの現状
  急遽,後藤氏と電話連絡によると慶応大学体育会の山小屋が,吾妻町管理の名目で建てられる事が決定。
    その為家形ヒュッテは必要度が薄くなる。明年壊して新しく避難小屋を再建するとの事。

  地元福島大,教育大,高校等とRHCは,その間々残すよう交渉中。
    だが無駄骨らしく,修理の必要なしと冷たい返答になった。西村記,

山小屋修理と偵察
  修理するなら屋根のペンキ塗り程度と,県はあまり積極的に希望していなかった。
    明春,利用の件はまだ使用可との事。使える以上,できる範囲で修理を今年も実行する。

  又薪の使用は小屋に入る前に,営林署よりツガの伐採の許可を受けた。

    7〜8日修理,9日ヒュッテ⇔一切経山と兵子,家形鞍部, L松村,sL大川,m8名,

栗子国際スキー場,オープン(41年,新栗子峠に新国道13,開通)
  板谷には奥羽本線複線工事が始まり,賽ノ河原にも立派な道が横切った。
    五色も夏場,板谷からバスが通うようなり,信夫高湯のリフトも上に伸びつつある。

春期ツァー合宿
  
家形〜東大嶺,一切経,栂森山,鉢森山,高倉山,cL松村,m32名,

  一昨年に続き3年目,縦走を企画,縦走は荒天にもめげず完走した。
    又ボッカ隊を含め,栂森隊を除く全パーティを女子混合に編成し,全員が初めて家形ヒュッテに宿る。
    3月02〜03日,ヒュッテを訪れ一切径山,ピストン。

  2月04日,栗子峠,国道東栗子トンネル入口(2ヶ所)で雪崩が発生,3日夜から新雪20cmが積もったため国道で2ヶ所が通行止。
  今年は栗子のオープンを始め,板谷,惣八郎平,高湯と開発の芽が伸び出している。

家形ヒュッテの現状
  我RHCと福島県,吾妻町との共同管理であった家形ヒュッテは,近日中に取り壊すことが決定する。
    従来のヒュッテの老化が激しく,慶応山小屋設立による無用化論がある。

  更に維持費,管理人問題などが取り上げられ,まだ修正の余地が充分あるものの,
    これら諸問題に対して我RHCは何の意思表示もしなかった。
    結果において,ヒュッテを失うという事態を生じさせてしまっている。
大川記,

初めて女子のみ自立しリーダー合宿を吾妻で行う。
  信夫高湯―東大嶺―家形ヒュッテ一一切経―高湯,
m伊藤,豊永,古田,桧垣,

山小屋修理
  小屋の破損は以外と少なくネバリ,煙突掃除等を重点的に行う。
    又春合宿に備え薪作りは,昨年度,営林署から許可された残りを倒す。L松村,m6名,

家形ヒュッテの現状
    3月上旬,8月下旬,10月と後藤氏を訪ね,時々電話で問い合わせる。
  その結果は,
    家形ヒュッテは本年中,遅くとも来年度に取り壊す事が決定していたが,再申請及び,吾妻村と福島市の合併等があり,
    又,本年中に完成予定の慶応山小屋も政治面を含め遅れている。それ故,白紙の状態に戻る。

  ヒュッテは現在の状況で残す可能性が出てきた。
    尚,高湯組合は構想の段階であるが白樺平のリフトを延長し,家形ヒュッテをスキーヒュッテとする案もある。工藤記,

春期ツァー合宿
  一切経,栂森山,鉢森山,高倉山,東吾妻山は男子全員が踏破。cL山田,m31名,


  1年女子だけで1パーティを編成し4年の私が率いる。
    宗川旅館は湯治客を見込み昨年宿の半分をアルミサッシの入った部屋に改装した。今年より夏場バスが通うようになる。
    宿泊料据え置き。一般客は1泊¥900,食事付¥1500,

RHC,OBへ,OB顧問に就く

家形ヒュッテの現状
  家形ヒュッテは,44年3月31日をもって取り壊される事になっていたが,老朽化,維持費,慶大の山小屋建設等の点で,
    県より5年間の延期申請が許可される。取り壊しの問題は当分回避された。
関根記,
    2月27〜01日にヒュッテに訪れ東吾妻山と一切経山をピストンする。

RHC10周年アラスカ遠征, black cap初登頂, m富山,新津,中山,

慶大,吾妻山荘が開設
  1年遅れで完成,
旧青木小屋の西,五色大根森コースの途中にある無人小屋跡,

山小屋修理
  28日,雪,4.5k地点より雪の為ザックをデボ,翌日家形ヒュッテ入りする。高湯⇔4.5k地点,ザックデポ一ヒュッテ,

    非常に荒れていた。床板が剥がされ,1階の多くは燃やされ無くなっていた。
    又煙突はガタガタで今回の修理で新たに付け直す。
  30日,薪作り,椅子もなく今後の為,大修理が必要。
L関根,sL中川,m7名,

春期ツァー五色合宿中止 
  学内紛争等により合宿中止となる。変わりに4月にスキー技術習得山行を企画,白馬八方尾根,cL関根,sL中川,m25,

再度,ガンチャン落としで雪崩が発生
  表層雪崩,ヒュッテが雪崩のため倒壊してるのを家形山に往復したKWVが3月8日に発見。
    「日本の雪崩災害データーベース」に記録があり。3月の記載なし,福島民報,

  ヒュッテの西側の壁,窓が破損し半崩壊する。
    県は老朽化激しく,更にヒュッテ近くに慶応の山小屋,吾妻山荘が建てられ,
    積極的な修理,再建の意思はなく,今だはっきりした態度を示していない。
  又,地元高湯温泉では,買取りスキーヒュッテとして再建したい意向をもっている。ただ資金面が?
    その後,応急処置し形を留めるも,荒れるに任されていた。中沢記,

  3月07日,飯坂町中野,国道13号線中野トンネル付近で雪崩が発生。又飯坂町中野 国道13号線米沢口トンネル付近でも発生,
    栗子ハイウェー開通後最大。中野トンネル付近の雪崩は長さ20m高さ1m幅7m。福島民報,

春期ツァー合宿に備えヒュッテ偵察
  五色h1―緑樹山荘h2―家形ヒュッテ⇔切経山,―信夫高湯, L松本,sL中沢,m3名,

  雪崩の崩壊から・・使用不能,昨年付け直した煙突は外され,残された板壁,床板は剥がされ燃されていた。
    又ストーブは壊され,管理人室等も壁板も剥がされ寒々としたものとなる。

春期ツァー合宿
  家形山,栂森山,鉢森山,高倉山, 一切経,東吾妻山は中止とする。cL中沢,sL飯田,m32名,ob6名,

  昨年度,合宿の中止は1,2年生にとって初めてのツァーとなる。
    ヒュッテ使用不能の為,東海大,緑樹山荘を借り合宿を行った。1人2泊,¥100,

  吾妻合宿は9度目を迎えるが一年間のブランクは,各コースともキツイものとなる。
    ツァー前,冬合宿以外に全員でワッパ,シール等,雪上訓練,日程を持つ。

  家形ヒュッテは予想通り荒れ果てていた。煙突は落ち窓は破れ,見るからに哀れである。
    それでも少人数なら使用可。鈴木記,

春期ツァー合宿に参加できず,
  惣八郎平をさ迷う,L松村,m見城,
    高湯で後藤氏に会い,登りだすも森で迷う。吹雪に閉ざされ野宿後,赤岩へ下る。

スカイラインは日本道路公団から福島県へ移管

春期ツァー合宿偵察
  信夫高湯―家形ヒュッテh1,2⇔東大嶺,―緑樹山荘―五色h3―板谷, L田島,sL小原,m5名,(1,2年中心)

春期ツァー合宿
  一切経,栂森山,鉢森山,高倉山, cL田島(2),m32名,

  まだ一昨年のブランクは大きい。特にリーダー部員の絶対数が足りず質的充実が必要となる。
    前年より年度毎に緑樹山荘を借用,

荒れ狂う吾妻,西大嶺ツァー
  人形石から歯ブラシ状の樹氷に被われた国境を西大嶺へ進み,小野川瑚へ抜ける予定が荒天で挫折する。L松村,m見城,

家形ヒュッテの現状
  1階は壁のはめ板やタルキが剥ぎ取られ,ガラス窓も殆ど割れている。2階のみ床板が確りしていて10人程泊まれた。

家形ヒュッテの現状
  入口の戸もなく黒い毛布が垂れ下げてあった。中へ入るのもためらう程,寂しい小屋となる。野原森尾氏,

春期ツァー合宿偵察
  高湯―吾妻山荘h1―家形ヒュッテh1―緑樹山荘―五色h2―板谷, L和泉,sL宇塚,m4名,


春期ツァー合宿
  一切経,栂森山,鉢森山, cL和泉,sL発知,m17名,

  例年なら2月下旬に行われていた合宿が,学費値上げ反対,ストライキの為,期間が繰り下げられた。
    今年はTWVの合宿と重なり緑樹山荘が使えず,付近に雪洞を掘り一切経を目指した。


土湯温泉,湯治へいく途中道路の雪崩を除雪中また雪崩が起こり2名埋没1名死亡。福島民報,

春期ツァー合宿,東吾妻山偵察
  五色⇔緑樹山荘h―家形避難小屋,―五色, L金島,sL高橋,m3名,

家形ヒュッテ解体・・県との5年間の解体延期を終え,改めて家形山避難小屋設置,21平方メートル,

春期ツァー合宿
  一切経山,栂森山,鉢森山,高倉山,(五色,緑樹山荘), cL宇塚,sL山下,m14名,ob田島,

  二年生の大量退部と執行部員3名と悲惨な組織となる。
    来期の経験者育成の為,又行動範囲を維持する為に,一切経2P,他は3Pと変則山行を組む。

春期ツァー合宿
  家形山,(五色,緑樹山荘),鉢森山, cL永野,sL石田,m15名,

  合宿は3pで1pは女子10名の大所帯となる。2/23〜25日,先発隊偵察,高倉山,家形ヒュッテ,

    雪不足とスキー靴でのツァーに不安が募り,事故多く予定通り遂行できず。

個人山行
  白布高湯―人形石―明月荘c1―家形山―緑樹山荘c2―五色, L児玉,sL須藤,m5名,

家形ヒュッテ解体
  5人の職人が吾妻山荘に泊り,雷雨の中,作業を続けた。
    土台は確りしており,太い柱がなかなか倒れず苦労したと。野原森尾氏目撃する,

春期ツァー合宿
  家形山,鉢森山,高倉山,(五色,緑樹山荘), cL大塚,sL富岡,m24名,

  執行部の経験不足と部員の未熟さが,山とスキーとの異次元的発想が生まれ,雪山の厳しさを再認識する。
    合宿へと悩むが,一代の思惑で変更できぬと来期に希望を繋げた。

春期ツァー合宿
  五色⇔賽ノ河原,鉢森山, ob村上,L渡辺,sL加波(4年1名,3年3名,2年7名,1年5名,計17名),

    執行部の経験不足により雪山の厳しさを再認識する。雪洞,ワッパ訓練,

個人山行
  五色―緑樹山荘c,⇔高倉山,―五色, L鈴木,sL京谷,m4名,

個人山行,
  白布高湯―藤十郎―明月荘h1,2―緑樹山荘h3―五色,L清水,sL雨宮,m3名,

春期ツァー合宿,
  五色⇔緑樹山荘―家形山,鉢森山,高倉山,cL清水,sL鈴木,m27名,

  今年は積雪が異常に少なくツァーに苦労する。家形山は2泊で3P,鉢森山,高倉山は変則1pずつ。
    全パーティによるワッパ訓練と高倉山登山,

春期ツァー合宿
  家形山,鉢森山,(五色,緑樹山荘), cL塚越,sL加藤,m24名,

  冬合宿の技術を更に向上させ,ゲレンデスキーから一歩進んだスキーツァーを行う。家形山はヒュッテでスキーデポ。
    続いた積雪と経験不足でラッセルも間々ならず。登山靴使用によるツァーの考慮なし。

  高倉山慶応ルートで雪崩に遭遇
    先発隊が25日,立教ルートから中腹を賽ノ河原へ滑降中,雪崩に遭遇し3名が軽傷を負う。

春期ツァー合宿
  家形山,鉢森山,高倉山,(五色,緑樹山荘),今年は数年来の大雪となる。cL山本,sL浦島,m19名,

  一切経山へは家形避難小屋にスキーをデポ。ワカンを付けガンチャン越え家形肩より壷足で頂へ。
    合宿最後の一切経山に立つ。高倉山もスキーとワッパによる登山。

  
以後,21年間続いていた吾妻連峰での春期ツァー合宿は途絶える。山本記,

    2月02日,国道13号栗子峠で雪崩が発生,車2台が埋没救出される。又奥羽本線,庭坂=赤岩間で発生し列車遅延。
    3月16日,飯坂町中野 石小屋地内国道13号大型トラックが雪崩の直撃を受け反対車線端まで押出される。福島民報,

個人山行
  浄土平一家形山一弥兵衛平小屋h一西吾妻山一白布高湯,L大野sL野本,m5名,

個人山行
  浄土平一一切経山一弥兵衛平小屋h一西吾妻山h⇔西大嶺,一白布高湯,L横田,m3名,

                   , 再建された家形避難小屋,収容10人

   ヒュッテ,その後
1974年









1994年
   2月11〜15日






1998年07月01日


1998年

2000年





2001年現在



2002年09月

2005年

2005年06月




2006年




2008年05月



2008年11月11日


2011年

2011年
  10月06〜08日




2012年
  09月29〜30日

2013年05月20日


2014年09月06〜7日





2014年12月12日



2015年10月02日


2019年05月09日
家形ヒュッテ再建
  家形避難小屋として再建, カマボコ型で10人収容,トイレなし無人,
    部屋の中央にストーブがあり囲むようコの字に腰掛けるだけのスペースがある。あとは殆ど土間,
    通年無人,沢水・・管理,福島県環境共生領域自然保護グループ,0245一21一7251

元明月荘再建
  弥兵衛平小屋と改名し再建,2階建て避難小屋。60人収容,トイレ2あり,通年無人,
    1階2階とも板張りで2階へは中央部の土間から垂直な梯子で昇降。小屋の中に水場「銀名水」徒歩15分の案内板あり。
    2011年10月,
旧明月荘「弥兵衛小屋」に宿る。管理,山形県米沢市役所観光物産課,0238−22−5111,

家形避難小屋からの遭難事故,
  経験を積む7人p,高湯登山口まで車が入れず,動いていた1本のリフトを利用,初日は家形避難小屋へ。
    前夜宴会後,擬似好天の中,滑川温泉へ。白浜尾根着,霧の平を目指すが分岐抗が見付からず。
  12日17時疲れはあるがまだ余裕はあった。猛烈な吹雪で疲労激しくビバークを続け2人が自力で温泉にたどり着く。
    夏では1時間のコース,重度の凍傷と5名が凍死。
  後日山岳グループから報告書が自費出版され装備品の不備として「ツエルト」「ラジオ」を上げている。
    1971年02月に私は同じような天候の中,惣八郎原をさ迷っている。その時ツエルトの大切さを悟らさせられた。

山形新幹線開業
  東京=山形間開始,JRでは普通列車も走る標準軌用として,関根〜羽前中山間は単線である。

五色温泉スキー場,閉鎖

「六華倶楽部」は老朽化が進み取り壊される寸前だったが開業医を営み方が買い仙台市内に移築された。

吾妻スカイライン,不動沢橋付近が大分変る。
  つばくろ谷に架かる不動橋が新しく架かる。広場にはバス専用の駐車場を設け,レストランもできた。
  人が急に増え,沢で飲めた水もゴミで汚されだす。

登山道崩壊
  五色沼畔より家形ヒュッテのルートは,ガンチャン落としの斜面が登山道崩落の為,通行止となる。
    追分よりは往復は可能。1580m付近で左へ脇道がある。ここを入ると家形避難小屋にたどり着ける。

五色温泉でOB親睦会開催

信夫高湯「ひげの家」主人,愛称ひげさん永眠

登山道廃道化
  ガンチャン落しから避難小屋のルートは,歩く人もなく藪に被われている。
    以前登山道整備の為,使用した土嚢は,麻袋ではなくナイロン繊維で,破れた。
    その残骸が更に産業廃棄物の如く拍車を掛けているかも? 福島登高会HP,

五色温泉「宗川旅館」の主人,愛称源チャン永眠
  五色温泉「宗川旅館」館主,通称「源チャン」が永眠する。
    引退後は福島市内に住いを固め,s44年卒工藤氏と同じ棟に住居していた。
  旅館は世の「秘境の湯」ブームに乗り予約が殺到。¥9000〜,

家形避難小屋
  建てられて30年近く経ち,ガンチャン落しの登山道も地図から抹消され小屋の存続が危ぶまれている。
  再建の意味も失われ取り壊しか,積雪期用に家形の尾根上に再建するか? 松坂屋夏山相談で浄土平,遠藤守雄氏,


一切経山噴気が上昇
  福島地方気象台は300m以上の噴気を確認,登山道は立入禁止。浄土平付近も火山ガスに喚起を促している。

五色温泉「宗川旅館」開設100年を迎える。

一切経山に続く噴煙
  新高湯「吾妻屋旅館」から旧明月荘「弥兵衛小屋」に宿し,一切経山へ抜けた。浄土平からは棚引く噴煙を見る,
  又樹林の育ちに時の流れを改めて知らされた。東大嶺から旧明月荘に掛けての展望0,

五色温泉「宗川旅館」,開設100年を迎える。

RHCOB会山行,一切経山を越え五色温泉「宗川旅館」の計画は台風17号の影響で中止,
  ゴルフメンバーのみが実行する。工藤含め5名,

避難小屋は鍋にバケツ,燃料,非常食等があり,綺麗であったかく使い勝手の良い小屋。ストーブに銀マット,毛布あり,大きな蠅と箒で戦う
  ・・HP「日本一周の旅,山ガール」氏

五色温泉「宗川旅館」,RHCOB親睦会,17時集合,24名参加,男性21名,女性3名・・幹事剣持
  17,8年前に館の姿は留め大改築, リフト類は撤去されている。露天風呂設営の為新たにボーリングし高温泉を掘索
  30年ほど前に前川の架かる吊橋は自然廃墟,館への小径も廃道へ,滑川への林道ができるが工事者以外通行止。
  六華倶楽部は既になかった。現在は老朽化したため仙台市の個人宅として移築。
  前日信夫高湯「ひげの家」に寄り,jr新板谷駅を見学,初めて車で宗川旅館に入る。東北中央自動車道は大規模に工事中,

吾妻山大穴火口で34分にわたり火山性微動が発生し,マグマ,水蒸気噴火の恐れあり,噴火警戒レベル2に引き上げる。気象庁15時発表
  今年に入り6/3日草津白根山,11/20日阿蘇山はレベル2に引き上げられ,9/27日には木曽御嶽山噴火,
  蔵王でも兆候でる。更に12/16日には十勝岳がレベル2に引き上げられた。

避難小屋内部は綺麗で小屋特有の匂い,トイレの匂いなしで快適,写真には真新しいストーブにテーブルあり,薪も豊富
  ・・ブログ「奥さんの晴歩雨読」氏より

吾妻山の噴火警戒レベルを1から2(火口周辺の規制)へ引き上げる。大穴火口から1.5km立入禁止・・仙台管区気象台,

 RHC